ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

こんな歌が

2021-01-20 | アメリカ事情

 

 

 

 

昨今のアメリカ事情は、直情径行(ちょくじょうけいこう)以外の何ものでもない。直情径行の由来は、中国の礼記という書物でその中の「直情径行なるものがあり戎狄(じゅうてき)の道なり」から来ている。戎狄(じゅうてき)とは、感情のままに行動する事は野蛮、と言う意味に使った。ここ一年のアメリカ社会を見ると、どの目にも、直情径行と戎狄の文字がちらつく。

アメリカは今深い傷を負っている。しかし、連合(連邦)は成り立っているので、そうあらなければならない。それはアメリカ合衆国市民の強みであり、激動の世界における防波堤でもある。 エイブラハム・リンカーン大統領がさらに悲惨な時期(1860年のサウスカロライナ州の連邦離脱)を過ごした後、「それは私たちの国をほぼ引き裂いた」と述べ、「私たちは敵ではなく、友人です。 私たちは敵であってはなりません。 情熱は緊迫しているかもしれませんが、それが私たちの愛情の絆を壊してはなりません。」 と嘆願とさえ言える演説を行った。

 

これほどの分断は南北戦争終結後長い間見なかった。1830年代以降にサウスカロライナ州が、新しく制定された連邦関税法を拒否したのが危機の始まりで、内戦が起こるのではないかと危惧されたが、政府はなんとかそれを回避した。しかし連邦政府と南部との緊張状態は続き、奴隷制度、社会的、政治的、そして経済的な溝は深まって行くばかりだった。

1860年の大統領選挙期間,南部諸州の政治家と有権者は,エイブラハム・リンカーンの立候補によって奴隷制度が脅かされるのではないかと考えていた。リンカーンが当選したとき,南部諸州は即座に南部連合国を結成し始めた。そこにはアメリカ合衆国からの独立(連邦からの離脱)を宣言するという意図が込められていた。

1861年にリンカーンが大統領に就任し、その時の演説で彼は「私たちはお互いの敵ではなく、友人ではないか」と説いたが、その後に緊張が高まり,サウスカロライナ州のサムター要塞において南部連合大隊と合衆国陸軍兵士の間の武力紛争が勃発した。

リンカーンは軍隊に反逆を鎮圧するよう指示し,残りの州は南部連合国か合衆国のいずれかの側につき始めた。南部連合国はすぐに合衆国に対して武力攻撃を開始し,北部と南部を隔てる前線の至る所で戦いが激しさを増して行った。

やがて1865年4月に南部連合国のロバート・E・リー将軍がバージニア州アポマトックで降伏を宣言し、南北戦争は事実上終結した。この戦争によって最終的にアメリカ合衆国で、隣人と隣人、友人と友人、兄弟、父親と息子さえお互いに相反する軍で戦った結果、これはアメリカにおける紛争で史上最多の70万人以上の命が犠牲となった。この戦争の結果,合法であった奴隷制度は廃止され,アフリカ系アメリカ人の奴隷が解放されたのだった。

現在のアメリカ社会を深く分断する溝は、160年前の溝とそう変わりはない。一つ異なるのは、ミデイアの左傾化かもしれない。不偏不党であるべきの放送、報道は、インターネットを巻き込み、保守派のウェッブサイトが、GoogleやAppleでのアプリケイションストアから抹消され、合衆国権利章典(Bill of Rights)修正第1条に謳われる「言論又は報道の自由を制限する法律、ならびに、市民が平穏に集会しまた苦情の処理を求めて政府に対し請願する権利を侵害する法律を制定してはならない。」にひどく接触する行為をしているのに他ならない。左傾団体や政党の言論の自由はあっても、保守派にはないと限定しているようなものだ。

そうした魑魅魍魎がはびこり始めた状態を目の当たりにして、ふと私の脳裏に浮かんだのは、柿本人麿の詠んだ、実に1300年以上も前、飛鳥時代の歌だった。

東の 野に炎の 立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ

(読み方:ひむかし(ひんがし)の のにかぎろいの たつみえて かへりみすれば つきかたぶきぬ)

情景だけならば、東の空を見れば曙の太陽が昇りつつあり、西を振り返れば月が沈んで行くと言うことだが、これは柿本人麻呂が軽皇子(かるのみこ)のお供として奈良の狩猟場へ随行した折詠んだ。彼の見立てでは、軽皇子の最近亡くなった父親草壁皇子(くさかべのみこ)を、沈みゆく月にたとえ、軽皇子を昇り来る曙の太陽にたとえている。軽皇子は後の文武天皇であったから、明らかに柿本人麿は敬愛を込めて詠んだ。

