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馬英九政権発足後第六回目となる、台湾の対中国大陸窓口機関・海峡交流基金会と、中国大陸側・海峡両岸関係協会のトップ会談が、12月21日に台北市内の圓山大飯店で行われました。
海協会の陳雲林・会長一行は20日午後、ホテルに到着。
海基会の江丙坤・董事長(上の写真左)は、両岸対話再開後の観光交流や経済関係の拡大を喜び、今回の会談の目的である、「海峡両岸医薬衛生協力協議」の署名成功に期待、陳雲林氏(同右)は二度目となる台北訪問を喜び、この二年間あまりで、両岸関係は歴史的な発展を遂げてきた、とこれまでの成果を振り返りました。
到着当日、陳雲林氏は台北市内の国立故宮博物院を参観、ホテルでは、最後の予備折衝が行われ、翌21日のトップ会談終了後、海峡両岸医薬衛生協力協議が無事署名されました。
会談冒頭の様子
この医薬衛生協力協議では、伝染病の予防や治療などの協力・医薬品(漢方薬含む)などの品質管理体制協力・事故など緊急事態における医療対応協力などが取り決められました。
陳氏は協議署名後、台湾の対中国大陸政策担当機関・行政院大陸委員会の頼幸媛・主任委員(閣僚相当)と会談。22日午前には、台北市内で開催中の2010台北国際花博覧会を参観し、午後には直行便で中国大陸へと戻りました。
頼幸媛・行政院大陸委員会主任委員(右)との会談風景
背景のパネルは台南のカキ養殖風景(「豊富な収穫」を象徴)
22日午前、花博を参観
以上が、駆け足で行われた第六回江陳会の三日間でした。
・・・え?それだけ??
はい、それだけなんです。
両岸窓口トップ会談は、2008年に再開されて以降、半年に一度ずつ、中国大陸と台湾で交互開催されています。
初の台湾開催となったのは、2008年11月に行われた第二回会談。両岸窓口機関が設置されて以降、海協会トップの訪台は初めてで、台湾中は上を下への大騒ぎ。
台北市内のあちこちで連日抗議活動が行われ、また過度の警備によってけが人が続出。会場となった圓山大飯店周辺は、夜遅くまで物々しい雰囲気に包まれていました。
また、この時は海協会トップの初来台ということで、陳雲林氏と馬英九・総統の面会もセットされ、与党関係者らは競い合うように宴席を設け、本来の会談以外のスケジュールがぎっしりの5日間でした。
昨年12月には、第四回会談が台中で開催。台北会談の反省から、スケジュールや受け入れ態勢も簡素化されましたが、それでもお約束の地方視察や宴会などに多くの時間が割かれ、小規模ながら抗議デモも行われました。
ですが、さすがに六回目の江陳会、来台も三度目となると、慣れと飽きが来ている様子。協議内容も「医薬衛生」という地味なテーマですので、署名翌日の台湾各紙も、一面トップで扱ったところはありませんでした。
圓山大飯店近くの路上では地味な抗議活動があったが・・・
馬英九政権は、両岸対話について「先易後難、先經後政(難しいものから先に、困難なものは後回し。経済から始め、政治は後回し)」を原則としています。
6月に中国大陸・重慶で行われた第五回江陳会で、ECFA・海峡両岸経済合作枠組協議が署名された事で、経済議題はすでに出尽くし、残っているのは、投資保障協定やECFA施行上の関連協議くらい。
北京側としては、そろそろ念願の政治議題に・・・というところなのでしょうが、台湾側としては、次の立法委員選挙や総統選挙も控える中で、おいそれとセンシティブな協議に乗ることなどできません。
今回の第六回会談でも、中国大陸側は文化交流協議などを次回会談の議題に取り入れようと様々なアプローチをしてきたようですが、台湾側は消極的な態度に終始しています。
両岸間の経済活動は、実際には80年代以降拡大の一途を辿っており、一連の協議による制度化は、現状の追認とも言えます。
政治議題の対話は、それとは状況が異なります。
両岸双方は、窓口トップ会談の簡素化に同意しており、半年に一度と限らなくてもよい、との発言も出ています。
歴史的な両岸対話再開からおよそ二年半、両岸関係は一つの区切りを向かえたのかも知れません。(華)
会場となった台北市内の圓山大飯店
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