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ロサンジェルス・タイムス新聞のアン・ウェルズ記者が書いた小さな記事(下記)を気に入っている。この記事を読んで、ふと母のことを思った。私の母は、アン・ウェルズのように、何かの特別な機会まで***をとっておく、と言うことはあまりしなかった。
小さなことでは、例えば、お赤飯。気が向くと母はしょっちゅうササゲを洗って、餅米と一緒に炊いていた。それはお赤飯の好きな子供(主に私)がいたからかもしれないし、あるいは戦中戦後の経験から、なんのために「特別な機会」を待たなければならないのか、とばかりに、気が向いた時に用意していたのかもしれない。
また「良い香水」も普段使いして、その香りは今でも母の記憶に結びついている。一人でも母は躊躇なく海外の旅をした。世界を目にしたい気持ちを今やらなくてどうするのか、とばかりに。そしてそれは、刹那的に生きる、とは異なるニュアンスを持っている。
Carpe diem(Seize the day=その日を掴め)をモットーにしていた母は、いつかこの世を去る前に、輝きのある経験をたくさん作っておきたかったのかもしれない、家族や自分のために。結局のところ、この世を去る時、物理的なものは何一つ私たちは持っていけない。かのスティーヴン・ウィリアム・ホーキング博士が言ったように、私たちが持っていけるのは、記憶だけだからである。
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私の義理の兄は私の姉のタンスの一番下の引き出しを開き、薄紙で包まれた物を取り出した。 「これは、」と彼は言った。「スリップと言うより、これはランジェリーだ。」と彼は言った。彼はその薄紙を捨てて私にそのスリップを手渡した。それは非常に優雅で凝った手作りのシルクで、レースでクモの巣のようにトリミングされていた。それには天文学的な数字の値札がまだ付いていた。 「ジェンは少なくとも8、9年前に初めてニューヨークに私達が行った時にこれを買ったんだよ。彼女はそれを着たことがなかった。特別な日のためにそれをとっておいたんだよ。」
彼は私からスリップを受け取り、葬儀屋に持っていく服などが広げられているベッドの上に置き、その手をしばらくの間柔らかい素材の上に置いた。それから彼は引き出しを閉めて、私の方を向いて言った。「特別な日のために何も保存しないことだね。君が生きている毎日が特別な日なんだよ。」
私はそれらの言葉を、葬儀の間とその後に続く義理の兄や姪が思いがけなくしなければならなかった悲しい雑用を手助けしている間も思い出していた。私は姉の家族が住んでいる中西部の町からカリフォルニアに戻ってくる飛行機の中で彼らについて考えていた。私は姉が見たことも聞いたこともしなかったことすべてについて考えていた。そして特別だとは思わずに彼女がしただろうことについても考えた。
私はまだ彼の言葉について考えていて、それは私の人生を変えた。私はもっと本を読み、埃を払う掃除を少なくした。私はデッキに座って、庭の雑草を気にせずに景色を眺めることができる。家族や友人と一緒に過ごすことに時間をもっと費やし、委員会議にはあまり時間をかけない。
可能であればいつでも、人生は味わうための経験のパターンであり、耐えるべきものではない。今この瞬間を認識し、それらを大切にしようとしている。私は何も「とっておく」ことはしない。体重を減らしてから、とか、最初の椿の花が咲くまで、とか、あらゆる特別なことや時のために、良い陶器の食器やクリスタルをとって置かずにいつでも使う。それを好めば食品買い出しに気に入った素敵なブレイザーコートを着る。私の理論は、もし私が裕福に見えるならば、私はたじろがずに小さなひと袋の食料品のために28.49ドルを払えられるということである。
私は特別なパーティのために良い香水をとっては置かない。金物店の店員や銀行の窓口係は、パーティへ頻繁に集う友人と同じように機能する鼻を持つ。 「いつか」と「近いうち」は私の語彙に対する理解を失いつつある。それを見たり聞いたりしたりする価値があるのなら、私は今それを見て聞きたいのだ。
私たち全員が当然のことと思う明日、自分はここにはいないと姉が知っていたなら、彼女は何をしたのかは、わからない。多分彼女は、家族と数人の親しい友人に電話をしたかもしれない。彼女は何人かの元友人に過去のつまらないイザコザを謝罪して許しを請うたかもしれない。私は姉が好物だった中華料理の夕食を食べに行っただろう、と推測するのが好きである。ただの推測に過ぎず、本当のところ、私は全く知らない。
私の時間が限られていることを知っていたら、私が腹を立てるのは、やり残したそれらのささいなことだろう。いつか連絡を取ろうとしていた良い友達と会うのを延期したので怒る。私が書くことを意図した特定の手紙を書いていなかったので怒ったのはごく最近である。夫にどれほど彼を本当に愛しているかを十分に伝えなかったことを怒り、悲しむ。
私は生活に笑いと輝きを加えるような事を先送りにしたり、遅らせたり、とって置いたりしないように非常に懸命に努力している。そして毎朝目を開けると、今日は特別な日だと自分に言う。毎日、毎分、すべての息は本当に神からの贈り物だからである。