先週末は和歌山県かつらぎ町花園梁瀬(旧花園村)の御田舞を見学に行っていました。
(謹賀新年 2015年/下花園神社の松明押し(たいまつおし)で書いたのを、実際に見に行ってきました。)
「御田舞」は、日本各地に伝わる「修正会」「オコナイ」「オンダ」「田遊び」などと同じ、日本古来からある正月行事の一つで、新しい一年の五穀豊穣・国家安泰を祈るものです。地域によって、仏教の修正会の法要だけとか神道の稲を捧げる神事のみという宗教儀式だけの所から、歌、踊り、お芝居まで含んだ庶民の芸能になっている所もあります。昔は正月に1つ歳をとったので、この行事が成人儀礼を兼ねているところもあるなど、地域の数だけバリエーションがあると言えるほど多彩です。
特にこのお正月は、延々祝詞が述べられるタイプの田遊びを見学に行って、ひたすらじっと聞いているうちに、無性に高野山麓の御田舞を見たくなったのでした。同じ新年行事の中でも、御田舞は特に歌・踊りという"芸能"の面で秀でたものではないかと思います。
今回花園の御田舞は練習の時から見学させていただいたので、内容もかなり理解することができました。
リズムもそうなんですが、歌の節回しの所々に跳ねるような歌の抑揚が繰り返されるのと、舞もじりじりと動く「静」と素早くくるりと動く「動」が繰り返されて、妙な推進力があります。練習の時も何度も、年配者から「速い速い!もっとゆっくり」とアドバイスの声がかかっていましたが、節回しが繰り返されるうちにどうしても速くなってしまうんですよね。気をつけなければどんどん速くなってしまうようなリズムと抑揚のある歌と舞なのでした。
ちなみに上の写真は、稲束と鎌を持って舞う「田刈り」の場面。稲を刈っては高く掲げる所作を3節の間繰り返す……というのを、場の前・中・後の3回舞い(これで9節)、それを東西南北4方向行うので、実に36節の間屈伸運動を続けるわけで、演者はもう汗だくのくらくら、見るからに辛そう。
でも、この舞が長ければ長いほどつまり「たくさん刈らねばならないほど実った」ことになるわけで、しつこいくらい長く舞う必要があるのだろうなあと思いました。
実際に舞うのは20~30代の若者、舞い手(役者)を引退した40代以上の年配者は謡いにまわります。上記のように、舞うのも太鼓を叩き続けるのも凄まじい体力が要るので、若くないと無理と言っていました。でも、古老だけで何とか維持されている各地の行事が多い中、若者が多数参加してメインを張っている花園の御田舞は、それだけで豪華で頼もしく見え、集落の力も感じさせました。
練習の時、年配者が「こう」って舞ってみせるじゃないですか、その動きというか所作がね、姿勢からしてもう、断然違う、惚れ惚れするんですよ。若い頃からずっと舞ってきたんだろうなあというのが一目瞭然。それが若い人たちに伝えられ、また若い舞い手(役者)たちが真剣に何度も所作を見てもらっている様子が頼もしかったです。
↑「鬼走り」の注連縄を切る場面の写真を載せているものが
すべての舞が終わった後、場の脇で見守っていた白しらげ(神主役)が場の結界である注連縄を切り、舞い手(役者)たちが堂の外に走り出して、御田舞が終了します。
修正会の最後(結願)に行われる鬼走りが、ここではこんな形で残っているんですね。
その後、松明を持った役者たちがお寺の斜面を駆け下り、再び駆け上がってすべてが終了するんですが…………、カメラマン、あんなにたくさんいたのに、誰もついてこないやんか!!(笑)(御田舞が始まる前に、斜面を駆け下り、駆け上りながら「矢」を放っていく場面でも、カメラマン他に誰も来なかったやんか!(笑)) 急斜面を全力疾走ですよ。(走っては振り向いてシャッター押し、また走っては…を斜面でやるので、本当に全力疾走しないと、追い抜かれてしまい撮れない)ええ歳だけどまだまだ走るねんよ(笑)
↑写真はあえて、ストロボを使わないで撮っています。
↑ストロボを使うとこう(それでも控えめですが)
普通に使われる写真はこうですよね。
↑でも実際の肉眼での見え方はこうかなと。
ストロボなんか使わない方が、凄みが伝わります。
昔は御田舞も、夕刻から始まって夜半に終わっていました。今のようにスポットライトもストロボもない時代、蝋燭の灯りだけでお堂で舞われていた所を想像すると、神の前で稲作の所作を粛々と奉納していく意味が、なんとなくわかるような気がします。