ちぎれ雲

熊野取材中民俗写真家/田舎医者 栂嶺レイのフォトエッセイや医療への思いなど

こっくりさん と ひょっこりさん

2008-04-09 | 心理
思えばこれも「神おろし」ですね.願いと慈しみのたっぷり浸み込んだ手ぬぐいが,木々の間に亡者の姿を呼び戻します.(恐山,青森県)


 ブログを書く前にメールを,と思ったのですが,ひとつ書くのに1時間半かかってしまい,日付が変わる前にブログまでたどり着けませんでした.メール書くの,とにかく遅いです.人に読んでもらうと思うと,簡単なメールでもさらに何度も読み返したりして,なんでそんなに書くのに時間がかかるんだと笑われます.ついでに,書いてる間は何を話しかけられてもまったくわかりません.書きたいメール,書かなくてはならないメールがたまっていきます.いつも返信が遅くてすみません.

 ところで今日はたまたま中国のまじないについて見ていて,「こっくりさん」もまたひとつの「神おろし」であるということに思い当たってびっくらこいていました.
 いや,考えてみればそうなのですが,小さい頃に「遊び」として自分の中に入ってきたものなので,それが"神おろしの儀式"であるなど,考えたこともなかったです.
 今でも流行っているんでしょうか.こっくりさんは,紙に五十音と記号を書き,十円玉をのせ,その上に参加者全員が人差し指をのせて,「こっくりさん,こっくりさん,おいでませ・・」と唱えると,こっくりさん(私のいた小学校では,稲荷神社から来る狐の神様ということになっていた)がその十円玉に憑依して文字の上を動き,参加者の質問などに答えてくれるというものです.
 小学生でありながら,道具,唱え言葉,複数の参加者が揃ったみごとな「儀式」をやっていたんですねえ.逆に,そのよくできた魔術的・儀式的な雰囲気や,異界から得体の知れない何者かが「こっくりさん」という名前を伴って確かに目の前に現れる不思議さが,小学生の間に爆発的な流行をもたらしたのかもしれません.


宇曽利湖畔で,死者の霊を呼んだ後に残った花たち


 しかし,こっくりさんの難点は,ひたすら「祟る」ということでした.
 皆の人差し指を載せた十円玉は,時には恐ろしい内容を伴いながら文字の上を走り,現実に稲荷神社に捧げものを持ってお参りするクラスメートが続出するに至り,全校集会で先生からこっくりさんの禁止令が言い渡されるという事態に発展したのでした.

 が,私は誰にも言いませんでしたが,開始してすぐには意味をなさなかった十円玉の動きが,誰かが「○○って言ってんじゃない?」と言ったとたんに猛スピードでその言葉通りの文字の上を走るのを見て,こりゃあ稲荷から来る狐の神様なんかじゃないな,と思っていました.十円玉はあくまで皆の心に合致した文字の上を動き,誰の心の中にも言葉が思い浮かばないうちは,十円玉もまた言葉を成さないのです.

 それで,こっくりさんを禁止されて意気消沈しているクラスで,
「ところでさ,ひょっこりさんていうのがいるんだけど」と,私は言いました.
 紙の上にわざと何色もの蛍光ペンで文字と記号を書き,百円玉を置いて,
「ひょっこりさんは,絶対に祟らないんだ.」
 そして,
「ひょっこりさん,ひょっこりさん,おいでませ・・・」
 唱えるだけで誰かが吹き出します.目もチカチカの極彩色の蛍光文字とビカビカの百円玉,絶対に祟らないひょっこりさん.
 ひょっこりさんが乗り移った百円玉は,絶対に良いことしか言わず,皆をくったようにのんびりしていて,そして,こっくりさんでは絶対に考えられなかったおチャラケまで言うようになったのでした.皆は面白がって爆笑しながらひょっこりさんをやりました.

 しばらくの間,休み時間は,ひょっこりさんが流行りまくったのもまた事実です.



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