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ニュージャージー州ウェストミルフォードのジーン・スミットさんに伺った話。
私が子供だった大恐慌の頃、家の電気が止められていたので母は蝋燭を買うよう私を店にやった。 キャンドル代の何枚かのペニー硬貨を渡すと、店員は、「電気代を支払っていなかったの?」と皮肉を言った。私は頭をすこし高く掲げて、「もちろん支払いました。けれど、今晩キャンドルライトでディナーをとることにしたのです。」[蝋燭の明かりでディナーをとることは上品でロマンティックでもある]その時の店員の顔やその後の[貧しい]食事を思い出すと、今でも笑いがこみ上げる。お金があまりなくとも、少なくとも私達は、矜持を失いたくないものである。
これは、見栄よりも高等なことであると思う。日本語で、襤褸は来てても、心は錦と言われるが、日本人で米国で立派な実業家としての女性が、英語にはそんな言い回しはない、と言い、汚いなりのレストランが、おいしくないのと同じだ、と、言い切ったが、実は、似たような英語の言い回しはある。Don’t judge a book by its cover. (本のカヴァーでその本を判断するな。)が、とても近い意味になると思う。そしておいしいレストランでも見かけがみすぼらしい所はいくつも知っている。ジーン・スミットさんは、どんな状態にあっても、矜持を失わず、顎を上げて、しっかり生きるということだ。身なりや状況に100%判断すると、間違いであることも多い。こぎれいにして、さっぱりとした恰好をし、顎を上げて、きちんと相手の目を見られる人は、私なら、信用したい、と思うだろう。