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M.H なんでも BLOG ★★★★★

2004年11月からスタートしてまもなく20年になります!
これからも、時間を造って書き込みします!

お知らせ!

2007年03月21日 | 芝居
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 ●劇団アクター・ギルド公演のお知らせです!●
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H19年4月1日(日曜日)2時開演

『楽 屋』 清水邦夫/作
『おーい、助けてくれ!』W.サローヤン/作 倉橋 健/訳

の2本を
富山県民共生センター サンフォルテホール
で、上演いたします。

入場料 1,000円
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夜行列車で戻ってきました。
結構病み付きになりそうです。
東京で軽く?呑んで電車の中で
横になって・・・・・。
上越新幹線JR東日本も全席禁煙
になったことだし、これからチョクチョク
利用しちゃおうと思っています。


夜行列車【ほくりく】

車内はこんなものです


高山・白川郷(最終)

2007年03月18日 | 旅遊記
パソコン立ち上がらす!
画面が黒くになって・・・・・。
またか!と思いました。
2005年の誕生日のプレゼントで貰ったPCですが、
まもなく2年目を迎えます。
強制終了させて。電源を抜いて静電気を放電させ、
起動、1回目失敗。
今度、切断時間を少し長くして、再び再起動。
OKでした。
このPC、買ってしばらくして全然立ち上がらず
ドック入り、1年未満だったので無料で修理。
元々5年間の保険に入っていますから、いいのですが。
また修理かと・・・・。
動いて良かったです!
この時期乾燥すると静電気でこんなケースがよくあります。
湿気も悪さをするが、皆さん気を付けましょう

さて、明日から恒例の東京出張へ出掛けます。
これで、しばらくお休みします。

高山・白川郷 最後のUPです。
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41号線神岡~古川
池?名前わからず

数河高原近くの池
凍っていました。

流葉スキー場

41号線沿いにある流葉スキー場 
雪はありますが、リフトは
止まっていました。

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白川郷から荘川へ向かう途中


帰雲城(かえりくもじょうし)

寛正六年(1465年)、向牧戸城主であった内ヶ島為氏が新たに築いた。
二代雅氏を経て三代氏理は、天正十三年(1585年)に羽柴秀吉の命をうけた
金森長近軍が飛騨に侵攻すると、金森氏に恭順して所領を安堵される。
しかし同年十一月二十九日に起こった大地震で帰雲山が崩落。
土石流によって城と城下町が埋没し、内ヶ島氏は一夜にして滅亡してしまった。

天正13年(1585)8月、羽柴秀吉は、
命に従わない富山城主の佐々成政を討つため京都を出発、
それにともない越前大野の金森長近には飛騨の攻略を命じました。
飛騨の三木氏が秀吉に従わず成政と組んだためです。
帰雲城城主内ヶ島氏理は成政に頼まれて越中に
援軍として出兵していました。金森軍は飛騨に向けて進軍し、
その通路には白川郷があります。
内ヶ島の南にあった牧戸城は簡単に占領されてしまいましたが、
何故か帰雲城を攻めずに三木氏への討伐へと進んで行きました。
金森軍が飛騨の三木氏を破った後、
帰雲城城主内ヶ島氏理は金森軍に降伏しましたが、
何故か白川の領土を少し取られただけで済みました。
これは、もともと金の力によって
秀吉側と内通していたためではないかと推測されています。

七つの金山から百二十年間にわたって発掘された黄金の一部は、
足利義政の銀閣、上杉謙信の飛騨攻めの際の帰雲城無血開城への
餞別、織田信長の安土城、豊臣秀吉の大阪城の建立等に献上されたが、
鉱山からの物は全て掘った者の物。
掘り出された黄金の半数以上は
帰雲城に残っていたと考えられる。
 天正大地震は天災であり、予見されるはずもない。
従って一部は隠匿されていたとしても多くの金銀などは
通常の状態のまま、帰雲城に置かれていたはずである。
埋蔵ではないのである。
そこへ土石流が襲いかかってすべてが埋没した。
埋没した黄金の量は古来の伝説により二兆円と推定されている。

写真の城跡は、ここかどうか?は判りませんが、
この近くに凄い黄金が残っている
かも知れませんね!
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   荘川高原

白樺が綺麗でした。

近くには桜の名所がありますが、
まだ、咲いていませんでした。

高山・白川郷(第三報)

2007年03月17日 | 旅遊記
高山・白川郷(第三報)
    



飛騨八幡宮
屋台会館
桜山日光館

秋祭り【飛騨八幡宮例祭】は山車11台
からくりは1台だけ
mは全てにからくり人形があると
思っていたら、そうではなかった。
テレビ等の放映では、確かにからくりしか
映されないからだと思う。

春はからくり人形は3台?
違っていたらゴメン!

