ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

最良のクリスマス

2021-12-10 | クリスマス

truthbook.com

 

 

 

クリスマスパーティーは終わった。 男性の何人かは、子供の頃のクリスマスの日を回想しながら、テーブルに座っていた。

その時の会話はそのテーブルに座っていた人たちの人生で最高のクリスマスとなった。 一通りそれぞれが話し終えると、皆は一人の男性が何も言わなかったことに気づいた。 そこで彼らは尋ねた、「さあ..フランク、あなたの最高のクリスマスはどんなでしたか?」

フランクは、「今までで最高のクリスマスは、プレゼントさえもらえなかったときでした」と口を開いた。 他の人たちは驚いた。 彼らはその話を聞き逃しまい、と耳を傾けた。

フランクは話し始めた。「私はニューヨークで育ちました。あの頃は大恐慌で、私たちは貧しかったですね。 母は私が8歳のときに亡くなりました。 父は仕事をしていましたが、週に2、3日しか働けず、でもそれでも良いことだと考えられていました。 私たちはエレベーターのないアパートに住んでいて、食べ物や服はほとんど十分にはありませんでした。 でも私は子供だったので、あまりそうしたことに気づいていませんでした。」

「父は誇り高き人でした。 スーツを一着持っていて、そのスーツを着て仕事をしていました。 帰宅すると、父はジャケットを脱いで、シャツ、ネクタイ、ベストを着たまま椅子に座っていました。

父は私の母が贈った大きな古い懐中時計を持っていました。彼が椅子に座ると、ぶら下がっていた時計の鎖が、ベストのボタンホールのフォブに接続されていました。 その時計は父の最も誇らしい所持品でした。 時々、私は父がただそこに座って、その貴重な時計を見ているのをよく見かけました。 父は私の母のことを考えていたに違いありません。」

「ある年、私は12歳くらいでしたが、化学セットがとても流行っていました。 それは2ドルはかかり、当時、そして私たちにとっては大金でしたが、私を含むすべての子供はその化学セットを欲しがっていたのでした。 私はクリスマスの1か月ほど前にそれについて父を悩ませ始めました。 私はすべての子供がするような約束を父と交わしました。 僕はいい子になります、僕は家事をします、こういうことはこれから二度と何も求めません。 だから。。。化学セットを考慮してくれないか、というわけです。 父はただ『考えておくよ』と言ったものでした。」

「クリスマスの3日前に、父は私をカート(商品を荷車に乗せてある)に連れて行ってくれました。すべての小規模な商人が通りのカートを保管しているエリアがありました。彼らは常設の店を持たず、こうして商いを営んでいました。 それでも人々は良い買い物をすることができました。 彼は私をカートに連れて行き、小さなおもちゃを選びました。 「こんなもの欲しい?」 もちろん、私は「いいえ、化学セットが欲しいです」と言います。 私たちはほぼすべてのカートに足を運び、おもちゃの車やおもちゃの銃を見せてくれましたが、私はそれを拒否しました。父に化学セットを買うお金がないとは思ってもみませんでした。最後に、父はその日家に帰って翌日戻ってきたほうがいいと言いました。」

「家に帰るまで、私は化学のセットについて声高に話し続けました。 私は例の約束を繰り返しました。別のプレゼントをもらえなくても構わないとさえ言いました。 私はその化学セットを持っていなければなりませんでした。 父は私にこれ以上与えることができないことに罪悪感を感じたことを今は知っています。 彼はおそらく買えないということは父としての失敗だと思っていたに違いありません、さらに彼は私の母の死を自分のせいだと思ったに違いなかったのでしょう。 私たちが階段を昇っていくと、父は私に、化学のセットを手に入れるために何ができるかを考えてみるよ、と言いました。 その夜、私は眠ることさえできないほど考えていました。 化学セットを使って、自分がいくつかの新しい発明しているのを想像することができました。 そのニュースの載ったニューヨークタイムズを想像することさえできました。『少年がノーベル賞を受賞!』」

「翌日、仕事を終えた父は私を商品をたくさん積んだ荷台のあるところへ連れて行きました。途中、父は一斤のパンを買って、それを腕の下に持っていたのを覚えています。 最初の荷台に来ると、父は私が欲しいセットを選ぶように言いました。 そこにあった物はすべて似ていましたが、私が欲しいと思う物はなかったので、他の荷台のそばをどんどん通り抜けました。 そしてついに私は正確に欲しかった物を見つけました、そして父に、『これがそうです、お父さん!』とほぼ大声で言いました。」

「私はその時父がお金を取り出そうとズボンのポケットに手を伸ばしているのを今でも目に浮かべられます。 父が2ドルを引き出したとき、一枚のドル札はひらひらと地面に落ちました。 父はそれを拾うためにかがんだ時、鎖が父のベストからすべり落ちた鎖が前後に揺れました。 その鎖の先には時計はありませんでした。」

「私はあっという間に、父が時計を売ったことに気づきました。 私に化学セットを買うために、父は最も大事にしていた貴重な所有物を売ったのです。 父は私の母が最後にくれた時計を売って、化学薬品のセットを買おうとしてくれたのでした。」

「私は突差に父の腕をつかみ、『いいえ!』と叫びました。私はこれまで父をそのようにつかんだことはなく、父に怒鳴ったこともありませんでした。 父は顔に奇妙な表情を浮かべて、わたしを見たことを今でも思いおこせます。 『いいえ、お父さん、僕に何も買う必要はありません。』 涙が私の目に燃えていました。 『お父さん、僕はお父さんが僕を愛していることを知っています。』 私たちは荷台から離れて歩いて行きました、そして私は父が家までずっと私の手を握っていたのを覚えています。」

フランクはテーブルに座って話を聞いていた人たちを見た。 「ご存知のように、その瞬間を買うのに十分なお金は世界のどこにありません。 その瞬間、私は父が世界の何よりも私を愛していたことを知っていました。」

それが神が私たちを愛しておられる方法である。 神はただそれを言ったのではなく、それを示した。 彼は誰もが与えることができない最も貴重なものを与えた。 神はご自身の息子を与えてくれた。

ヨハネによる福音書第3章16節は、「神はこの世(あなたと私)をとても愛しておられたので、神を信じる者は誰でも滅びることなく永遠の命を得ることができるように、独り子をお与えになりました」と述べている。神が、ご自身の息子、イエスを与えたのは、あなたや私が永遠の命を持てるかもしれないようにするためであった。


Muirhead Gallery

 


 


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