ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

スウエディッシュ・フィッシュ

2019-03-27 | アメリカ事情

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私は911*の緊急通信指令係員をしています。私は緊急通報を受け、EMS(emergency medical service=緊急医療隊)が現場に到着するまで緊急医療指導を口頭で提供し、隊を派遣します。


私は約4年間それをやってきて、人が想像できる最悪なことのいくつかを聞いてきました。それは精神的にそして感情的にも負担をかけます。通常、私はそうしたことに対処することがかなり得意ですが、今日私は義務付けられている16時間シフトで、疲労困憊も甚だしく、やっとそれを終えられると思った矢先と言う時に決まって、最期の最後に自殺電話を受けたりするものです。


未成年の子供が首を吊り、母親が彼女を発見し、彼女を吊り下げている紐を切りました、という通報。私はすでにディスパッチャーを呼び出していました。母親は自らCPR(CardioPulmonary Resuscitation=心肺蘇生法)を試してみると言うので、私はその過程を彼女と進めていきました。


その娘さんが私の息子の年齢だったからか、あるいは、母親が娘さんに死んではダメと懇願しながら、私と一緒に胸を圧迫する数を数えているのに、明らかに取り乱して息も絶え絶えになる様子からか、この通話に、私は、打ちのめされたのでした。ひと段落してから私は上司に連絡を取り、なにか飲み物を飲むためにガソリンスタンドに行くので、休憩が必要であると頼みました。私はガソリンスタンドに併設されている店の前の駐車場に車を停めて、そこに座ったまま、ついに泣き崩れてしまいました。なんとひどい泣き声、慟哭に胸が盛り上がり、パニック発作のようでした。そして、私はあの母親が何を経験しているかを想像し続けました。


誰かが私の窓をノックして、窓越しにそのガソリンスタンドの所有者の小柄な老婦人が見えました。ここは911のコールセンターから約5分の距離にあるので、すべてのディスパッチャーたちは彼女にとってかなり見知っている面々です。彼女は窓のガラスを下ろすようにと言いました。彼女は私にホットチョコレート(ココア)となにやら詰め込んだビニール袋を片手に、私に差し出し、もう片方の手で私の顔に触れ、そして言いました。「あなたは良いことをしているのよ。あなたが助けられなかった人を忘れられない時は、あなたが救った人々のことを思い出しなさいな。」


それから彼女は微笑んで店に戻っていきました。このビニール袋には、ダブルチョコレートチップ入りのマフィン、スウエディッシュ・フィッシュSwedish Fish(グミで魚の形をしているー写真参考)のバッグ、小さなティッシュ・パック、そして私のお気に入りのエナジードリンク(栄養・エネルギー補給ドリンク)が入っていました。


マーガレット、誰かが私のためにそこにいる必要があることさえ、私が知らなかったときにそこにいらしてくださってありがとう。そして、あなたが顧客をとてもよくお見知りおきでいらっしゃるために、私がなぜ泣いているのかご理解なさり、私を助けるために言うべきことを正確にご存知でした。そして、ケアパッケージにも感謝します。

 

 

 

* 北アメリカにおける最初の緊急通報用電話番号は 911 で、1959年よりカナダのマニトバ州ウィニペグなど、一部の都市で使用されるようになった。この911緊急通報システムは、1968年にアラバマ州でアメリカ合衆国において初めて使用開始され、1972年にはカナダもそれに変更した。ただし、緊急通報用電話番号の911への変更は秩序だったものではなく、北米電話番号計画に参加している国や地域のほとんどにおいて、911の使用が一般化したのは1980年代のことであった。



ーsunnyskyzの実話記事から。


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