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あなたはErma Bombeckアーマ・ボンベックというアメリカのユーモア作家をご存知だろうか。彼女は1960年代半ばから1990年代後半にかけて、ごく一般的な郊外の家庭生活を描くことで定評があり、それは新聞コラムで大きな人気を博した。15冊の著書があり、ほとんど全書がベストセラーともなった。ボンベックは中西部郊外の主婦の日常生活を記録していたが、そこには、ユーモアがあり、4000を超える新聞のコラムニストとして活躍したものだ。アメリカだけに限らず、カナダの900の新聞にも掲載され、人気があった。
アーマ・ボンベックは1927年オハイオ州ベルブルックに生まれ、1996年4月22日持病の腎臓病が悪化し、移植手術を受けたが、カリフォルニア州サンフランシスコにてその69歳の生涯を閉じた。下記は、彼女が不治の癌と診断をされた直後にペンを執ったものである。
if i had my life to live over
By Erma Bombeck -- written after discovery of her terminal cancer
I would have talked less and listened more. I would have invited friends over to dinner even if the carpet was stained and the sofa faded.
I would have eaten the popcorn in the "GOOD" living room and worried much less about the dirt when someone wanted to light a fire in the fireplace.
I would have taken the time to listen to my grandfather ramble about his youth.
I would never have insisted the car windows be rolled up on a summer day because my hair had just been teased and sprayed.
I would have burned the pink candle sculpted like a rose before it melted in storage.
I would have sat on the lawn with my children and not worried about grass stains.
I would have cried and laughed less while watching television and more while watching life.
I would have gone to bed when I was sick instead of pretending the earth would go into a holding pattern if I weren't there for the day.
I would never have bought anything just because it was practical, wouldn't show soil or was guaranteed to last a lifetime.
Instead of wishing away nine months of pregnancy, I'd have cherished every moment realizing that the wonderment growing inside me was the only chance in life to assist God in a miracle.
When my kids kissed me impetuously, I would never have said, "Later, now go get washed up for dinner." There would have been more "I love you's" ... more "I'm sorry's" ... but mostly, given another shot at life, I would seize every minute ... look at it and really see it ... live it .. and never give it back.
もし人生をもう一度生きるならば
アーマ・ボンベック、不治の癌を診断されて。
私はもっと少なく話し、もっと聞いていたはずである。カーペットに染みがついて汚れていてもソファが色褪せていても、私は友人を夕食に招待しただろう。
私は 見栄えのするリビングルームでポップコーンを食べていただろうし、誰かが暖炉で火を焚きたいと思ったならば、煤などの汚れについてはるかに少なく心配していただろう。
祖父がぼそぼそと話す幼い頃の話を私はもっと時間を割いてじっくり聞いただろう。
逆毛を立てて、しっかりスプレーされた私の髪を風で乱したくないと、夏の日に車窓を閉めて、と主張することはなかっただろう。
ピンクのバラのように彫られている蝋燭を、特別な機会に、と取っておいて結局溶ける前に、それを灯しただろう。
衣服に草の染みがつくことを心配せずに、私は子供たちと芝生の上に座っていただろう。
私は、テレビを見てはもっと泣いたり笑ったり、人生を見てはもっと泣いただろう。
私がその日そこにいなかったら地球がストップするだろうというふりをせずに、病気ならば床についただろう。
それが実用的で、一生汚れもせず持続する、という理由だけで私は物を買ったりすることはなかっただろう。
妊娠中、9か月目の出産を望むだけでなく、私の中で成長する驚嘆と不思議が奇跡の中で神をお手伝いする唯一のチャンスとして、どんな瞬間も大事にしただろう。
私の子供が私に激しくキスをしたとき、「後にして。今は、晩ご飯にするから手を洗ってちょうだい。」と私は決して言わなかっただろう。もっと 「私はあなたを愛しているわ」を言い、 もっと 「ごめんなさい」をしていたかもしれない...けれど人生でもう一度チャンスがあったならば、私は毎分だってそれを掴み、その時間を生き、決してそれを離さない。
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