さて、カモのお尻の2回目です。
あれから違う雑誌の記事も読んでみました。なので、そこで得た情報と合わせて、まずおさらいをしてみます。
やはり、CDCフライの発祥地はジュラ山脈のスイス側の小さな村と町のようです。ジュラ山脈の川は当時から鱒釣りで有名で、フライ先進国のイギリスから釣り人が訪れていました。彼らの使う毛鉤を見本に二人のフライマンが、カモの尻の毛を使ったのが始まりなのです。100キロ近く離れたフライマン二人が、期せずして同時期にカモやアヒルの尻近くに生えている毛を試してみた。そしたら、そのフライは気難しいジュラの鱒たちにとても効果があった。それゆえ、釣り人の評判を通じてだんだんと広がって行ったのです。
ひとりはクルフェーブルという小さな村のマクシミリアン・ジョゼ。彼のフライは「ジュラの蚊針」と呼ばれた。もう一人はヴァロルブという町のシャルル・ビッケル。彼のフライは「ヴァロルブのフライ」と呼ばれた。そう、この時代には、まだ「CDC」という名称はなかったのです。
前回はここまでお話ししました。
その後、ジュラ山脈の向こう側、フランスのアンリ・ブレッソンという人がその評判の毛鉤を自分でも製造販売する時に、CDCという縮約語を使い始め定着したようです。アンリ・ブレッソンといえば、プートというフライの考案者として有名ですが、CDCの名付け親でもあったようです。
アンリ・ブレッソン
プート
CDCはCul de Canardの縮約語と言いましたが、フランスのムーシュ・ドゥボーのカタログを読むと、Croupion de Canardという言葉が使われていて、Culという言葉は見当たりません。記事によっては、CDCはCroupion de Canardもしくは Cul de Canardと書いてあるのもあるので、少しお品よく言うにはCroupionを使った方がいいのカモ。
マクシミリアン・ジョゼの「ジュラの蚊針」は彼の教えを受けたルイ・ベアが1942年から製造販売を始めたが、1985年から1990年の間にその会社はなくなってしまったようです。でも、「ジュラの蚊針」は、今こちらで買うことができます。
シャルル・ビッケルの「バロルブのフライ」はビッケルがヤスリ工場を辞めて立ち上げた会社で製造販売したが、こちらも1960年~1970年頃には生産されなくなったようです。
よく釣れるローカルフライが評判になって鱒釣りの国々に広がり、多くのフライマンが使うようになった。しかし、発祥となった毛鉤工房はなくなってしまったという、少し皮肉な歴史があったのです。
CDCフェザーをフライタイイングに使うというアイデアは、アンリ・ブレッソンによりジュラ山脈の外へ広められた。ただ、そのフライは伝統的なスタイルのフライにCDCフェザーを追加するといった使い方であった。1912年に生まれたスロベニアのマルジャン・フラトニックは、CDCフェザー1本全部を使ってフライを作るというアイデアを生む。CDCフェザーを束にしてシャンクに巻いて、さらにはウイングにも使った。ウイングを倒せばトビケラやカワゲラ。まっすぐ立てればメイフライといった具合だ。そして、彼によってフライタイイングはハックルの巻き付けから解放された。そのフライはF・フライと呼ばれ、海外版グーグルで検索するとその姿を見ることができます。
マルジャン・フラトニック
F・フライ
その後、今度はドイツのジェラール・レブル(ドイツ語ではゲルハルト・ライブレかな)がダビングループにCDCフェザーのファイバーだけを挟み込んで使うテクニックを開発し、CDCのタイイングに革新をもたらす。
ジェラール・レブル
フラトニックとレブルのテクニックは世界中に広まり、それによってCDCの持つ透光性、再現性、堅牢性、浮力、空気特性、流体特性など魚を釣るためのメリットが知れ渡った。日本にはいつ頃、どういった経緯、経路で入って来たのでしょうか。私の手元にある最も古いフライ関係の雑誌は「フライの雑誌16号、1991年EARLY SUMMER号」ですが、掲載されたフライの写真を見ると当たり前のようにCDCが使われていますので、1991年よりはかなり前だったのでしょう。また、手元にないので読んだことはありませんが、フライの雑誌社のHPによると、1990年の13号で「カモの毛は本当に効くのか」という記事が掲載されているようなので、1980年代に日本に入ってきたのではないでしょうか。
ジュラ山脈のフランス側シャンパニョルで、ムーシュ・ドゥボーを興したアン川の伝説のフライフィッシャー、エメ・ドゥボーは彼のフライラインナップにCDCを使い、Cシリーズとして発表した。例えば、コックハックルを独創的な方法でタイイングした名作A4のハックル部分をCDCフェザーで巻いたA4Cがそれだ。
エメ・ドゥボー
A4
A4C(ハックルがCDC)
ドゥボーの工房はアン川のほとりにあって、バイスの上でアイデアを表現したものをすぐ下の流れで試した。そうやってジュラのゼブラ鱒と共同開発された一連のフライは、シャンパニョルに工房が亡くなった今でも現役で活躍している。
さて、CDCフライについて、マルク・プティジャンのHPに掲載された雑誌記事をもとに、その起源と発展の発端をまとめてみました。世界中のフライフィッシャーがなかなか釣れない鱒と向き合う中で、知恵を絞りこの素晴らしい素材の使い方を開発してきた。日本の川で、難しいヤマメやイワナのライズが取れたのもその成果のひとつ。鱒と釣り人がいる限り、新しい素材の開発、もっと釣れるフライへの試みは終わりそうもない。世界中の鱒たちはきっとため息をついているカモ。
あれから違う雑誌の記事も読んでみました。なので、そこで得た情報と合わせて、まずおさらいをしてみます。
