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ナポリ湾のおもちゃ箱プロチダ

2011-11-26 00:07:52 | 街たち
「世界ふれあい街歩き」ナポリに浮かぶおもちゃ箱のような島、イタリアのプロチダ。
ナポリから、フェリーで1時間の人口1万人の小さな島。
漁業が盛んだが、海外航路の船乗りの街でもある。
だから、もちろん日本にも色々に馴染み深い男達が、たくさんいた。
その昔、サラセン人の襲撃から炎の剣でもって街を守ってくれたというサン・ミケーレが守護聖人となって、今も街のいたるところでこの街を守っている。
島の入り口の岬の高台には、サン・ミケーレ修道院が建ち、いまなお島の人は大切に崇め祭る。

イタリアはカトリックの国で、人の名前は聖人の名にあやかりつけている。
そうすると、勢い同じ名前が巷に溢れてしまう。
そこで、区別をする為に”あだな”を用いるのだが、どうやらそれは世襲制を帯びていて、「逃げ猫」「かもめ」「41」「太っちょ」など、それぞれにエピソードがあるのだ。
日本でもその昔、姓を名乗るのは侍以上で、一般の民百姓は屋号で区別をつけていた。
いまでも、人の流入の少ない地方では、姓がかぶることも多々あり、屋号が健在な所以である。
おそらく、このプロチダも、人の流入が少ないのだろうと、この風習を見て思った。

プロチダの街は、色とりどりのパステルカラーに塗り分けられている。
家はまるで積み木やブロックを積み重ねたように幾層にも重なり、家ごとにピンクや水色にクリーム色などカラフル、四角なマカロンか落雁みたい。
ちょっと、おとぎの国のよう。
そして、この家と家を縫うように繫ぎ結んでいるのは、狭くて急な階段だ。
しかも、家々の境界は、あいまいどころか不在という驚き。
また、住宅にできる土地が狭いせいなのか、道幅も狭い路地になって、路地と迷宮愛好家には、ぞくぞくするところ。
そんな路を自動車やバイクなどが、器用に歩行者や犬の脇をすり抜けていくものもあれば、歩行者の後ろを辛抱強く徐行していたりもする。
この狭い道路状況にあわせて、島の自動車のほとんどは、ミゼットのような超小型車が多いようだ。
また街路樹にオレンジの木が植えられ、実をつけているのも好ましく、住人達はその実を採って食べているらしい。

プロチダで最も古い場所とも言われるコッリチエッラは、小さな漁港に面する。
岬の片面にへばりつくようにできたこの場所は、自動車やバイクの侵入を阻み、プロチダ特有の建物が、より一層際立つようになっている。
建物たちが、様々な色の積み木が重ねられ組み合わさっているには、どうやら訳があるという。
それは、長い間漁に出ていた男達が、遠くからでも自分の家が見分けられるために、色を違えているのだ。
おかげで、引いて街全体を見てみると、演劇のセットかおもちゃの国にいる錯覚を覚える。

そう、ところどころの家の玄関先に飾られるリボンは、その家に赤ちゃんが生まれたしるし。
女の子は、ピンクのリボン、男の子は水色のリボンといったように。
これに似たことで、日本でも、男の子が生まれると、初節句にこいのぼりをあげるのがある。
どこの国でも、家に赤ちゃんが生まれることは、とても喜ばしいことで、周りにお披露目したくなるのだろう。

またもや日本に馴染み深い、”グラツィエッラ”がある。
19世紀のフランス人作家の自伝的小説のヒロインが、ここプロチダの娘グラツィエッラ。
彼女は、主人公のフランス人と恋に落ちて時を過ごすが、男がいったん帰郷したのを待ち続けた。
しかし、待てど暮らせど帰らぬ男を待ちわびながら、ついには病を得て返らぬ人となる。
やっと戻った男が見たものは、荒れ果てた彼女の家だった。
とまあ、一途な女の愛を賛美したミス・グラツィエッラコンテストが、70年も前から続いているのだという。
コンテストの優勝者は、絹に金糸の刺繍をあしらった伝統衣装を身に着けてお披露目をする。
まるで、”蝶々夫人”。
でも、プロチダの漁師や航海士を生業として長らく家を空ける男と、それを待つ女の構図が、”グラツィエッラ”を厚く指示する理由だろうと思う。

最後に、プロチダの家庭料理「溺れダコ」。
素もぐりでも簡単に獲れるタコを、オリーブオイルとニンニクで風味をつけ、もぎたてトマトを入れて40分煮込み、摘みたてパセリを散らして出来上がり。
海と陸の恵みを一緒に美味しく頂ければ、ほかにどんな幸せがあるのだろうか。

海の恵みとおもちゃ箱のようなプロチダも、訪れたい街リストに追加しよう。

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