3月になると、どぎついほどに香ってくる花に沈丁花がある。個人的にはこの沈丁花の匂いが好きである。一方、桜という花にはどうも固有の匂いというイメージがない。満開の桜の下を歩いていてもあまり匂ってこない。しかしながら桜の蕾や葉の塩漬けは口に入れるとほのかに甘く上品な桜の香りを感じる。アンパンや桜餅を食す時以外にはあまり体験しないが、どうやらこれは餡子と相性がいいようである。満開時には直接匂いを感じないが人の手で処理をほどこすとようやく香りが出てくるなんぞは、なかなか手間ひまかかって面倒くさい。この前、クックパッドで桜の塩漬けの作り方を見た。「7部咲きの蕾を塩もみして重石をかけて一晩おいて水を抜き・・・」なかなか面倒であるが、投稿者曰く「きちんとつくると極めて香りがよくどんなスイーツにもあう」のだそうだ。確かにスイーツの中に隠れている、そこはかとないあの甘い香りは桜ならではのはかなさである。それにしても作るのが面倒というよりも「7部咲きの蕾」を大量に摘んでくる作業のほうが大変であろう。一つ間違えば警官が飛んでくるかもしれないし・・・(笑)。
朝になると途端に大人しくなり、普通の中年サラリーマンになった。あれだけ昨夜周囲に迷惑をかけたにもかかわらず、本人は何も覚えていない。覚えていないので本人も罪の意識は微塵にもない。会社と連絡がとりたいとか家人には連絡したのかとスタッフに自分の都合のみをいいつけている。「ご迷惑おかけしてすみませんでした」の一言すらない。まるでホテル宿泊客のつもりでいるのかと思えた。たぶん亡くなった友人Mであれば絶対この傷病者を許さないであろう。当時私も若かった。「あの~昨日、訴訟を起こすとおっしゃっていましたが、その手続きはどうされますか?」といってしまった? 患者は「は? なんのことですか?」と。当たり前である。覚えているわけがない。つづいて言ってしまった。「覚えていないのであれば、あなたは今後お酒を飲むべきではない。あれだけ人に迷惑をかけたことやスタッフに暴力を振るったことが酒に酔っていたということで免罪されるわけがない。今後お酒はやめなさい!」 患者はポカンとしていた。何を言われても覚えていないのだから反省もできるわけがないだろう。懐かしい自分が若かりし頃の花見にまつわる思い出である。今ならこんな面倒で青臭いことは言わない。しかしながらあの時の患者は今どうしているのだろうか? もちろん二度と会いたくなんかはないが(笑)。
救命センター勤務時代は飲酒にかかわる事故や意識障害の傷病者をゴマンと診てきた。ある桜の頃であった。花見宴会の帰りヘベレケになってホームから落ちて頭皮をばっくり割って意識がない状態で搬入された傷病者がいた。何しろ頭部外傷で意識がないのかアルコールで意識がないのかは現場では分からない。傷病者は意識がないまま大暴れで検査や処置などさせてくれない。ようやっと押さえつけてCTをとって頭蓋内損傷がないのを確認しても暴れまくり、創の縫合などさせてくれない。やはり押さえつけて処置をはじめると、少し醒めてきたのか「お前ら、いいか、全員訴えてやる。いいのか、この野郎!」と臭い息を吐きながら、殴りかかろうとする。まったく聞きわけがない。今自分のおかれている状況、状態を説明しても理解してくれない。やっと縫合して点滴をしながらベッドに寝かせた。翌朝になると「はっ、ここはどこ? 私は何をしていたのですか?」と・・・。
昨年の12月に友人Mのことを書いた。9月に亡くなったのであるが生前彼はいつも言っていた。彼は飲酒に対していつも厳しかった。飲酒そのものに対してではなく、飲酒によりマナーが乱れ、そしてそれに伴って発生するトラブルに対して日本人はかなり寛容すぎるというのが彼の持論だった。酒の上でのトラブルでは「まあまあお互い酒の上でのことですから・・」と言われると彼はますます許さなかった。酒を飲んで人に嫌な思いをさせるのであれば酒は今後飲んではいけないし、飲んで責任がとれないのであれば米国のように屋外では禁酒にすべきだといっていた。確かにその通りである。おそらく屋外飲酒が禁じられている外国人が見たらこの時期の飲酒トラブルには驚くであろう。日本においてこの時期のトラブルや諍いは絶対なくならないし、毎年必ずある。警官も救急隊も大変である。でも条例はかわらないのでやはり日本人は「飲酒に寛容」なのである。とてもいい国である。
桜の下での宴会は江戸時代からあったようである。しかし現代においてはわざわざあのイモ洗いの中に身を投じてまでブルーシートの上での宴会をやりたいとは思わない。でもたった一人で桜並木を独り占めにできるような場所など東京にはないだろう。それにしてもこの季節、「桜」というものは「外で大酒をのんで高歌放吟することが認められた免罪符」のようなものなっているようだ。たぶん季節はずれにこのような野外宴会をやって大騒ぎしたなら通報されて警察にしょっぴかれるかもしれない。桜と酒と宴会と大騒ぎというのはいつの時代も桜の時期に認められた共通コンセンサスなのであろうか? 一方、アメリカではほとんどの州で屋外飲酒が禁止されている。う~ん、でも屋外バーベキューの時のビールもだめなのかしらん? それは辛い。やはり結局日本は「飲酒に寛容」なのである。
