吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

本年最終診療日

2016年12月29日 05時36分25秒 | 日記
 今年も1年お世話になりました。今年も患者さんにとって満足のいく医療がきちんと提供できたかなといつも案じております。
 こちらから患者さんに療養上の指示を厳しくお話したりすることもあり、中には気分を害された患者さんもたくさんおられると思います。
 でも結局はご自身の健康はご自身で守るのが原則です。こちらはあくまでお手伝いさせて頂くという立場にあると思っております。
 また当院の診療としては、今年1年、患者さんの致命的な病態の見逃しや手遅れはたぶんなかったであろうと、とりあえず安堵の胸をなでおろしています。

 来年も、健康な1年でありますように。 新年は4日(水)より診療開始いたします。それまでブログもお休みいたします。


お馴染みの会話 その2

2016年12月28日 15時20分36秒 | 日記
 時々、風邪の患者さんで抗菌薬(抗生物質)を出してくれと希望される患者さんがいる。

 「風邪に抗菌薬は効きませんよ」といっても「それでもいいから」と言われる。「それでもいい」と言われても困るのである。抗菌薬の不適切投与は耐性菌の誘導につながり、本人にも世の中にも大きな不利益となる。

 昔、耐性菌のMRSAで患者が死亡した訴訟では完全に医療側が負けている。効かないのならこちらも投与したくないのである。

 以前はそこまできちんと説明していた。でも抗菌薬を希望される患者さんは、そんなことでは折れない方も多く納得してくれないことが多い。

 だから最近では面倒臭いので「抗菌薬欲しいんですか? あ いいですよ。出しましょう」という会話がお馴染みになってしまった。
 5~10分かけて説明して、それでも納得されず不信感をもたれたまま手ぶらで返すより、わずか数秒の「いいですよ、出しましょう」で患者さんも抗菌薬を持って「喜んで」帰るのである。
 外来混雑時には特に「そう」なってしまう傾向が強い。

 もちろんこんなこと、いけないと分かっているのだが・・・。来年から改めるようにしないと・・・。

お馴染みの会話 その1

2016年12月27日 06時20分41秒 | 日記
 う~む・・・。風邪の時期になるとシーズン中必ず発せられる患者さんの言葉である。

「先生、自分は仕事休んでいられないので、効く薬をだしてください」と・・・。

 まあ辛いお気持ちはわかるのだが、これを聞くと「いつもは効かない薬を出している」と思われているのかと勘ぐってしまうのである。
 患者さんにはそんなつもりはないのはわかっているのだが、結構この言葉は傷つくのである。

 あんまり外来が混んで忙しいときは、この言葉でイラッとして、つい「風邪はウイルスであり効く薬などはもともとありません。諸症状を緩和する薬しかありませんよ」と言ってしまうのである。

 いかん・・・患者さんは辛いんだっけ・・。そんな言葉はスルーするべきである。

 何かなぁ~。

プーチン大統領訪日

2016年12月26日 05時26分38秒 | 日記
 この人はどんな国の首相と会談する時も必ず遅刻するようである。これはもう意図的としかいいようがない。大変礼を失している。
 彼が柔道家で柔道の精神を尊んでいるのならこんな失礼を平気でするのは考えられない。礼儀と国際外交とは別問題であるとし、彼が人を待たせるのという政治的戦略をとるのは分かる気もする。

 しかしこの行動はとても潔いものとは言えない。巌流島の宮本武蔵のように小次郎を待たせてイラつかせたのと同じ戦法なのかもしれないがあれは勝つための兵法であり、武道の精神とは異なる。
 宮本武蔵は勝つための兵法者であるが精神性を重んじた武道家ではない。

 いずれにせよソ連はポツダム宣言を受諾した後から調印するまでのドサクサにまぎれて(つまり調印前に!)北方4島を占領し、また多数の日本人をシベリアに抑留した。
 シベリア抑留についても断罪されるべきだが、もし武道家だと言うのであれば無条件に4島を返すのが柔道家の潔さだと思う。

 安倍さんもプーチンが来る前に温泉につかって待っていればよかった。そしてプーチンが到着したら「あ こっち、こっち!」と湯船から手招きしたならきっと喜ばれただろう。そして二人で湯船につかりながら「温かいですね~。当時、シベリアの日本人も熱い温泉に入りたかったでしょうね~」と嫌味の一言でも言ってほしかったのだが。

無資格医による手術 その3

2016年12月24日 05時43分45秒 | 日記
 今後、裁判になった場合は、これらの問題点をきちんとわけて論じないと不当な裁判結果がでることになる。多くの場合の誤解は、無資格医の行った堕胎手術後の患者死亡 イコール 無資格医のミスということになろうが、ここはきちんと明確にしておくべきである。

