ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

ウィークエンド/ゲッタアウェイ その2

2018-06-15 | アメリカ事情

http://eccentricroadside.blogspot.com



墓地から戻った私は、夫と海辺のインでゆっくりスウェーデン式パンケーキと卵とハムの朝食を摂ってから、カリフォルニア・コーストハイウェイ1(PCH)を南下して、ボデガ・ベイまで行くことにした。 スウェーデン式パンケーキは、スウエーデン以来7年ぶりに供されたので、早速写真を撮ってドイツの三男の妻にテキストすると、彼女から「確かに!」と返事が来た。私達の住むセントラルカリフォルニアには、スウェーデン人移民の切り開いた町があり、毎年スウェディッシュ祭りを催し、このパンケーキもふるまうのだが、近いとかえってなかなか行かないのが常。 リトル・リヴァー周辺はロシア人やイタリア人移民が多いのだが、なかなかおいしいスウェーデン式パンケーキであった。


ただの薄いパンケーキと侮るなかれ。

 

 

パシフィック・コースト・ハイウェイ(California State Route 1=国道1号線)は、愛称PCHと呼ばれ、カリフォルニア州太平洋沿岸の大部分を走る南北の最長州道ハイウェイで、わずか655.8マイル(1055.4Km)だが、サンフランシスコ周辺やロサンジェルス周辺などいくつかの沿岸都市を結ぶ。1919年連邦資金で建設が始まり、1921年には加州有権者は、州政府資金の調達を選挙によって承認した。建設には、三つの刑務所が簡易的に建設現場付近に作られ、服役囚が労働力となり、受刑者は1日当たり35セントの支払いを受け、懲役刑の者は重労働の代償として減された。1930年代にはBig Sur地域で初の部分道路が開かれ、その後ハイウェイは、様々な段階を経て延びていった。


このハイウェイは、特にBig Sur周辺など、海岸沿いの頻繁な土砂崩れや浸食によって度々、最近では去年、切断され、修復されている。去年土砂崩れで遮断されたあたりにはおいしいキャラメルを生産する修道院(僧院)があり、一時はヘリコプターが主要交通運送手段だった。そうした災害が起こる場所は、往々にして圧倒的な景観の良さがあるが、気の遠くなりそうな高所をカバーする橋も多く、また道筋もよじれていて、いつも私は車の中で窓外の絶景の恐ろしさに凝り固まる。Big Sur周辺にあるジェイド(ヒスイ)・ビーチはそのハイウェイすぐ横にあり、本当にジェイドがゴロゴロしていて、一度は行ってみたいのだが、道筋の恐ろしさに打ち勝たなければならない。ちなみにジェイド・ビーチは、機械を使わなければ、手で拾える範囲で見つけたジェイドは持ち帰りができる。常識の範囲内のやり方で、見つけた、常識の範囲内の量を、である。


Bixby Creek Bridge near Big Sur ビッグ・サー付近のビクスクリクリーク橋  PCH https://en.wikipedia.org



そんなPCHをしばらく走ると、やがてボデガ・ベイ(Bodega Bay)の小さな町並みに入る。地図をご覧いただくとお分かりだが、Bayと言われるのは、小さな湾になっているからで、カニ漁が盛んだそうだ。そして、このボデガ・ベイはヒッチコックファンの方なら、すぐあの「鳥」を思い起こされるだろう。ボデガ・ベイの町並みから少し南に行くと、左手に丘の間にある集落ボデガに着く。そこに、主役のティッピ・ヘドロンが、いつの間にか校庭に大群となって集まったカラスに気づき、学校内にいた小学生達を伴って逃げる場面で出てくる「ボデガ・ベイ学校」がある。ボデガの小さな小さな集落に、一軒だけアンティークショップがあり、そこでミニチュア・カーのコレクションから、孫息子達のよろこぶ物も見つけたのも楽しかった。


 

ボデガ・ベイとボデガ      https://www.google.com/maps

 

 

Potter School 建物は、1968年から個人所有になり、現在でも同じ家族が所有している。個人所有のため、内部は一般公開はされていない。

 

https://www.google.com

 

  

子供達とティッピ・ヘドロンが襲い来るカラスの大群から逃げ惑う場面に使われた。映画は合成であるが、手前の教会と後ろに少し見える学校建物は現存する。 そしてTides Restaurant。今はすっかり大きくなっているが、

いまだ同じ場所にある。

 

  

ここで軽くランチ。 レストラン内には、「鳥」のメモラビリア写真がたくさん飾ってある。

 

 

ボデガ・ベイの向こう側へ行ってみたが、あいにく強風の午後で、外海に面した丘に立つことさえ怖かった。 強風の上かなり寒くて、夫と私はそうそうにホテルへ戻り、暖炉に薪をくべて暖をとった。


ボデガ・ベイのあちら側=外海の太平洋

 

 

翌朝私達はPCHを南下し、ボデガの集落を通り抜け、セバストポルを経てハイウエイ12でサンタロサへ戻り、そこからUS101を通って、金門橋を渡り、帰宅した。短いけれど、リトル・リヴァーの静けさを再び楽しめ、北加コーストで休養できた旅だった。この次はどの小さな町(カリフォルニアの)を訪問しようか、と、もう次のプランをしたことだった。月曜日からの通常勤務に、「耐えられる」ような英気を多少は養うことができたと思う。


 

ただいま~!

 

コメント (2)
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