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ヨギイズムのひとつ:終わるまで終わりません。
この世のことごとくに自分の言動に自信が持てない私でも、たったひとつ100パーセント自信を持って、確かなことがある:私の野球の知識が皆無、あるいはそれにかなり近いということである。 そんな私でも心底敬愛してやまない野球選手がいる。 イチローさんや大谷くんは確かに素晴らしいし、人望も厚く賞賛に値する方々であるが、ヨギ・ベラには敵わない(ごめんなさい)。 ヨギ・ベラ氏は、もう長いこと野球無知の私のアイドルである。
Lawrence Peter "Yogi" Berraローレンス・ピーター・”ヨギ”・ベラは、2015年9月22日90歳でその生涯を終えたが、彼はアメリカのスポーツと文化の巨人であった。 18のオールスターゲームでプレーし、コーチ、マネージャー、キャッチャーとして13度ワールドシリーズの勝者チームに属していたと聞く。 ヤンキースやメッツに属し、1972年には野球殿堂入りを果たし、彼が没しても アメリカ人は彼の野球人としてのキャリアを決して忘れないだろう。
彼は野球での素晴らしい活躍ばかりではなく、あのGreatest Generation(最も偉大なる世代=GI世代あるいは第二次大戦時代世代)の一人と呼ばれるに相応しい人であった。
第二次世界大戦中、ベラは合衆国海軍に属し、欧州戦域へ送られ、ノルマンディー上陸参加によってパープルハートメダル*やその他2つの従軍星章、欧州戦域での作戦のリボン(軍服の左胸などにつける色鮮やかなリボン)などを獲得した。 ベラは軍人としてもかなりな貢献をし、多大な名誉を得た。【*パープルハートメダルは、米軍従軍中に敵の行動結果として負傷または死亡した軍人に贈られる。 その他にも自らの命を顧みずに果敢に敵に立ち向かうなどもその受賞対象となる。 パープルハートは厳粛な殊勲に対しての叙勲であり、非常に名誉なことである。】
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彼のその姓からも察せられるように、イタリア移民の両親を持ち、1925年5月ミズーリー州セントルイスで誕生した。 ヨギという呼び名は、アメリカンリーグで野球をしていた頃、選手で友人のジャック・マグワイアから付けられた。
ある時インドに関するニュース映画を観たマグワイアは、インドのヨガ行者(ヨギ)が腕と足を組み座るのを知った。 そして彼の友人が試合で出番を待つ間や、試合に負けた後などで、しばしそのような格好をするのを見ていた。 それで「ヨギ」とベラを呼び始めたのだった。
私が敬愛を感ずるのは実は野球のキャリアやその功績にではなく、ヨギ語録と呼ぶ彼の語ってきたことだ。 今日のブログタイトルは、彼の名言(迷言)の一つである。 辻褄が合わないのに、何故かピンとくるものがあったり、納得できてしまう珠玉の言葉である。
それではヨギイズムのいくつかをここにご紹介しよう。
- 特に将来についての予測は難しい。
- 私たちはあまりにも多くの間違った間違いを犯します。
- 世界が完璧だったら、そうではないでしょう。
- 未来は以前のようではありません。
- 両手利きになるように右腕をあげよう。
- 5セント硬貨は、もう10セント硬貨の価値がない。
- ゲームの前半で100%を与える必要があります。それでも不十分な場合は、後半で残りを与える必要があります。
2015年9月ベラは亡くなったが、「アメリカ合衆国の国益や安全、または世界平和の推進、文化活動、その他の公的・個人的活動に対して特別の賞賛に値する努力や貢献を行った個人」に贈られる大統領自由勲章Presidential Medal of Freedomを死後受賞した。 これは議会名誉黄金勲章Congressional Gold Medalと並んで国民に贈られる最高位の勲章である。
1998年ニュージャージー州リトルフォール市のその名前もヨギ・ベラ通りにあるモントクレア州立大学キャンパスにヨギ・ベラ博物館及び学習センターとヨギ・ベラ・スタジアムがオープンされ、博物館正面にヨギ・ベラの銅像が置かれている。 ニュージャージー州へお越しの際には、是非ともそこへお立ち寄りになることをお勧めする。
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ヨギ・ベラ博物館と学習センターに立つヨギ・ベラの銅像