吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

認知症の徘徊 その4

2016年10月31日 06時20分38秒 | 日記
 このような介護の現場はきつい、給与はやすい、そしておまけに訴訟リスクまでも高くなるなら、誰もここで働こうとは思わない。事実このような判決例は増えている。世の中医療費がかかりすぎるということで国は介護事業に力を入れ始めた。しかし十分な手当てが介護業界にないなら人も集まらず、施設も閉鎖になるだろう。今後、訴訟が増える様なことでは介護業界も崩壊していくだろう。

 それにしても対価を支払っているということで、認知症者の管理責任まで全部施設側へ「移譲」されてしまうのであろうか? だとすると今の対価は責任の重さに十分見合うだけのものなのであろうかと思ってしまう。とても不思議なのである。

 それでは認知症者が施設からではなく自宅から家族の目を盗み徘徊に出て、もしその先で亡くなった場合はどういう扱いになるのか? 家族は遺棄したということで「保護責任」を問われないのであろうか?
 あるいはあの列車事故のように家族には責任がなくなるのであろうか? いずれにせよかなり介護施設に対しては厳しい判決である。今後、介護業界は怖がって尻つぼみになる可能性がある。

 現在、産科医のなり手が激減し産科医療は崩壊しつつある。すべてとは言わないが原因の大半は大野病院産科医逮捕事件(最終的には無罪)である。常に逮捕されるんじゃないかと毎日思いつつ仕事をしている業界では誰も働きたくないとうのは当然である。

認知症の徘徊 その3

2016年10月29日 05時54分11秒 | 日記
 何だかこの二つの判決はどうもチグハグ感が否めない。
 まず認知症者については家族の見守り義務はあるが、それは個々の事例によって異なるとのことである。つまり今回のように家族が目を離した隙に徘徊しておこした事件でもまったく免責になるのである。この列車事故の時にケガをした乗客がいたとしたら「残念ですけど事故をひき起こした方は認知症なのでしょうがないんですよね」ということになる。

 一方、デイケアセンターに通所中であるが、これも目を離した隙に施設から飛び出し徘徊し死亡したのであるが、これは管理責任が施設側にあるとされた。
 平たく言えば、「自宅ではなく施設で起こった事件は施設の責任でしょう」という判断である。これは認知症者の管理責任が(対価を伴うが)施設側に移ったことになる。この場合も列車事故の場合と同様「目を離した隙に・・・」の事故なのである。
 デイケアセンターの勤務者の給与はかなり低いと聞く。行政が決めた料金表を用いているはずである。介護の現場は、仕事はきつい、給料は安い、かといって徘徊したり暴れたりする人を椅子に縛り付けるわけにもいかない。とにかくかなり手はかかるのである。

認知症の徘徊 その2

2016年10月28日 06時20分33秒 | 日記

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<認知症>徘徊し女性死亡 通所先施設に賠償命令 福岡地裁
毎日新聞 9月9日(金)22時59分配信
 徘徊癖があった認知症の女性(当時76歳)が通所先のデイサービスセンターから抜け出し、そのまま死亡したのは施設側の責任として、女性の夫ら遺族3人が施設を運営する社会福祉法人「新宮偕同園」(福岡県新宮町)を相手取って計約2964万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、福岡地裁(平田直人裁判長)は9日、施設側の過失を認めて計約2870万円の支払いを命じた。
 判決によると、女性は2012年11月にアルツハイマー型認知症と診断され、13年12月から施設に通い始めた。14年1月23日昼ごろ、施設非常口から抜け出し、3日後に施設から約1.5キロ離れた畑で死亡した状態で見つかった。司法解剖で死因は凍死と判明した。
 平田裁判長は「施設職員は女性に徘徊癖があることを認識しており、見守る義務があるのに違反した。施設は職員を指導監督するべきだった」と指摘。施設側の「抜け出しても死亡までは予見できない」との主張を退け、「徘徊すれば独力で帰ることはできず、低体温症で死亡することは十分あり得る。義務違反と死亡に因果関係がある」と結論づけた。【吉住遊】
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 この事例では、デイケア施設から抜け出して徘徊した結果、患者さんは亡くなったとのこと。この責任は施設側に「監督義務」があるとしてデイサービスセンターの敗訴になっている。

