M.H なんでも BLOG ★★★★★

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北前船「みちのく丸」

2011年08月11日 | 
  

北前船「みちのく丸」が富山新港に停泊中。
平成の北前船「みちのく丸」が、今年の夏に富山など日本海側の9道県を巡っています。
富山県には8月12日から3日間、射水市(旧新湊市)の富山新港の海王丸パークと富山市の富山港岩瀬地域に寄港し、帆走や船内見学会などの催しが計画されています。昨日から富山新港に寄港中。明日、富山新港でオープニングセレモニーを行うほか、新湊-伏木間を帆を張って航行します。13日は富山新港、14日は岩瀬の富山港で船内を公開される予定です。日本海の物流と文化交流を担った北前船の歴史に触れるいいチャンスです。

富山新港に停泊中の復元された北前船「みちのく丸」


      



      



「みちのく丸」について 
・・・みちのく丸のHPから紹介・・・
「みちのく丸」は、日本古来の和船の建造技術や北前船の歴史を後世に伝えようと、青森、岩手、北海道の船大工の手で建造され、2005年に進水しました。
当時の船の構造を忠実に再現されている一方、航海に耐えられるよう現代の技術も取り入れられております。
北前船は、幕藩体制の整備や商品経済の全国的発展を背景に、江戸後期に隆盛期を迎えた民間の運送船。大阪から北海道まで、日本海と瀬戸内海を往復していた。荷物を運ぶ運賃を利益とするのではなく、港々で産物を買い入れ、価格の高い土地に運んで高く売る「商社」のような経営方法を特色とした。最盛期には、千石船(約150トンの米を積載可能)で一航海するだけで、船の建造費に相当する千両の儲けがあったといわれる。汽船の発達や鉄道網、通信の普及など近代化の波に飲まれて、1880年ごろから急激に衰退した。
北前船は、幕藩体制の整備や商品経済の全国的発展を背景に、江戸後期に隆盛期を迎えた民間の運送船。大阪から北海道まで、日本海と瀬戸内海を往復していた。荷物を運ぶ運賃を利益とするのではなく、港々で産物を買い入れ、価格の高い土地に運んで高く売る「商社」のような経営方法を特色とした。最盛期には、千石船(約150トンの米を積載可能)で一航海するだけで、船の建造費に相当する千両の儲けがあったといわれる。汽船の発達や鉄道網、通信の普及など近代化の波に飲まれて、1880年ごろから急激に衰退した。

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