 現状で明らかな事実は堕胎手術を行ったのが無資格医だったということのみである。それ以外のことはきちんと検証すべきである。無資格医といえ、本当に症例数が少なく技術的に拙劣であったのか? また手術と死亡の因果関係は本当にあるのか? これを原告側はきちんと証明しなければならない。

 医療行為にともなう結果は不確定なものである。決して医療とは治療後の予後を保証するものではない。近年では患者の死亡→医療ミスか?という連想がなされるようである。これはマスメディアが過去散々煽った結果の医療不信である。
 元気な若い女性が手術後に亡くなったのである。だからこれは医者が悪いんだと考えるご主人の気持ちもわからないではない。
 しかしここは両者にとって正当でフェアな事実検証がなされるべきである。近年の医療裁判が医療側に不当に重い結果がでているのを見るにつけ、公平な裁判が行われることを切に願うものである。

無資格医による手術 その2

2016年12月22日 06時12分28秒 | 日記
 県医師会に入会しないと優生保護法指定医の認定が受けられず堕胎手術ができないため、職務遂行上やむなく入会するのであるが、公立病院の中には出費を抑えるために「婦人科部長一人の予算はだすが、その他の婦人科医には予算を組まない」というところもある。
 必要上、堕胎手術をする医師は病院が出してくれなければ入会費、年会費(これがまた高い)は自腹を切らざるを得ない。

 いかにも報道では「無資格医イコール技術的に稚拙」というニュアンスで報道されたが、しかしこのような構図であるため、資格の有無と技術の優劣とはまったく関係がない。
 これは車の運転免許に例えるなら、免許保持者のペーパードライバーと、無免許のまま10年もの間毎日無事故で運転している者との技術的な違いとも置き換えられる。
 「無資格者の手術→技術的に稚拙→だから死亡した」というニュアンスがあるが、これは論旨の展開としてはまったくの誤りである。

 また手術後6日後の死亡である。はたして堕胎手術との因果関係があるのか疑問である。しかも解剖(行政解剖?)が行われており、死因は不明であると。
 堕胎手術にともなうものであれば子宮穿孔による腹膜炎か、胎児、胎盤附属物の遺残による産科的DICか、あるいは肺塞栓などを考えるが、これらは解剖にて判明するはずである。それが原因不明なのであれば、本当に不明なのであろうと思われるのだが。

無資格医による手術 その1

2016年12月21日 05時38分56秒 | 日記
 無資格医と言っても「優生保護法の指定医」の資格のことであり医師免許はきちんと保有している医師の事故であるが、この医師の堕胎手術の6日後に女性患者がなくなったという事件があった。
 ご主人は提訴の用意があるらしい。TVのニュースでちらりとやっただけで詳細は不明であるが慎重に、かつ正確に手続きを進めなければならないと思う。
 まず優生保護法の指定医を保持しないということがどういうことかの理解である。
 通常の医師なのであるから医療行為は可能である。しかも一昔前はその科(婦人科)にひとり優生保護法指定医がいれば、その他の医師は資格がなくとも堕胎手術ができたのである。
 どうやら堕胎術を行う医師全員が保持を義務付けられるようになったのは最近のことらしい。この資格は県(都)の医師会が認定するものである。県医師会に入会するのは地区医師会にも、そして日本医師会にも入会することが義務付けられている。県の医師会だけの入会というわけにはいかないのである。そして皆自腹での入会なのである。
 医師会は任意団体なので病院勤務医の多くは入会しないことが多い。
 つまり産婦人科医であっても優生保護法指定医を保有していない医師も多いものと思われるのだ。

パク大統領の空白時間 その2

2016年12月20日 06時35分17秒 | 日記
 しかし今回、今頃になって「空白の7時間」などと騒ぎ立てているがポイントがずれまくっているとしか言いようがない。
 大事なことは沈没中に日本が「要請があればいつも救助に向かいます」と救助準備を整え公式表明しているにもかかわらず、それを拒否したため死者が増えたかもしれないということである。
 あの稚拙な海上警察の救助を見ていたら、日本の協力でもっと助けられたかもしれないのにと思うのは自分だけではなかろう。
 大統領がその時7時間何をしていたかなどはどうでもいいことである。あの時なぜ日本の救助を拒んだのかという世論が、どうして韓国国民の中に巻き起こらないのかが不思議なのである。
 多くの前途有望な若者たちを亡くしても、大嫌いな日本人なんかの救助など受けるものかという発想がもし韓国民にあるのならとても悲しいことである。
 このような事故で死傷者を一人でも減らすにはどうしたらよいかという議論が韓国国民側にない。それは空白の7時間の追及ではないはずである。

