~経済ニュースの森の奥~ ・・マクロな視点から。

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No.7 60~70年周期で「富」は国民から国家へ移動するのか?

2005年10月07日 | 過去ファイルNo2~No10へ
本屋を今も賑わせている「国家破綻本」はこの数年間で相当売れたものと推測するが、明らかな“商売本”だったり、本を売らんが為の“空想恐怖本”も多かったりするので、私はその売上げに貢献せず図書館で時々借りたりして、ナナメ読みしています(もちろん信頼できる価値があると思った本もあるのでそれはちゃんと買います)。

そんな中で、2年前の少し古い本ですがその中のある一節だけずっと印象に残っている部分があってそれを論旨抜粋してみます。 このblogのサブタイトル通り“マクロな視点から”これからのトレンドを読むための、「仮説」のひとつです。

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「資産疎開 次の一手」 太田晴雄著より  実業之日本社 2003/9 

スイスにあるプライベートバンクのあるオーナーが語った一言が今も忘れられない。
「国家とは、国民の資産を国家の目的のために収奪する機会をいつもうかがっているものである」。
各国の歴史を改めてふり返ってみると、この言葉には反論の余地がない。
とくに日本で、遠くない過去にこのことは幾度か起きている。

江戸時代の資産家は、明治維新政府によって、資産を没収されてしまった。世の中が大変革したにもかかわらず、江戸の社会システムにどっぷり浸かっていた人々は、新しい社会システムに適応できずに地獄をかいま見た。

いまから60年前の昭和20年、第二次世界大戦の敗戦によって、国民が保有していた国債は紙くずと化した。新税によってあらかたの資産は国家に収奪され、残されたわずかな預貯金もハイパーインフレの波にさらわれてしまった。 

いま再び危機はすぐ目のまえに迫っている。国民資産の真水は1,100兆円、政府の借金があと2-3年でこの真水の部分を超えてしまう。そうなれば、政府は国債の発行をする裏づけを持たなくなり、国はパンクするしかない。しかし、国は徴税権を行使できる。結局は、国民が尻拭いさせられる羽目になるのは間違いない。

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この「仮説」に私なりの補足を加えて、要点を整理しなおすと以下のイメージでしょうか。
それは60~70年周期で国⇒民⇒国というふうに「富」が周回しているかもというハナシ。


●<130年前 江戸~明治維新> :コメ経済で築いた資産 ⇒ 新政府が没収(民⇒国へ富の移動)

○<明治・大正>:日本流の西欧型資本主義が発展、民が栄えた (民へ富の移動)

●<70~60年前> 太平洋戦争:財政破綻、預金封鎖⇒国が没収、民のカネは国の借金返済に(民⇒国へ富の移動) 

○<戦後>:日本型「大きな政府」社会が発展、「税金は少なく受益は大きく」国家は借金を重ね国民要求に応える(民へ富の移動)

●<05年現在>:民1100兆円の資産 ⇒ 国1000兆円の借金返済のため没収へ!?  (国民⇒国家へ富の移動!?)


これだけマクロ的な考え方をすると、政府の諮問機関が公務員を5%減らすとか、定率減税を廃止するとか、とりあえずプライマリーバランスを改善するとか、そんなミクロ単位ではどうにもならない「大きな流れ」の渦にたまたま我々の世代がぶつかっているということで、刹那的な達観の域で覚悟しなければならないですね。

この仮説が正しいかどうか未来に聞かないと判別できませんが、例えそうだとしてもあきらめず、歴史的な流れを断ち切って、新たなウルトラCを国民全体で構築していけるのが理想的なんでしょうが・・。 
その答えになるかどうかは別として、解決のヒントになるような記事を徐々に書いていければと思います。

1 コメント

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キャピタルフライト (ひろ)
2005-10-19 23:17:11
書かれている3ケースでは、「革命」やそれに近いことが起こっていると思います。なので、よほどのことが起こらないとそうはならないだろうな、と思います。

あと、昔は無理でしたが、今は資産を海外へ逃がして補足不能にできる可能性があります。その辺が違いを感じるところでしょうか。
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