フランスとイギリス (2)
ロロはシャルル三世から土地をもらい家臣になりその後、ノルマンディー公国ができました。ロロから数えて7代目にとんでもない優秀なノルマンディー公ギヨーム二世(後のノルマンディー公ウィリアム)が出現しました。
7代目は後に征服王と呼ばれるようになります。
きっかけはイングランドの王位継承にありました。その時のイングランド王はサクソン人のエドワード懺悔王になります。このエドワード、王様になる前何故かフランスのノルマンディー公国に何年かも亡命していました。いわゆる一宿一飯の大きな恩義がノルマンディー公国にありました。それでイングランド王になった時、恩返しの意味でイングランドにたくさんのノルマン人を招いて重用したそうです。ここまでは良かったのですが、この王様敬虔なキリスト教信者お坊さん見たいな人で世嗣ぎが居なかったのです。
今後、仏と英との争いはほとんどが世嗣ぎ争いと領地に起因しています。
この世嗣ぎが居ないことで跡目争い勃発しました。3人が名乗り出て抗争となりました。一人はハロルドで懺悔王の義兄、二人目はノルウェー公とそれと組んだハロルドの弟、三人目がノルマン人のギヨーム二世でした。懺悔王とは親戚だったようです、エドワード懺悔王が亡命中にギヨームとはとても親しい間柄でした。そして懺悔王の義兄のハロルドも過去に海峡で難破してギヨーム二世に助けられ、このハロルドもギヨーム二世に大変な恩義があったのです。その時はギヨームのイングランド王継承を支持するととてもできない約束をしたようです。しかし、懺悔王の死後さっさとハロルドはイングランド王になってしまいます。これでギヨームは憤慨し[ハロルドの野郎、恩を仇で返しゃがった。ただじゃおかねぞ!!!!]と怒った‼️
そして、1066年満を持して数千の兵隊💂(数はっきりしません)をもってイングランド南部に上陸しました。
ここでバトル・ロワイアルが勃発し、まずハロルド王がイングランド北に上陸したノルウェー公を討ち取ります、そして、そのハロルド(イングランド王)をギヨームが討ち取ってしまいました。有名なヘィスティングの戦いです。小生この戦いは英国の関ヶ原だと思っています。これによりサクソン王朝から現在まで続くノルマン王朝の元になりました。ノルマンつよーい‼️ これでギヨームがイングランドを征服してしまいました‼️
この様子はタペストリーに描かれノルマンディー公ウィリアム(ギヨーム二世)の英国征服として社会科の教科書に必ず載っているので皆さんも見ているはずです。
実際のタペストリーはバイヨーの美術館にあります。タペストリーは刺繍でとても長いもので日本の鳥獣戯画と良くにています。50m位あります。
ここまでの話でノルマン人がアングロサクソンのイングランドを征服したところまでです。 この続きはまたいつか書きます。
余談ですが。
映画ですが、パリは燃えているか という映画がありますが、パリの陥落直前にパリを守っているドイツ人将軍のもとにゲシュタホが訪れヒトラーがイギリスを征服したタペストリーを記念に欲しているとつたえてきました。ヒトラーを内心バカにしている将軍はそれはパリにはないと答えていたのが印象に残りました。
このパリは燃えているか? は史上最大の作戦と並び、小生のお気に入りの映画です。
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