ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

世界に光を

2020-12-25 | クリスマス

Nativity by Greg Olsen

ヨハネによる福音書第8章12節 

イエスは、また人々ひとびとかたってこうわれた、「わたしはひかりである。わたしにしたがってものは、やみのうちをあるくことがなく、いのちひかりをもつであろう。」

 

 

まずはヴィデオの話していることの翻訳をお読みください。

25年近くの間、私はさまよいました。1968年に良い家族に生まれましたが、私たちは神を信じていませんでした。実際、私は年をとるにつれて、神が本物であると思っている人々をからかうようになりました。私は他の誰かの空想上の神を必要としませんでした。私は神がそこにいないと確信していました。

14歳から22歳まで、私は完全に自分のために生きました。高校時代は人気があり、一生懸命パーティーをしました。2つの州のバスケットボール選手権にも勝ちました。 18歳までに、私は大学バスケットボールをするための全額奨学金(返済不要)を得ました。成功への途中にいるような気がしました。

しかし、4年後、すべてが崩壊しました。私はいくつかの悪い選択をしました。そして徐々に私は自分が今までに得たすべてを失いました。22歳の時ある木曜日に、人生を終わらせようと決心した日を決して忘れません。

その日、私は学校の食堂に座って、どうやってその計画を遂行し、最後の週末を地球上でどのように過ごすのかを考えました。近くのテーブルでは、2人の女の子が断食と祈りについて話しているのを耳にしました。私は自分の考えを中断し、断食とは何かを二人に尋ねました。そのうちの一人は、神の助けを求めたいときにしたことだと私に言いました。

それはとてもばかげているように見えましたが、私は耳を傾け、興味をそそられました。その夜、一人でひざまずいて、人生で初めて祈りました。私は断食するつもりでもあり、24時間食べ物と水なしで行い、神ご自身を私に見せてほしいと神に言いました。

私は断食しました。すると、8年ぶりに、私は麻薬とアルコールなしの1日を過ごしたのです。しかし、翌日までには何も起こりませんでした。その時点で私はもう人生を終わらせたくありませんでしたが、神は私に決して話しかけてはくれませんでした。そして、私はすべてを忘れました。私は彼が存在しないことを知っていました。私は自分の人生を続けました。

すると、奇妙なことに、1か月後、古い友人が電話をかけてきて、5年間会っていなかった友人なのに私を招待しました。それで私たちはある日会うと、突然彼が言いました、「トッド、なんと君に言っていいのかわからないけれど、僕は君を招待することさえ恐れたんだよ。

けれども、昨日、僕が君に電話をかけるようにと神が願っているような強い印象を受けたんだ。そして、神は今日、君を神ご自身の側に必要としていることを君に言うようにとの、感銘を僕は受けたんだ。」私は言葉を失いました。神は実在するのでしょうか?神は私の祈りに答えたのでしょうか?彼は私に誰かを使いとして送ったのでしょうか?

友達の助けを借りて、次の1年半の間、私はすべての問題を克服するためにライオンのように戦いました。浮き沈みがあり、途中で成功したり失敗したりしました。しかし、少しずつ、私は自分の人生の中で小さいながらも明白なことが起こるのを見始めました。

長い間悩んでいた質問への答えが明らかになり始めました。ゆっくりと物事が変化し始めました。ついに私は教会に行くことにしました。ある日、教会にいた誰かが私を教会主催のピクニックに招待してくれました。

少しぎこちなく感じましたが、行くことにしました。それは私が今まで行った中で最も真面目なパーティーであることがわかりました:誰もが若者たちへの麻薬、アルコール、愚かなゲームなどはしやしなかったのです。私たちは昼食をとりました、そして誰かがホットドッグを食するので、食べ物の祝福と感謝の祈りを捧げたいと言うのでした。変な感じだと思ったのですが、私は頭を下げて目を閉じました。

そして、私の人生は変わりました。最初の断食と祈りから2年後、自分のクローゼットの中で神に懇願するように祈ってから700日後、私は今までに服用したどの薬よりも20倍は強い何かを感じました。まるで誰かが私を抱きしめているようで、私に「おかえりなさい」と言っているようで、新しく知り合った人々は善良であり、私は彼らと一緒にいる必要があり、神はそこにいて、神は私を名前で知っていて、彼は私を愛しているとわかったのです。

私はいつも、神が私に彼自身を現すならば、稲妻または大きな衝撃的な火の塊で目前に降りてくるだろうと思っていました。しかし、あのピクニックの日に、自分が間違っていることを知りました。私たちが暗闇に囲まれているように感じることは、人間としての私たちの状態の一部であることに気づきました。

しかし、私たちが道に迷ったと感じても、神は私たちが進む道を、どんなに時間がかかっても照らすと約束されています。 2年間、神はこの疑わしい魂を育てられました。少しずつ、彼は私が私に伝えたいことを完全に聞くのに十分謙虚になる日まで、私が扱える限りのことを私に与えてくれました。

私自身の経験から、暗闇の中で誰かがスイッチを入れるのを待っているだけの人には、霊的な光が届くことはめったにないことも学びました。キリストの光に目を開かせるには、信仰の行為が必要です。 20年経った今でも、私はすべてを知りません。しかし、私は今、自分が誰であるかを知っています。私は神が誰であるかを知っています。そして、私は神の光が本物であることを知っています。

 

神の光の希望

 

どちら様も安寧なクリスマスをお過ごしくださいませ。

 

 


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 家族の幸福を願う | トップ | 21世紀もあと80年と言うのに »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ピエリナ)
2020-12-25 06:14:38
🎄メリークリスマス

素晴らしいお話を分かち合って下さってありがとうございます。
神様が私にもご出身を感じさせて下さいますようにと願っています。
まだこの願いは叶いません。

素敵な🎄クリスマスをお迎え下さい。
返信する
ピエリナさま (ままちゃん)
2021-01-13 05:44:31
コメントをありがとうございます。返信遅れまして、大変失礼いたしました。

天からのメッセージは、思わぬ時に思わぬ方法で知ることができます。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

クリスマス」カテゴリの最新記事