認知症の徘徊 その1

2016年10月27日 06時48分27秒 | 日記

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 愛知県大府市で2007年、認知症で徘徊中の男性(当時91)が線路にみだりに侵入し列車にはねられて死亡した事故をめぐり、列車往来を妨害したとしてJR東海がこの男性の家族に約720万円の損害賠償を求めた訴訟があった。この上告審判決で、最高裁第三小法廷(岡部喜代子裁判長)は2016年3月1日、介護する家族に賠償責任があるかは生活状況などを総合的に考慮して決めるべきだとする初めての判断を示した。
 そのうえで今回は、妻(93)と長男(65)は監督義務者にあたらず賠償責任はないと結論づけ、JR東海の敗訴が確定した。
 民法714条は、重い認知症の人のように責任能力がない人の賠償責任を「監督義務者」が負うと定めており、家族が義務者に当たるのかが争われた。JR東海は、男性と同居して介護を担っていた妻と、当時横浜市に住みながら男性の介護に関わってきた長男に賠償を求めていた。
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 認知症の方の監督責任は、個々の事例により異なるが、この判例ではご家族にはまったく責任がないとの判決である。もしこの列車事故で列車車内乗客にけが人が出ていたならだれの責任になるのか? これもすべてJR側の責任になるのであろうか?

プーチン大統領のカレンダー

2016年10月26日 06時53分13秒 | 日記
 昨日ニュースでロシアのプーチン大統領が国民向けにカレンダーを売り出した。強い自分を誇示するためのものであるが、飛行服に身を包んだ写真なども掲載されているようである。そして写真にはコメントがあるとのこと。この飛行服の写真の横には「他国の資源も領土もいらないが、脅されれば武力で対応する」と書かれているようである。
 あっそう・・・「他国の領土はいらない」なら終戦直後のドサクサにまぎれて持って行った北方領土返してくれと言いたいのだが。

 モノ言えば唇寒し・・・。

輸血と献血 その2

2016年10月25日 06時48分30秒 | 日記
 輸血歴の所にチェックされているものだから、輸血時の詳細を問診したところ、「あ~随分若いころに元気があり余っていたので、ホラ、駅前でよく見かけるでしょうあのバスみたいなところで・・・」  
 それは輸血ではなく献血である。 ご本人は完全にその行為を輸血と思われているようである。確かに自分の血液が輸血に用いられるので「それこそ輸血だろう」と言われればそうなのである。

 でも一般的に「自分の体内に人の血液を受けることを輸血といい、輸血に用いる血液を自分から提供することを献血」というのである。何もこんなことは当たり前じゃないかと思われるかもしれないが、本当に勘違いされているので診察時に訂正しなければならない。難解な医学用語だとも思わないが、でも毎年1~2人の方が間違える様なのである。笑い話ではない。
 なので既往歴の輸血にチェックしてある方には全員に聞くようにしている。

 でもまさかその逆であるが、輸血したことがあるにもかかわらずその行為を「献血」と勘違いして輸血歴のところにチェックを入れていない人はいないでしょうね? 何だか不安である・・・。

輸血と献血 その1

2016年10月24日 05時57分32秒 | 日記
 この違いをご存知だろうか? 何も裏のある質問ではない。 
 でも結構この二つの意味を誤解している人が少なくないことに気が付いたのである。

 6月から健診が始まっている。健診の書類で自分の既往歴を書く欄がある。この書類は個人情報なので本来は自身で記入してくるのであるが、結構この書類を白紙のまま持ってくる方も多いのである。
 しかたがないので受付で事務が面談しながら一問一答で質問してこちらで記入することになる。
 「輸血したことがありますか?」という問いであるが、昔は輸血で肝炎にり患したりすることもあったのでこのような質問項目がある。

 さてここにチェックがあると診察の時に詳細を伺う。
 「輸血したことがあるのですね? どのような手術でしたか? あるいは大怪我か何かされたのですか?」  「は? 手術? したことないですよ。 大怪我もしたことない」  
 「・・・? え? それでは胃潰瘍か何かで吐血して貧血になり輸血したとか・・・?」
 「は? 血を吐いたこともしたことないな」 
 「・・・? はあ、それではどんな時に輸血されましたか?」と聞いてみたら何と・・・。

オリンピック話あれこれ

2016年10月22日 06時14分58秒 | 日記
 先日、自分の予想でボート会場は埼玉の彩湖になるだろうと言ったが、この前の運営会議で早々にこの彩湖案が消滅した。まったく自分の予想もあてにならないいい加減なものであった。なんだか噂では最初の海の森案になるようである。となると長沼案も彩湖案もはたまた韓国案は、これらを出すことによってJOCや都を慌てさせ、海の森競技場の経費見直しというか経費削減を考えさせるための手段だったのかもしれない。その証拠に海の森は当初の予算より何と半分近に経費削減をさせている。

 それにしたって、当初オリンピックを東京に誘致した謳い文句は「コンパクト」であった。ところが会場は広がりつつあるし、費用もどんどん膨らんでコンパクトにはならなくなっている。これはもう世界に対して「日本は嘘つき」といわれてもしょうがない。

