ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

Come What May(どんな出来事も)

2020-11-11 | アメリカ事情

 

 

更新を休む一週間が、ひと月半にもなったなどは、いかにも私らしいとは言え、おいおい、しっかりせよ、と内なる声に何度もなじられた。言い訳をすれば、やることが多いのがその一因であるが。然し乍ら、夫も私も病気もせず、家族の誰もが元気で感染を免れているのは、本当に幸いなことである。

 

#9の新孫息子も、もうすぐ生後2ヶ月となる。私の父親の名をミドルネームにし、テニスンというファースト・ネームをつけられた。母親は文学部を出ているから、てっきりテニスンのファンかと思ったら、イノック・アーデンさえ知らないのを発見した。

 

イノック・アーデンを知らないことは、共産主義がどれだけ怖ろしく、本来の人間性に反することなのかを知らない世代が聞こえのいいだけの主義主張の裏を知らずに、かの候補に投票したアメリカの若い世代が多いのに比べれば、まだ可愛いと言えようか。

 

そのけたたましい選挙も終わり、私の支持する政党は、そのリーダー職をあえなく失いつつあるが、上・下院もそのリードを諦めなければならないかもしれないのは、実に怖ろしいことだ。いつものように投票を済ませても、しつこく懸念は残り、憂国の念に絶えない。

 

そんなことは私一人懸念することはなく、これもまた移ろいやすい政治という流れの淀みに過ぎないのだ。その淀みもやがて朝には流されていくのだろう。

 

私の母は東京に逃れてきた白系ロシア人家族が隣人となり、幼い日からその家族が口々に言う共産主義者や共産党の恐ろしさを聞かされて育った。その話を母は度々私たち子供にも伝えたものだ。そして戦後のかなり長い間共産国は多くはびこっていたから、私自身もその冷酷さや非人道的な残酷さを見知った。だからかの政党が指導権を握り、大きな国家を作り上げ、人々を“救済する”と言う錦の旗のもとに知らず知らずのうちに国民を包まんとする主張に嫌気がするのである。

 

私はブログを始めるにあたって、決して政治色を出さず、否定的なことは一切書くまいと決めていたので、今後もそのつもりである。政治についてここで吐露することは、これだけにしておきたい。世に対する不平不満を述べることは、私の性格ではないのだ。出来るだけ前向きに進みたい。何故ならば、私のモットーは、Come what may, you love it. (どんな出来事も愛しなさい)であるからだ。

 

それは不快な事実を見て見ぬ振りをして、幸福を装うことではなく、そうした事実を自分がどうやって処するかによって、自身の残りがまだあるだろう人生を幸せにできるからである。そして苦境や逆境の見方や処し方によって、自身を強くも弱くもできる。いわば苦境に立ち向かうことに知恵を使って、それを成長の機会と捉えることである。

 

何がやってこようとも、屈っしたくはなく、負けたくもない。それはかつて27年もの長き間獄中生活を送ったネルソン・マンデラの励ましとなったウイリアム・アーネスト・ヘンリーの詩、Invictus(インヴィクタス=ラテン語で不屈、征服されざる者の意)のごとくありたいからである。

 

それに、苦味走るのは、この60%カカオとピンク色のヒマラヤ岩塩のチョコレートだけでいい。美味しいから、微笑みも浮かび、そうだ、明日があるのだ、と思えるではないか。不満の代わりに笑いを持てば、物事は案外スムーズにいくものだ。屈せずとも、忍耐を持ち、この世の実地訓練をこなしていけば、もっともっと他者の痛みを理解し、和らげることもできる。ダーク・チョコレートは無駄に存在してはいない。

 

 

 

 

コメント (7)
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