祭は春と秋があるが、共に高山祭ですが、
元々は祭の主旨が違う。
秋はこの飛騨八幡宮の祭ですね!

飛騨八幡宮】

飛騨八幡宮神社

屋台会館】

秋祭に使用される山車の展示(代表展示)


車も豪華です!



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【桜山日光館】


屋台会館の隣の桜山日光館で
日光東照宮の模型(1/10)が展示されていた。
偶々、屋台会館の入場券に桜山日光館の
セットになっていたので、入館して来ました。

33人で15年掛けて造った模型です。
富山県出身の方が中心に造ったと
以下にコメントが記されていた。



沢山写真撮りましたが、一部をUPします
日光東照宮の模型





一部を拡大撮影したものです。
凄い細工ですね。

十分の一の模型を何故造ったのかは不明だが、
それにしても、凄い!
細部の造りも素晴らしいし、本物以上
のような気がしました。

この会館に行けば、観れると思いますが、
是非、観る価値はあると思いました。

高山・白川郷(第二報)

2007年03月17日 | 旅遊記
高山は富山から車で2時間半で行ける。

観光の街で、特に春、秋の祭りは有名です。

今の時期は、目玉も無いのだか、平日でも

観光客が多い。陣屋前での朝市は午前中。

白川郷から高山に11時半に到着した。

この陣屋前で、朝市が開かれていた。

女性同士や外人客も多い。流石が観光の街。

昔の造りをそのまま残した通りに人気がある。

近くには、平湯温泉、奥飛騨温泉、下呂温泉など、

また近くには上高地や車で行ける乗鞍スカイラインもある。


高山祭は春4月14、15日に
秋は10月9、10日に行われる。

雨が降れば、山車は出ないが祭の延期はない。

秋祭りの山車が屋台会館に展示中。
第3弾でUP予定。

祭の時期は、古い町並みは大勢の観光客で身動きが
取れないだろう。
今回は平日だったので、比較的空いていた。


高山・白川郷(第二報)

古い町並


お昼までは朝市が開かれていたが、
これは古い通りの店先。
白川郷の民宿で戴いた『ころ芋』もありました。


mの行くところはやっぱり酒蔵ですね!
試飲やって来ました。
 外人さん多かったですね!


偶々、空にクロスした飛行機雲を発見!


ここにも人力車!


昔懐かしい看板!
高山には骨董品屋が多い!
これも商売ですかね。

白川郷 第1報

2007年03月16日 | 旅遊記
15,16日と岐阜の高山、白川郷へ行って来ました。
今回は某協会の移動部会。
mは8人乗りの車を友人から借りて高山で東京組と
合流して白川郷へ。
《家族用にVOXY‐Z煌(きらめき)HDDナビ付)
 買うこと決めた》

天気に恵まれて、たいへん楽しい旅になりました。
取敢えず第1弾を紹介します。
途中、数河高原、飛騨古川を散策して高山へ、
高山でランチして白川郷へ行きました。


高山・白川郷(第一報)


数河高原・・・屋根の雪下ろしをしていました。


飛騨古川町
倉のある町、鯉の町

飛騨古川


高山で飛騨牛でランチ
13日は松阪で松阪牛、今回は高山で飛騨牛・・・なんてラッキー!


御母衣ダム・・・石積みのダム


白川郷・・・合掌造りの屋根の葺き替えに遭遇


白川郷・・・・展望台【夕方】


白川郷・・・展望台【朝方】
丁度、雪の具合も最高でしたね!


合掌造・・・神田家 【内部は後日UPします】


白川郷・・・・合掌造の民宿で宿泊(源作さん)
飛騨牛、○○芋、岩魚、山菜てんぷら等
たいへん美味しく戴きました!取敢えず第1報です!
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(追加)

雪の白川郷の朝


以下は神田家を紹介します。

神田家

囲炉裏

屋根吹き道具

2階からの眺め

萱はススキでこれを縫う針