 今回、弾劾が成立した直後、感激して大声で泣きじゃくる市民の姿が映された。でもこれを見て次回同じ事故が起きてもたぶんこの国では同じことになるのだろうなと思うのである。

パク大統領の空白時間 その1

2016年12月19日 06時09分25秒 | 日記
 数年前のセオウル号難破事件で、朴槿恵大統領が事故後7時間も対応しなかったことが、なんだか今頃になって司法当局により追及されている。何で今頃なのか不思議である。大統領就任中は司法の裁きを回避できるなどと言う法律があるからなのであろうか? とういことで弾劾が成立した今だから俎上に乗せられたということなのか?
 しかしなぜ韓国マスメディアは継続して難破事件の責任を事故直後から追及し続けなかったのであろうか? あの時、毎日新聞ソウル支局長が、韓国メディアから発信された朴槿恵大統領の疑惑報道を引用しただけで身柄拘束された事件もあったが、あれは一体何だったんだということもある。
 あの時は大統領を侮辱したという罪がきせられた。それならば引用ではなく直接大統領の疑惑を報道した韓国メディアのほうは侮辱していないのかと不思議になる。
 そして今回の司法当局のパク大統領への追及は弾劾されたとはいえ、これこそ侮辱していないのかい?といいたい。
 まああの不当拘束は「日本人が大嫌いな韓国人」の日本いじめのスケープゴートだったのであろう。

感染性胃腸炎

2016年12月17日 06時03分01秒 | 日記
 そろそろ感染性胃腸炎の患者さんが増えてきた。
 おおもとの感染源は生ガキにノロウイルスが付着していてカキを生食しない限りはめったにり患しないはずだったような気がするのである。
 でも最近の感染形式はカキ→ヒトよりもヒト→ヒトがほとんどである。
 ひどい下痢をしている患者さんに「周りに同じような症状の人いませんでしたか?」と聞くと「職場に同じ人がいました」とか、「5歳の息子の吐物を片づけました」とか明らかな場合が多い。
 やはり爆発的流行の感染元としては「集団生活している子供」なのである。つまり幼稚園や小学校の生徒である。

 この前、同様の症状を呈する若者に同じ質問をした。
 しかし全部否定されたので、最後に「もしかして生ガキは?」と聞いたら、「あ~食べました」とのこと。 何だか妙に新鮮な気持ちになった。実はこれが本来ではオリジナルの質問なんだけど、最近ではめったにお目にかかれない・・。

N賞授賞式

2016年12月16日 06時15分00秒 | 日記
 この前、ノーベル賞の受賞式が行われた。日本人の連続受賞もすごいが、気を引いたのはボブ・ディランの受傷である。かなり前のブログにも書いたが彼の受賞には極めて違和感を覚えている。自分勝手なイメージ解釈ではあるが、彼なら受賞辞退の方が「らしい」とも書いた。

まあでも、もし受けるのならきちんと出席すればいいのに、なんとも授賞式は欠席するが受賞は辞退しないという中途半端さがとても嫌になった。

 そしてもっと違和感を覚えたのが、パティ・スミスの「激しい雨が降る」の歌唱である。彼女の唄に感動したなどというネットの書込みもあったが、ん~、そうかな?
 まあ唄はプロなのでヘタではない。それにしたって昔の迫力は見る影もなかった。しかしそれ以前のこととして自分はまず何で彼女がディランズ・チルドレンの代表なんだと不思議に思ったのである・・。人それぞれであるが、もっとあの場で唄うのに相応しいチルドレンはたくさんいると考えるのであるが。

紅葉の季節 その4

2016年12月15日 06時32分39秒 | 日記
 でもつらつら考えてみると、「中国人だからできない、日本人ならマナー守れる」という仮説も正しくないのである。近年の東南アジアから来訪する旅行客の中には十分、気配りもできてマナーも守れる礼儀正しい人たちも多い。そして日本人の中にも前述のような空気を読めない勝手気ままな旅行客も多い。
 となると結局は個人の資質に関する問題であり、お国柄が違うことによるマナー違反ではなさそうである。

