タフィ
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初めての子供を無我夢中で育てている末娘は、9月のレイバー・ディの翌日から新学期の始まる法学大学院生の夫と二人で、眠らないうちに迎える明け方のひと月を過ごしている。最初の10日間のお手伝いを終えた私を空港へ落としてから、突如「これから夫婦二人で息子を育てていくのだ」とハタと気づき、青ざめたのだそうだ。そこで娘の夫は、自分の母親に電話をして、少しの間助けて、と。あちら側のおばあちゃんは、すぐに駆け付けて少しの間でも若い親たちが30分でも多く眠られるようにしてくれた。
「この子は、おばあちゃんたちがそばにいると、良い子にしているようなのよ。」と言うが、娘よ、それは自然にそうなったわけではない。赤ちゃんが新しい母親を伸ばしに伸ばし、曲げたり、折ったりして、おばあちゃんを作るからなのだ。そう、ちょうどソルト・ウォーター・タフィのようなもの。最初は只のお砂糖と水。それを沸騰させ、煮詰め、水飴にして、それから幾度も捏ねて空気を含ませ、それを伸ばし伸ばしして、できる柔らかいタフィ。あれですよ。
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だいたいあちらのおばあちゃんは、7人を生み育て、7人の孫も世話してきたから、よく練られてできた上等なタフィである。タフィな祖母は新生児は特に、何を欲し、どうしたらあやせるか、その腕が知っているのだ。かつて自分が新米ママだった頃、あれこれ考えては試し、失敗しては又新しい方法を考えてきたことを頭にある引き出しに入れてある。普段は忘れていても、その腕に赤ちゃんを抱けば、ほぼ自動的に引き出しからいろいろ出てくるだけだ。それだけである。
眠れない夜が続いても、必ず夜明けは来るし、その夜明けを寝ながら迎える日も近いのだ、ということを忘れなければ、耐えていける。泣き声でパニックに陥らないように、まず深呼吸をしてから、抱き上げ、子供の体温を感じ、授乳やらおむつ交換やら、すればよい。それでも泣き止まないなら、抱いて揺り椅子に腰かけて、あるいは抱きながら部屋をそっと歩き回り、背中をさすったり、やさしくぽんぽんと叩く。単純な動きがやがて眠りにつかせるし、小さな声での子守歌も耳に心地よいであろう。母親がパニックを感じると赤ちゃんはしっかりそれを受信するから、余計にむずかることがある。私は大丈夫、と声に出してでも自分に言い聞かせるのも、大切なことだとかつての新米だった私は思う。
私が末娘に「おかあさんは異国(一応)で5人産み、どんなに大変でも誰も殺さずに育ったのよ、貴女にできないはずはないわ」と励ましたのを聞いて、長女が、「え、それってどっちかっていうと、余計ストレス感じさせるわよね?」と言った。そうなのね、昨今は、そういう言い方は政治的に正しくないのかもしれない。けれども、娘たち、育児は政治的に正しいかどうかなどと論ずる場所ではないのだ。根性あるのみ、星一徹と星飛雄馬なのだと言った根性論は要らないが、負けまい、と頑張ることは大切だ。ただし、根性よりも気持ちの余裕を少なからず持つようにすればいいのだと思う元新米ママ。つまりそれぞれがそれぞれにあった育児をこころがけることだろうか。
そして今から5年も経ってごらんなさい、幼,稚園に初登園する我が子の写真を撮りまくりながら、「まあ、いつのまにこんなに大きくなってしまって。。。新生児期あんなに、てこずった頃が懐かしいわ」となるのだから。坂を転げるかのごとく、子供の成長は早く、新米親は中堅となり、やがてよく練られたタフィになるのだ。今は今、腕の中であやしながら、やっと会いにきてくれた、必死の思いで生まれてきてくれた子をそっと抱きしめることである。明日は思いがけずに早足でやってくるのだから。
いつの間にやら次男家にいる#3と#6もすくすくと育っている。
次男と末娘の昔々。それぞれが今や親!
だからこの#7だって、あっという間。明日は大学生。