もっとも自分も自転車には乗る。以前経験したことである。前方に歩道一杯にひろがった中高年の女性(なぜだかいつも女性なのである)の一群がゆっくりと、時折立ち止まりながら歩いている。当然歩道が占領されているので自転車は前にでられない。ゆっくりと自転車に乗りながら足を地面について歩きながら一群の後ろについていた。もちろんベルは鳴らさなかった。もしベルでも鳴らしたら「あぁ、びっくりした~、うるさいねー、歩道ではこっちが優先じゃないの」と怒られるからである。しかしそのうち最後尾の一人が後ろにいる自分の自転車に気がつき、いかにも大げさに発声した。「あぁ! なによいきなりぃ、びっくりしたぁ、・・・ったく何だろうねー、ベル鳴らせばいいのに~」と・・・(唖然)。ということはマナーというのはやっぱり後ろから来た自転車は前の一群をどかせるためにベルを鳴らしていいのであろうか? う~んますます分からなくなってきた。文句をつける人はどんな角度からでも文句をつけることができるのであろう。
自転車で思い出した。いつだったかウォーキング中に自転車の親子が並走してきた。父親の子供への言葉が耳に入った。「前を歩いている人にちょっとどいてほしいときに自転車のベルを鳴らすんだよ」と言っている。あれ?それは正しい使用法なのかしらん? 歩道は歩行者優先であり、本来自転車は車道を通るべきで、やむをえない場合のみ自転車の歩道通行が可であると認識していた。そこで自転車が歩行者をどかせ道をあけさせる目的でベルをならすのは正しいマナーなのかと疑問に思う。本来であれば悠々と通行できるスペースがなければ、あくまで後ろでゆっくり待つか、自分は降りて自転車を押しながら通行するのが正しいのであろう(まあ実際はそんなことする人はあまりいないのであろうが)。お互い譲り合うというのが最優先のマナーではあるが優先されるべき歩行者の通行をベルで威嚇してどかそうという行為はやはりトラブルになったときには理由にならない。高速物体に乗車したなら歩行者への配慮が必要なのであるが・・・。
昔の人は健脚であった。自分も最近はダイエットのため検査や委員会がないときは昼間に散歩をするようにしている。石神井川から王子(飛鳥山)のコースを回るが、ここの河畔も桜がきれいである。何もないときはほぼ毎日散歩しているが、桜のシーズンの時は急に人混みになって歩きにくい。この河畔は真冬の間はほとんど人通りがないので、おもわずオイオイこの時期だけ集まってくるのかい?・・・と愚痴の一つもでてしまう。特に面白いのは中高年の女性の数がはるかに多いのである。日本人女性は元気であり世界一平均寿命が長いと言うのは肯ける。まあ桜を見物にくるのであろうから、いきなり急に立ち止まって景色を見たり、道幅一杯にひろがって通行を妨げたりしても目くじらは立てたくはないのだが、でもその一群の周囲への無頓着ぶりには時折イラッとする。また面白いのはその中をフラフラと自転車が通行してくるのである。自転車はこれも面白いことにほとんど徐行しない。危ないなあと思うのだが、きっと乗っている本人は邪魔な歩行者の一群だなぁと思っているのだろう。ま どっちもどっちであるのだが(笑)。
医者になって15~20年は「桜がきれい」という感情が起こるという心の余裕はなかった。数年に1回くらい満開の桜の下を通る機会があっても、もちろん昼間であるはずがなくそれは夜間であり、そこは花見の宴会の真っ只中であった。あの嬌声とドンチャン騒ぎの横を通りかかっても、「あぁ、きれいな桜・・」などという感情が沸き起こらないのも不思議ではない。すでに江戸時代から桜の花見の宴会が行なわれていたようである。家の近くの飛鳥山は桜の名所といわれているが、時の将軍が、庶民の政治不満の矛先を替えるため飛鳥山に桜を植え庶民の花見を推奨したのだと聞いている。確かに大昔であれば荒川方向への見晴らしもよく、遠く筑波山も眺望できたらしい。あのあたりはたぶん田んぼや畑ばかりであり観光名所であったようだが、昔の人はみんな中央から歩いてきたのであろう。日本橋から8~10km弱を往復しての物見遊山は脅威である・・・。
医者になりたての頃は桜の季節になっても「ああ桜がきれいだ、ああ満開ですごい」などとは全く感じなかった。というか感じる心の余裕がなかったのである。ほとんど朝から晩まで病院の中での生活である。家に帰らないことのほうが多かったくらいである。新しいこと、覚えなければならないことがそれこそ10分毎に襲ってくるのである。それらを頭の中で整理するのに大変であり、その場で覚えていかないと明日からの自分の仕事が進まなくなるのである。「一度教えたことは一度で覚えなさい」 これが先輩医師からの言葉であった。忘れてしまうと「あれ? この前、教えなかった?」と嫌味を言われる。周りから「一度で覚えられない面倒な奴」と思われると次から新しい情報が回ってこない。今の成人型教育技法などというものなかった時代である。怒られながら育った。そのような時代に仕事をうっちゃって、さあ桜を愛でましょうという感情などは起こってこないのが当然である。