ちぎれ雲

熊野取材中民俗写真家/田舎医者 栂嶺レイのフォトエッセイや医療への思いなど

山本太郎さん事件と、ネットでの意識操作

2011-05-30 | 心理

 まだ、和歌山ヒ素カレー事件があった頃の話です。
 当時、インターネット上のニュースページの掲示板(どのニュースサイトだったかはもう忘れましたが、2channelではありません)で、ヒ素について議論が荒れていました。医療関係者である私も書き込みを試みました。が、すぐに気づいてしまいました。
 声高に「◎だ!」と繰り返し書き込むよりも、たった1回、できるだけ汚い口調で◎を否定する書き込みをした方が、掲示板の世論を◎に誘導できるのです。
 自分が◎だと思っていても、◎を否定する書き込みをする。それも適度に破綻している方がいい(説得力があって読者が納得してしまっても困る)、読者が思わず一言書き込まずにはいられなくなるような、怒りを誘発するような、イヤな書き方がよい。今で言う「釣り」のようなあからさまなやり方ではなく、あくまで真面目な発言の一つというフリで、うまくやるのです。うまくやれば、正面きって正当に論じるよりもはるかに多くの、自分が意図する世論を引き起こすことができる。
 私はすっかり馬鹿らしくなり、それっきり掲示板というものに書き込みしなくなりました。
 ずいぶん昔のことですね。
 でも、最近、妙にこのことを思い出すことがありました。俳優の山本太郎さんが「原発に反対したので仕事を干された」と言った、というニュースです。

 前置きですが、私は正直、真偽のほどは知りません。この方の人柄も、事の成り行きも、裏の話もよく知りません。この方が、実際に福島や東京で、どのような活動をされてきたかも知りません。実際の現地での彼の姿を知っている人には、「何も知らないのに勝手なことを言うな!」と怒られてしまうのだろうと思いますが、あくまで、報道された部分についての個人的な感想です。

 「今日、マネージャーからmailがあった。『7月8月に予定されていたドラマですが、原発発言が問題になっており、なくなりました。』だって。マネージャーには申し訳ない事をした。僕をブッキングする為に追い続けた企画だったろうに。ごめんね」

 私が読んだのはこのツイッターの文章だけです(5/27のYahooニュースで読みました)
 多くの人は、テレビ局ひどい!とか、原発反対してる山本太郎えらい!とか、反対派を押し込める原発なんて、やっぱり反対!となったでしょうか?
 私の正直な感想は、"違和感"でした。
「うまくできすぎている。変だ」

1)降板は本当に原発に反対したせい?
 「原発に反対したから」という理由で俳優を降ろすようなあからさまな行動をすれば、どれだけの反発(というより、攻撃)が来るか、誰が考えても明らかでしょう? 東電や原発関係者にとっては、最も避けたい状況のはずです。テレビ局も馬鹿ではありません。そんな明らかな「理由」をつけて降板させるでしょうか? たとえ他に降板理由があったとしても、「原発運動に関わったせいでやられた、ひどい」と先に言ってしまえば、(特に今この社会状況では)皆が信じるのではないですかね。

2)・・・テレビドラマについて一生懸命だったのはマネージャーさんの方ですか?
 たぶん1)だけだったら、私もなんとなく「テレビ局ってあからさまなことするのね、ひどーい、原発反対がんばれ」という普通の感想で終わっていたと思います。が、違和感が2つ重なると、さすがに意識に上ってくるようです。
 1)がその通りだとしましょう。原発運動という、自分では正しいと信じることをやったのに仕事を干された。自分の信念は貫いたが、本来の仕事を貫くことができない。そうしたら、降ろした者への怒りとともに、「個人」と「仕事(俳優)」の間に大きな葛藤が生じませんか? が、彼はその怒りも葛藤もすっとばして、マネージャーさんへのねぎらい? 他人の心配? ドラマ干されてがっかりしてるのはマネージャーさんの方なんですか? 一見、自分は差し置きマネージャーを心配する良い人にも見えるが、その妙に「良い人」なのが、私には違和感なのです。それで、「なんか変だ。なんか、うまくできすぎている」と。

 実際にはテレビ局が、本当にあからさまに言論弾圧やったのかもしれないし、山本太郎さんの原発運動は素晴らしいものかもしれない。
 でも、真偽がどうであれ、このツイッターは日本中の目を一挙に、山本太郎さん&福島の原発運動に向けさせたことは事実です。
 そして、「原発反対してる山本太郎さんは偉い!」「反原発やってる人ガンバレ!」「弾圧なんかやる原発推進派は悪!」という世論を(たとえ一過性だとしても)ぶわァッと燃え上がらせたのも事実。
 素直な人たちは、何も考えずに無意識に「反原発」に傾くでしょう。今回のことで、原発を嫌う世論も無意識に増幅したと思われます。

 真偽はともあれ、「原発運動のせいで降板させられた」と言ってしまったもん勝ち。
 それでもめげずにマネージャーさんを心配するけなげな姿を見せてしまったもん勝ち。

 それが最大の原発反対運動になるわけです。
 そして実際に、予測された通りの大成功だったんじゃないでしょうか。

 だからやっぱり「うまくできすぎている」と、私は思うんですけどね。


PS 念のため、私は原発反対です。理由は細かくたくさんあるので今は一々書きませんが。
 何てったって、まだ電気もなかった昭和30年代以前の山村生活に魅せられて、「現代人が学ぶことがいっぱいある!」と、取材に通い詰めている人間であります。
 電気はなくても、知恵はたくさんあったよ。

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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2011-09-25 09:20:07
さて電気が無くても知恵があった山村の一つであった知床で彼らが出した結論は「発電所を作る」でした。
彼らは自力で(予算という意味ではなく文字通り自分たちで工事をして)水力発電を開始しました。
しかしながらそれでは満足な電力を得られず、冬季に凍り付いて停止すれば、過酷な環境での普及作業が必要でした。
そういった理由で彼らは火力発電所を建設することにし、ディーゼルエンジンによる発電を開始しました。
後にそれも安定的で安価な北電の電力にとって代わられます。
結局彼らも近代的生活を欲していた。
つまりそういう事と思います
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