 一般的に若者の場合、外国人、日本人かかわらず目につく若者は(こういう表現をすることで自分がすでに若者でないことに一抹の寂しさも感じるが)、無軌道で常識外れであっても、ある程度は許されるのである。
 それは「若者の自由度」の中に存在する特権として認めてあげてよいと感じるのである。
 若者は、自由な振舞を自分で矯正したり人から糾されたりして、軌道修正しながら次第に「窮屈でつまんない大人」へと成長するのである。だから若者はいい。
 
 でも、すでに完成形を求められる今回の老齢グループの行いには自分は頷けない。あの人達がどのように振舞おうと今の時代は自由である。でも人に迷惑をかけておいて知らん顔であれば「大人の階段踏み外したのね」と思わざるを得ないのである。とても寂しい気持ちになった。

紅葉の季節 その3

2016年12月14日 05時58分13秒 | 日記
 さてそんなこんなでバスは山道を走り続けたのであるが、とあるバス停で数名の高齢者(と思われる)グループが降りた。
 しかしバスはいつまでも発車せず乗車口のところで何やらザワザワしているのである。車内の混雑もありバスの後ろにいる自分には何が起こっているのか、前で起こっている状況が見えない。今おりた客が乗車口のところで運転手と何か話をしているようだ。
 その客はまた外に出て集団(といっても4~5人)の面々の点呼をしているようである。その間は運転手も発車できないでいるのだ。
 ほどなくして乗降口の外から女性の大声が車内に向かって発せられた。「〇〇さぁ~ん、お父ぉさ~ん、まだのっていますかぁ~? ここで降りるの?」と・・・。
 その声に驚いたバス内にいた老齢の男性は慌てて「次だ、次!」と叫んだ。
 そしてその一度降りていたグループはまたぞろぞろとバスに乗り込んできたのだ。

 このバスは公共のバスである。彼ら4~5人の貸し切りではないし彼らは子供の遠足でもない。
 今は紅葉の混雑時期である。混んでいる時は各自がどこのバス停で降りるのかは前もって覚えておくのがマナー。しかも車内放送であれだけ運転手に「スムーズな下車を」と何回もアナウンスされているのもかかわらずこうなのである。
 彼らは日本人の、いやしくもいい大人のグループである。中国人ならしょうがないと思ったが、このお行儀の悪い日本人のグループはきちんと小学校にいったのであろうかと感じた? 日本人だっただけに余計に嫌な思いがした。

紅葉の季節 その2

2016年12月13日 06時43分36秒 | 日記
 さて途中のバス停でどやどやと数名の若者、女性の集団、家族連れなどが乗り込んできた。
 最初に乗った女性の集団の中で先頭の女性が、奥の空いたスペースまで詰めず通路の途中で立ち止まってしまった。そのため後から続く者がバスに乗車できない事態が発生したのである。

 バスの乗降口では乗りかけている客が「詰めてよ~」という表情で中を覗き込んでいる。しかしこの諸悪の根源であるこの女性はスマホに目を落としたままつり革につかまって動こうとしない。
 ちょっとしてから顔をあげてバスの乗車口を見たので、ようやく事の成り行きを察し奥に詰めるのかと思いきや、またスマホに目を落とした。マナーどころか空気すら読めていない。

 結局、乗車口のところにぎゅうぎゅう詰めのままバスは発車した。なんだ、こいつらぁ~と思いつつその集団の会話をきいていたら「中国語」なのである。
 残念であるが日本のマナーや気配りは通用しないのかもしれない。自分はコスモポリタンのつもりでいたので自国、外国の区分けはしないつもりではあるが、この光景には腹が立ったのである。
 まあこのグループは日本の初等教育を受けていないということであきらめることにした。
 でも他国を旅行する時はその国のマナーは覚えるようにするのが常識と思うのであるが。

紅葉の季節 その1

2016年12月12日 06時35分57秒 | 日記
 そろそろ紅葉の季節も終わりである。
 今年は11月に日帰り箱根登山に行った。登山ポイントまでバスで移動。紅葉の季節なので朝から箱根のバスは満員の混雑。
 運転手は度々アナウンスで「車内大変混雑しております。お立ちの方は途中立ち止まらずに奥までお詰めになって一人でも多くの方がご乗車できるようご協力ください。また道路、渋滞していなくともバス停での停車時間が長くなりますとそれだけで路線全体で30~1時間の遅れが生じます。お降りになるかたはお降りになるバス停近くになりましたら乗車券、周遊券などをあらかじめご用意くださりスムーズな下車をお願いします」と何回も言っているのである。

 公共交通機関では乗客は譲り合いなど当たり前のこと。こんなこと小学校でマナーとして学んできているはずである。・・・にもかかわらず「小学校行っていたの?」と思われるような乗客も多いのである。