ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

聞き覚えのある声

2021-12-14 | クリスマス

 

 

 

幸いなことに、Covid-19ではなく、小さな子供たちの間で流行っている耳、鼻、喉を襲うバクテリア性の感染病に3人の孫が仲良し故に罹り、看病と治療と日々の暮らしで忙しい両親に代わって食事の支度などをこの数日手伝っていた私である。ブログが飛んでしまったが、おかげさまでその3人の患者たちは快方に向かっている。

つくづく私たち夫婦が、3人の子供たちの家族の近くにいることをありがたく思った。すぐに食事を用意でき、それをアマゾンの空き箱にお鍋ごと入れて、温かいうちに即時それぞれの家へ「配達」できる。大した食事ではないが、温かいスープや付け合わせのディナーロールやカラカラオレンジ(実の赤いオレンジで、比較的通常のオレンジよりも甘い)を箱に入れてついでにキャンディケインも。息子が南カリフォルニアから訪問していて、クリスマスクッキーをたくさん焼いてくれたので、それも入れて。地元の蜂蜜と庭のレモンの木からのレモンをスライスして暖かくして飲ませるものも作り、それは5歳と7歳の子供のために。2歳の子供ももうすでに蜂蜜は許されるが、念のためにその子にはオレンジジュースを。そんなことをやっている間、私は、もう本当に引退しなきゃ、と思うことしきり。

クリスマスカードや添える家族の写真も、すでに発送済み。スエーデンの息子夫婦と二人の孫たちへのパッケージも、日本の姉へのパッケージも発送済み。ブー(ハスキーの2歳”少女”)のグルーミングも先週末終えた。あとは秘密の部屋に隠してあるプレゼントを包み、クリスマスツリーの下に置くことだけ。最近はしないが、もう少し若かった頃は、こうしたクリスマス準備に加えて、クリスマスキャロリングを友人たちとしたり、ご近所にお渡しするキャンディやクッキーやらをたくさん作ってお届けする楽しみもあったが昨今のパンデミック事情を考えると、控えている。今年は里子へのプレゼントというプロジェクトに参加し、二人の十代の少年少女へのプレゼントを用意し、すでにそれもピックアップ先に出した。

クリスマスを迎える今頃は、忙しい中にもふっと息のつける時間を見つけては、かつて自分が幼かった頃や親の庇護の元にあった時代のクリスマスの思い出を思い出したりする。父は私たち子供に、クリスマスに欲しい物があったら、部屋の角に壁の方へ向いて座り、願いを言ってごらん、とよく言ったものだ。その行事はしっかり今でも微笑みが浮かぶほど覚えている。欲しかったのは「魚類図鑑」だの、「24色の色鉛筆セット」だのだったと思う。そんなことを部屋の隅の壁に向かって話していた弟や私は、その後ろにいた父にとっては、楽しかっただろうと思う。笑いを堪えて、おそらく聞いていたことだろう。クリスマスの朝、大抵は、そうした希望していたものが見つけられた。子供心にも両親のまかなえる範囲のものを希望していたような気がする。

今日から、先日友人が話してくれたクリスマスの思い出をいくつかお分けしたい。まずはレイリーンからの本当にあったことのお話。

 

 

レイリーンの夫は1999年10月7日に、メラノーマ(上皮黒色腫)癌のため、48歳で亡くなった。以下は、レイリーンに、夫の死後4年後に起こった非常に特別なクリスマスの本当の話である。年は2003年で、そしてクリスマスまで2日しか残っていないという頃だった。彼女の家は大勢の家族たちで賑わっていた。子供たち、孫、家族親戚の夫婦たち、さらには彼女の二人の義理の子供たちなどで、常に少なくとも12人がいた。早朝、レイリーンは香りの良い小さなろうそくを取り出し、子供や孫の写真がたくさん飾られてある暖炉の上のマントルに置いた。

そして彼女は再びそれまでしていたクリスマスのための準備をし続けた。彼女はこの季節のために一年中こうした小さなろうそくをためていた。それが一日中燃えて、部屋を新鮮な香りで満たすのを楽しんでいた。ろうそくは、炎の明るさを楽しむことができるように、ハートの形に側面に穴の開けられたかわいい木箱に入れられていた。

早朝4時、彼女は、ドアの外からする男性の声によって目覚めされた。「『お母さん!』(Mom)」 声は聞き慣れた声で、彼女の息子の1人がそう言ったように聞こえたが、どの息子なのかは分からずじまいだった。 ベッドから答えるのではなく、彼女はドアに向かった。 ドアを開いたとき、そこには誰もいなかったので、彼女はそれが誰だったのか様子を見ようと、あたりを見回したが、そこにも部屋の中にも誰もいなかった。

しかし、驚くことに、彼女はその時、自分が消し忘れたろうそくが目に入り、今やその炎は12インチほどの高さになっていたのだ! それはガラス容器を通してハート型の穴を溶かし、入っていた木箱を燃やし始めていた。 ろうそくの上のリボンも焦げていた。 素早く炎を消したが、彼女はひどく驚くことも、おびえることもなかった。 彼女は愛情のある天の御父がいつも彼女を見守っていることを知っていたので、むしろ平和と感謝の念にかられた。 そしてこの状況について考えていると、あの話かけた声が彼女にはなじみがあることに気づいた。 彼女の数年前に亡くなった夫は、ほとんどいつも彼女を「お母さん(Mom)」と呼んでいたのだった。

 

 


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