ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

永遠でも足りない愛

2020-03-07 | 恋愛・結婚

jbirdny.com

桔梗の花言葉:永遠の愛

 

 

 

 

エヴェリン・ハウズの祖母エミリーが生まれた1900年代初頭は、若い女性が一人でどこへでも行けるということは世間ではあまり受け入れられてはいなかった。末っ子であることは、社交的になることをさらに難しくしていた。彼女が年頃になった頃には、彼女の両親は年取り、たびたび外出する気分を失いがちだった。

 

エミリーの一番上の姉は4マイル離れたところに住んでいて、彼女の夫はある若い青年を雇っていた。エミリーとこの若者がどのように出会ったかはわからないが、二人はすぐに恋に落ちた。

 

彼の名前はチャールズ・リンクルで、背が高く、日に焼けていて、ハンサムだった。彼は週日働き、日曜日にだけエミリーに会うことができた。当時は電話や地方郵便配達はなく、家から最寄りの町までは数マイル離れていた。しかし、古いことわざにあるように、愛はおのずと方法を見つけるもので、チャールズとエミリーはユニークなコミュニケーション方法を見つけた。

 

中央にくぼみのある二つの石を見つけて、エミリーの家と姉夫婦の家の中間点にそれを隠した。彼らが手紙を書いたとき、一つの石のくぼみにそれを置き、もうひとつの石をその上に置いた。そうすれば動物や雨から守れて安全だった。

 

エミリーは日中にそこへ行き、彼女の書いた手紙を置いて、彼からの手紙を拾ったのだった。チャールズは仕事の後に行かなければならなかったが、愛する人のためには2マイル歩くことはなんでもなかった。エミリーとチャールズは間もなく結婚し、二人の最初の家は、「郵便局」の石を基礎に組み込んで建てたのだった。

 

優しくてハンサムであることに加えて、チャールズは美しい声を持っていた。何年もの間、彼は教会で聖歌隊を率い、時々歌のレッスンをしていた。

 

家では、彼はいつも歌っていた。夕方、フロントポーチでリラックスして、楽譜を見るのに十分な明るさである限り歌った。彼は歩いている時にさえ歌っていた。

 

エミリーが彼女の最後の病気にかかったと判明した時、チャールズはもうあまり彼女には時間がないことに気づいた。彼は彼女の手を取り、長身をかがめて、愛の歌を歌い始めたのだった。

 

エミリーは、若かりし頃初めて恋に陥った日々を思い出したかのように、彼の目を見つめた。それはチャールズが歌った本当に最後の歌だった。エミリーの死後、チャールズは声を失ってしまった。いくら試してみても、何かが欠けてしまっていた。

 

祖母へのあの愛の歌は彼が歌った最後の歌となった。

ー参照:Country Magazine

 

 

エヴェリン・ハウズの祖父母;チャールズとエミリー

 

Gentriの”Enough"(Forever is not enough)

 

 

 

コメント (2)
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