 かくも「当たり前のように」平気で予算を膨らませていったのであるが「これでは最初の約束と違うじゃないか」と異を唱える人が小池さんを除いて誰もいなかったのがおかしなことである。
 都民に対しても世界に対しても「嘘」をついているのに、何事もない顔で話をすすめていったのはいただけない。本来であれば前都知事と組織委員長が釘をさすべきであった。
 森組織委員長は自分が釘を刺さなかったことを棚に上げて「すでにIOC、JOCなどで決めたことをひっくり返すとはけしからん」と言い放っておりやはりこの人は信用できないと思う。本来であればIOCや都民に対しての背任であり職務は更迭すべきである。
 約束はきちんと守る・・・日本人の美徳ではなかったか?

ヤマザキナビスコ その2

2016年10月21日 05時56分51秒 | 日記
 ある日、清掃中のことである。残業していた社員の人に声をかけられた。「これ食べない?」とリッツクラッカーをもらった。
 「はあ・・あ、え? これ? はあ・・・」  きちんと挨拶もできないような高校生である。口の中でつぶやくように答えた。
 「いいよ、今食べなよ」と言われたが「はあ、あとで・・」とポケットに入れた。
 「なんだ遠慮深いんだな」とその残業していた社員は机に向き直ってまた仕事を始めた。
 その人は机でボリボリ食べている。
 自分は「今仕事中なので食べるわけにいきません。あとで頂きます」と言うべきところ、まだまだ高校生の言葉を知らない年齢だったもので口の中で自信なさげにモサモサ喋るしかなかったのである。

 しかしただでもらったクラッカーは美味しかった。と、同時にこの会社の人はみんないい人なんだと思い込みをした。もちろんたった一人からもらった好意である。これで会社全体を評価するのは早合点である。たかが高校生の自分だったので誤解かもしれない好印象のまま何となく今に来ている。
 業務提携が切れてこの商品が食べられなくなっても特段の好物ではないのでどうということはない。
 でも何となく寂しい気もする。

ヤマザキナビスコ その1

2016年10月20日 05時59分25秒 | 日記
 8月で米国ナビスコ社との業務提携がきれて、ヤマザキビスケットと社名が変更になった。
 そして長年の商品であったオレオクッキーとリッツクラッカーが生産中止になるとのことである。
 別にこれらを好きでいつも食べていたわけではない。

 しかし高校時代、夜間のビル掃除のアルバイトをしていたことを思い出した。銀座のビルでの清掃業務であるが、あるビルでヤマザキナビスコの入ったフロアの清掃を担当したことがあった。
 仕事は床の掃除と灰皿の清掃、役員室のジュータンの掃除機掛けなどである。残業している社員も何人かはいたが、当時はほとんどだれも退社していないことが多かった。かなりひろいフロアにたくさんの机が置かれており、その机の下や通路をT字型の箒で掃くのである。
 自分は医学部を目指していたが、自分も普通の会社に就職すればこういうところで働くのかなと一般社会の一部を垣間見たような気がした。

東京オリンピック ボート会場候補地

2016年10月19日 05時41分08秒 | 日記
 10月17日現在、いろいろなニュースを聞くと、どうも小池都知事は埼玉県の彩湖を会場にしようとしていると思われる。まずはコストであるが一番安くあがる。そして選手村も、宮城の長沼にした場合のような分村にしなくてすむ。ただし彩湖にするには国交省の許可がいる。そして何より「ここにしたい」という希望を自分から言うと叩かれるので独自の戦略をたてたと思う。
 まず「埼玉県さんはすでに主要な競技を受け入れており、ボート会場を彩湖にもってくるつもりはない」と埼玉県知事に言われましたと答弁した。でも実際は埼玉県知事は「そんなこと言っていない」とコメントしている。
 これは「埼玉県は彩湖を会場候補にしたくないなんてことは言っていない。そんなこと言うなら埼玉も候補地として手をあげますよ」と埼玉県に立候補させることの呼び水にしたのだと考える。ダチョウ倶楽部のギャグに似ている。

 もともと埼玉県知事はJOCの理事なのでJOCで一度決めた海の森会場をひっくり返すような発言は立場上できないのである。そこで小池さんはあんなコメントを出して埼玉に手をあげさせたのであろう。
 埼玉県たっての希望ということにすれば、国交省の許可や交渉もすんなり行きそうである。
 しかも「埼玉さんが是非に彩湖を会場にしたいと言っていますので」とすれば自分が会場を指定したんじゃないわよという言い訳も立つのである。
 小池さんは結構策士である。たぶん会場は埼玉の彩湖になるだろう。そんな予感がする。さてこの予想が当たるかどうか?

