A map of the United States showing the path of totality for the August 21, 2017 total solar eclipseCredits: NASA/Goddard/SVS/Ernie Wright
8月21日月曜日は午前中に皆既日食が始まり、終わる。オレゴンからサウスキャロライナまで。私の居るところでは、72%の日食だが、さほど暗くはならずに、少々精彩を欠いた日照だった。キャンパスのリスたちは何時にも増してせわしげに芝を駆け回っていた。1987年にもあった部分日食は、場所はカリフォルニアの南の果てだったが、薄暗くなった。暗くなると温度が下がり、小鳥たちが突然けたたましく庭の大きな木々に群がったのを覚えている。庭に出てスプリンクラーに濡れたコンクリートの上にできた水溜りに映る欠けた太陽を見た。あの薄暗さは一種独特で、夜と少し違う。動物は微妙に暗さを感じ取る。蚊も刺し始めるから、しばらくして家に引っ込んだ。
今年はオレゴンが全皆既日食のある場所なので、わざわざオレゴンに赴いた人々もたくさんいる。長女の義弟家族もその人たちにはいる。もともと父親がオレゴンに住んでいるので、訪問ついでであるが、日食そのもののために休暇を取って出かける人も少なくない。滅多に起こらない天体のショウは、一度見ておきたい、と思う人がたくさんいる。私のボスは海洋学畑出身の科学者の学部長なので、いくつかの日食用ゴーグルを持っていて、それで皆外に出て観測することが出来た。
下は、午前10時くらいの太陽。
1997年にかなり長い間、肉眼で見え続けたへール・ボップ彗星を思い出す。1995年に二人の観察者によって別々に発見されたばかりなのに、二年後には誰もがはっきりと夜空に浮かぶ彗星を目にできた。思えば、日本で天の川を見たことがなく、見上げる星空に雲状の光の集りを最初にはっきりと観たのは、ニュージャージー州南部に住んでいた姉の庭でだった。そういえば、そこで蛍も初めて見たのだ。ブラウスのポケットに入れると、ぼーっと光っていたのを思い出す。
弟は、少年時代に父から天体望遠鏡を貰い、だんだん本格的な物にしていき、凍れる冬の月夜に、月面や土星の輪をみせてくれた。それでも、天の川を肉眼で見たことはなかった。弟は、七年前ガンで急逝した。初めて天の川と蛍を見た庭のある家に住んでいた姉も、43の若さでガンで逝った。
亡くなって星になるわけではなく、遠い空の彼方に行ってしまうわけでもない。亡くなった人は私達の眼には映らないだけで、この地にいて、ただ次元が異なり、どちらからも、ふとした偶然がない限り見えないのだと思う。肉体を失っているから、今まだ肉体のある生きている者に託する気持ちもまだ持っているかもしれない。天体ショウの朝、そんなことをふと思ったりした月曜日である。