やはり、CDCフライの発祥地はジュラ山脈のスイス側の小さな村と町のようです。ジュラ山脈の川は当時から鱒釣りで有名で、フライ先進国のイギリスから釣り人が訪れていました。彼らの使う毛鉤を見本に二人のフライマンが、カモの尻の毛を使ったのが始まりなのです。100キロ近く離れたフライマン二人が、期せずして同時期にカモやアヒルの尻近くに生えている毛を試してみた。そしたら、そのフライは気難しいジュラの鱒たちにとても効果があった。それゆえ、釣り人の評判を通じてだんだんと広がって行ったのです。
ひとりはクルフェーブルという小さな村のマクシミリアン・ジョゼ。彼のフライは「ジュラの蚊針」と呼ばれた。もう一人はヴァロルブという町のシャルル・ビッケル。彼のフライは「ヴァロルブのフライ」と呼ばれた。そう、この時代には、まだ「CDC」という名称はなかったのです。
前回はここまでお話ししました。
その後、ジュラ山脈の向こう側、フランスのアンリ・ブレッソンという人がその評判の毛鉤を自分でも製造販売する時に、CDCという縮約語を使い始め定着したようです。アンリ・ブレッソンといえば、プートというフライの考案者として有名ですが、CDCの名付け親でもあったようです。
アンリ・ブレッソン
プート
CDCはCul de Canardの縮約語と言いましたが、フランスのムーシュ・ドゥボーのカタログを読むと、Croupion de Canardという言葉が使われていて、Culという言葉は見当たりません。記事によっては、CDCはCroupion de Canardもしくは Cul de Canardと書いてあるのもあるので、少しお品よく言うにはCroupionを使った方がいいのカモ。
マクシミリアン・ジョゼの「ジュラの蚊針」は彼の教えを受けたルイ・ベアが1942年から製造販売を始めたが、1985年から1990年の間にその会社はなくなってしまったようです。でも、「ジュラの蚊針」は、今こちらで買うことができます。
シャルル・ビッケルの「バロルブのフライ」はビッケルがヤスリ工場を辞めて立ち上げた会社で製造販売したが、こちらも1960年~1970年頃には生産されなくなったようです。
よく釣れるローカルフライが評判になって鱒釣りの国々に広がり、多くのフライマンが使うようになった。しかし、発祥となった毛鉤工房はなくなってしまったという、少し皮肉な歴史があったのです。
CDCフェザーをフライタイイングに使うというアイデアは、アンリ・ブレッソンによりジュラ山脈の外へ広められた。ただ、そのフライは伝統的なスタイルのフライにCDCフェザーを追加するといった使い方であった。1912年に生まれたスロベニアのマルジャン・フラトニックは、CDCフェザー1本全部を使ってフライを作るというアイデアを生む。CDCフェザーを束にしてシャンクに巻いて、さらにはウイングにも使った。ウイングを倒せばトビケラやカワゲラ。まっすぐ立てればメイフライといった具合だ。そして、彼によってフライタイイングはハックルの巻き付けから解放された。そのフライはF・フライと呼ばれ、海外版グーグルで検索するとその姿を見ることができます。
マルジャン・フラトニック
F・フライ
その後、今度はドイツのジェラール・レブル(ドイツ語ではゲルハルト・ライブレかな)がダビングループにCDCフェザーのファイバーだけを挟み込んで使うテクニックを開発し、CDCのタイイングに革新をもたらす。
ジェラール・レブル
フラトニックとレブルのテクニックは世界中に広まり、それによってCDCの持つ透光性、再現性、堅牢性、浮力、空気特性、流体特性など魚を釣るためのメリットが知れ渡った。日本にはいつ頃、どういった経緯、経路で入って来たのでしょうか。私の手元にある最も古いフライ関係の雑誌は「フライの雑誌16号、1991年EARLY SUMMER号」ですが、掲載されたフライの写真を見ると当たり前のようにCDCが使われていますので、1991年よりはかなり前だったのでしょう。また、手元にないので読んだことはありませんが、フライの雑誌社のHPによると、1990年の13号で「カモの毛は本当に効くのか」という記事が掲載されているようなので、1980年代に日本に入ってきたのではないでしょうか。
ジュラ山脈のフランス側シャンパニョルで、ムーシュ・ドゥボーを興したアン川の伝説のフライフィッシャー、エメ・ドゥボーは彼のフライラインナップにCDCを使い、Cシリーズとして発表した。例えば、コックハックルを独創的な方法でタイイングした名作A4のハックル部分をCDCフェザーで巻いたA4Cがそれだ。
エメ・ドゥボー
A4
A4C(ハックルがCDC)
ドゥボーの工房はアン川のほとりにあって、バイスの上でアイデアを表現したものをすぐ下の流れで試した。そうやってジュラのゼブラ鱒と共同開発された一連のフライは、シャンパニョルに工房が亡くなった今でも現役で活躍している。
さて、CDCフライについて、マルク・プティジャンのHPに掲載された雑誌記事をもとに、その起源と発展の発端をまとめてみました。世界中のフライフィッシャーがなかなか釣れない鱒と向き合う中で、知恵を絞りこの素晴らしい素材の使い方を開発してきた。日本の川で、難しいヤマメやイワナのライズが取れたのもその成果のひとつ。鱒と釣り人がいる限り、新しい素材の開発、もっと釣れるフライへの試みは終わりそうもない。世界中の鱒たちはきっとため息をついているカモ。
すいません、また会う日には忘れずお貸しします。
本年も大きいさかなは譲っていただけますよう、よろしくお願いいたします。
そうか、1986年だったか。とにかく、CDCの発祥地がスイスとは、意外でした。
春の渓流で使うCDCフライを考えてみなきゃね。