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過去にポール・ハーヴィについて書いたが、三回目の今日は、彼の”If I were the Devil"(もし私が悪魔だったら)をご紹介したく、ここにコピーする。これは、1965年に自らのラジオ番組で放送したものだが、54年経って、これがなんと予言的であったか、驚かざるを得ない。彼はソープボックス(演台の意)の上から、悔い改めよ、と声を涸らして道を説く者ではなかったが、人が人間らしく生きることについては、どんな説教師や道徳教育の権威よりも多くを語ったのではないだろうか。私の年代の多くの人々は、「おじいちゃんとランチした時には、必ずポール・ハーヴィを聴いた」とか「ポール・ハーヴィのきっちり正午12時からの放送は、畑仕事から戻る父親と一緒にサンドウィッチを頬張りながら聴いた」と言う。私はせいぜい70年代の後半からだが、いつも彼の放送はできるだけ聴き逃したくなかった。結婚して夫がランチタイムに帰宅すると、まずラジオのスイッチを押して共にハーヴィに耳を傾けながら昼食をしたものだ。”If I were the Devil"のラジオ放送を聴いて、人々はこの遠雷を聞いたことだろう。
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もし私が悪魔だったら、もし私が闇の王子だったら、私は全世界を暗闇の中に飲み込みたいと思うだろうし、世界の三分の一の土地とそこの五分の四の国民を所有するだろうが、それで満足はしない、木の上の一番熟したリンゴ(あなたのことである)をもぎとるまでは。だから私は、米国を乗っ取るために必要なことはなんでも着手し始める。 私は最初にひそひそとした噂のキャンペーンから始める。 イブにささやいた蛇の知恵をもって、私はあなたにささやくだろう、「あなたの思うがままにおやりなさい」と。
若者に、「聖書は神話だ」と噂を流す。私は彼らに、人間が神を創造したのだと信じ込ませよう。 悪いことは良いこと、良いことは「四面四角」だと確信させよう。そして、年かさの人達には、「ワシントンにまします我らの父よ、」と私の後について祈らせよう。
他のなんでもが退屈で面白味がなく見えるように、愚かな文学を刺激的に書く方法について作家を教育し、汚い映画でテレビを脅したり、その逆も然り。 私は麻薬をできるだけ誰にでも売ろう。 アルコールを名誉ある男女に売りつけよう。 その他の人々を薬剤で落ち着かせる。
私が悪魔だったら、すぐに家族を互いに戦い合わせ、教会は教会同士で戦わせ、そして国々を国同士で戦わせる。 その順番でそれぞれが消え去るまで。 そして、より高い視聴率のためだという約束を匂わせて、私は報道機関が炎をあおるように魅了する。 私が悪魔だったら、学校に若い知性を磨くように勧めるが、感情を訓育することは怠ろうー皆が気付く前にすべての校舎のドアには違法薬物探知犬と金属探知機が必要になるまで、彼らを野放しにしよう。
10年以内に刑務所があふれ、裁判官がポルノを宣伝するようにするだろうーただちに私は裁判所から、次に校舎から、そして議会堂から神を追い出すことができるのだ。 そして神自身の教会では、私は心理学を宗教に置き換え、科学を神格化するのだ。 司祭や牧師を誘惑して、少年少女を惑わさせ、教会の献金を悪用させよう。 私が悪魔だったら、復活祭のシンボルを卵にし、クリスマスのシンボルをボトル(酒瓶)にしよう。
もし私が悪魔だったら、大望のある者のやる気を殺すまで、私は奪い、それを欲しいと言うものに与えよう。 そして、あなたは何を賭けるのか? 金持ちになるための方法として、全州にギャンブルを促進できようかのために? 私は、愛国心、道徳的行為における極度な努力と尽力を厭わない者に注意しよう。 私は若者に、結婚は時代遅れであり、奔放に性的自由を謳歌する方がより楽しく、テレビで見るものが現実だと確信させよう。したがって、私はあなたに人前で服を脱がさせ、治療法がない病気のはびこるベッドにあなたを誘い込めるだろう。 言い換えれば、もし私が悪魔だったら、彼が今やっていることを続けるだけだ。
ポールハーヴィでした、良い一日を。