私には、この歌の曙の太陽が、これから始まる政権政治の始まり、そして沈みゆく月を去っていく現政権に思えたのだ。傾いていく月は、日昇ほどのパワーはないが、晩には再び姿を現し、天高く夜空に光り輝く。そして今を盛りとする政党とて、やがて沈んで行くのだ。政権の交代劇は、いつだって悲喜こもごもだが、今回はある人々が戎狄(じゅうてき)の道を選び、相成っただけで、やがてCovid-19が収束を迎え、地上に冷静さが戻って来れば、沈みゆく月のような政党もやがて宵闇に輝く光となろうかと思える。

糾える縄のごとしに、不完全なこの世の人間の政は、紆余曲折を経て司られるものだが、それでも民主主義は守る価値があり、続けられなければならない。そして民主主義は、決して完成しているのではなく、その道は平坦ではないことを覚えておかなければならない。

ミデイアがかなり左傾しているのは、今に始まった事ではないが、今回はその作戦が見事に成功したように見える。選挙での不正は見つからない、と左が言い張れば、自然にミデイアは誇大広告塔となって事実とは違うことでも拡散して左右どちらでもない一般市民を惑わす。故に市民は、目を見開き、本当に片側だけが正しく、もう一方が間違いだらけであり得るのか冷静に見極めなければならない。そして全てのアメリカ市民は、160年前の教訓を思い起こすべきだ。

2001年9月、あの同時多発テロのすぐ後で、連邦議会議員は、右も左も関係なく、皆連邦議会議事堂の階段で肩を並べ、「アメリカ合衆国はこんなことで倒されはしない」と宣言し、「政党を超えて議員も市民も皆ブッシュ大統領と共に戦う」と委員長が話し終えると、突如議員たちは「神よアメリカを守り給え」(God Bless America)を歌い出した。肩を並べて、超党の一致団結を決意したのだった。あの時国民の胸は高鳴り、皆で力を合わせてテロリストたちと戦うことを強く思ったことだった。

アメリカ合衆国の人民と政治家が一致団結して、善を行い、悪を懲らしめていけるように、外敵攻撃を受けずとも、過去の過ちから学ぶべきを学び、団結して前に進んで行くことしか、私には溝を埋める作業はないと思う。そのために人々は再びリンカンのゲティスバーグ演説を思い起こさねばならない。

87年前、われわれの父祖たちは、自由の精神にはぐくまれ、人はみな平等に創られているという信条にささげられた新しい国家を、この大陸に誕生させた。

今われわれは、一大内戦のさなかにあり、戦うことにより、自由の精神をはぐくみ、自由の心情にささげられたこの国家が、或いは、このようなあらゆる国家が、長く存続することは可能なのかどうかを試しているわけである。われわれはそのような戦争に一大激戦の地で、相会している。われわれはこの国家が生き永らえるようにと、ここで生命を捧げた人々の最後の安息の場所として、この戦場の一部をささげるためにやって来た。われわれがそうすることは、まことに適切であり好ましいことである。 しかし、さらに大きな意味で、われわれは、この土地をささげることはできない。清めささげることもできない。聖別することもできない。足すことも引くこともできない、われわれの貧弱な力をはるかに超越し、生き残った者、戦死した者とを問わず、ここで闘った勇敢な人々がすでに、この土地を清めささげているからである。世界は、われわれがここで述べることに、さして注意を払わず、長く記憶にとどめることもないだろう。しかし、彼らがここで成した事を決して忘れ去ることはできない。ここで戦った人々が気高くもここまで勇敢に推し進めてきた未完の事業にここでささげるべきは、むしろ生きているわれわれなのである。われわれの目の前に残された偉大な事業にここで身をささげるべきは、むしろわれわれ自身なのである。―それは、名誉ある戦死者たちが、最後の全力を 尽くして身命をささげた偉大な大義に対して、彼らの後を受け継いで、われわれが一層の献身を決意することであり、これらの戦死者の死を決して無駄にしないために、この国に神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために、われわれがここで固く決意することである。

 

Photo: Cindy Fertsh

 

 

コメント (5)
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