あんただよっ! その2

2016年10月18日 06時12分21秒 | 日記
 「人の振り見て我が振りなおせ」ということであるが、これに気が付かないと「自分のことは棚に上げ」ということになる。

 昔、中学時代の話である。音楽の教師(この人の風貌は山本直純に似ていたが)は少し田舎なまりがあり、そのなまりが混じりながらで生徒の生活指導をしていた。服装の乱れがあると廊下で捕まえられて指導を受けるのである。
 「キミ、ワイシャツはズボンの中に入れなさい!」「キミっ!学生服のボタンがはずれている、ちゃんとかけなさい」「服装の乱れは心の乱れ」などと言って指導するのである。

 ある日、いつものように学生服の詰め襟のかかっていない生徒を見つけた。大声で「キミ! ここしめて、ここ」と首のあたりを指して言っている。しかし生徒はニヤニヤして言うことを聞かない。余計にこの教師は語気を荒げたのであった。すると「先生・・」といってその生徒はその音楽教師の股間を指さした。
 その音楽教師のズボンのチャックは全開だった。

あんただよっ! その1

2016年10月17日 05時55分29秒 | 日記
 先日、都内の狭い歩道を歩いていたら、大人数の小学生の列が進んでいた。小学生などはおとなしく歩くわけがない。一応は2列になって片側をあけているのだが、子供たちは右へ行ったり左へいったり、また前の2列に後ろの児童が加わり3列になったり、団子状態になっていたりで落ち着きがない。

 そこで中年の女性教師が大きな声をだして「ほら、そこ!2列で歩きなさい! 片側をあけて・・・! 広がらないで歩きなさい!」と生徒たちをどなっている。

 しかしその教師の立ち位置は2列の児童の列の横について歩いているので、結局自分が横3列目を作っており、歩道の幅全体を塞いでしまっているのである。後ろからの自転車がそこの教師が塞いでいる所を追い越せずに後ろでウロウロとしている。

 まあ人を指導する時は自分も顧みなさいということであろうが、何となく笑ってしまった。おっと自分も道を塞いだらいかん・・・。

驚き桃の木山椒の木

2016年10月15日 06時04分52秒 | 日記
 今年のノーベル文学賞はボブディランが受賞した。青天の霹靂とはまさにこのことかも? ものすごい違和感を覚える。
 彼の歌詞はもちろん英語で読んでもその真意など理解できない。昔から日本人の和訳で読んだのであるが、本当に真意をつかんで和訳してるの?と思いたくなるような訳ばかりであった。
 でも中学、高校時代の自分にはこの「わけの分からない」歌詞と、投げやりでフニャフニャしてつまんない唄い方の彼に魅力を感じたのである。まあ反戦歌なども多かったのであるため、反体制派の人間というイメージもあった。
 後年日本公演も観に行ったが、何だか時々歌詞を忘れたのではないかと思われるような詰まり方もあり、バックのベーシスト(ロブ・ストーナーだったか?)に助けられていたようにも見受けられた。日本公演(日本人)をなめてんのか?とも感じた。そんな彼のイメージだとノーベル賞は似合わない。

 勝手な思い込みで申し訳ないが「ノーベル賞? なんで俺が? そんなもんいらんよ」と言ってくれることを期待しているのだが。

活動自粛 その4

2016年10月14日 06時15分41秒 | 日記
 彼の本音を知る由もないが、おそらく「何で自分だけ狙われるの?」と思っているはずである。反省などないだろう。でも反省などしなくていいのである。前回の一件でも「(自分の私生活は)関係ないじゃ~ん」と言っていた。そして公式のコメントもなかった。でもそれでもいいのである。反社会的で破天荒ならそれを貫いてほしい。彼にはエールを送る。
 だから今回も「別に・・関係ないじゃ~ん」と言っていれば認めたのだが、なんと今回は事務所からのファックスで「反省しています」と本人のコメントが出た。
 がっかりした。反省などしなくていい。謝罪するくらいなら前回の一件の時からすればよかった。このまま、今までのように破天荒な言動で押し通してほしかった。そして音楽活動も自粛しないで続ければいいのである。

 なんだか世の中の流れや雰囲気をちらりちらりと見て見ぬふりをしながら対応を変えているようですっきりしない。「俺は別に悪くない」という彼の本心(たぶん)とは、今回は違う言動になってきたのでつまらなく感じる。別に本人は目指してないだろうが内田裕也にはまだまだ遠いのである。ロケン・ロール!