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ちぎれ雲

熊野取材中民俗写真家/田舎医者 栂嶺レイのフォトエッセイや医療への思いなど

台風12号災害から知ったこと 番外編(2) 自衛隊さんありがとう

2014-02-12 | 危機管理と災害

 2011年9月に紀伊半島を襲った台風12号の災害後、那智川谷(有名な那智の滝がある川)に入った時、そこらじゅうは爆弾でも落とした後かのようで、自衛隊の人々や車両がたくさん入り込んでいて、不謹慎ながらまるで日本ではないようだったと、以前書きました。

 でも本当に、どしゃぶりの雨の中、再び崩れるかもしれない那智谷で、現実に目の前で動き回る自衛隊隊員や車両を目の当たりにして、頭が下がりました。

 このような災害時に実働できるのが、実際に被害にあった人々本人か、軍隊(ではないけれど、厳密には)しかないという状況を、どう飲み込んでいいのかしばらくかかりました。

 普通じゃない状況下で動ける訓練をしているのが軍隊しかない、というのは変な感じがしたし、日本で災害時に動ける訓練を極めていけば結局軍隊という形になるのだろうと思うと変な感じもしたけれど、そんなことをごちゃごちゃ考える前に助けてくれているのは目の前の自衛隊さんたちなのでした。

 一般に暮らす私たちは実際に災害の現場を見ないと現実感が湧かないのかもしれないけれど、実際に目の当たりにして本当に思いました。

 自衛隊さん、ありがとう。


 長く書いてきた台風12号のシリーズはこれで閉めたいと思います。


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台風12号災害から知ったこと 番外編(1) 石仏は残った

2014-02-08 | 危機管理と災害

 2011年9月に紀伊半島を襲った台風12号による災害について、当時現地を歩いて見たこと/知ったことをシリーズで書いてきました。
 土砂災害(土石流)について1)~5)、水害(河川氾濫)について6)~10)で書きました。

 今回は番外編。
 熊野川及びその支流のすさまじい氾濫で、道ばたの石仏や祠なんかはみんな流されてしまったかと思っていました。
 もちろん跡形もなくなってしまったものもあります(熊野川町九重の、昔お店だった所にあった三地蔵など)

 でも、意外にや。どっぷり水没してすごい水流にさらされたと思った場所でも、祠は残っていました。これにはかなりびっくりしました。

 上の写真(災害翌週に撮ったもの)は、熊野川町田長の祠です。手前に散乱しているのは、用水(どぶ)の石の蓋ですね。まず用水が溢れて、その水圧で蓋が飛んだんです。石の蓋が飛んで流されて来るくらいの水流が来たことがわかります。でも、祠はまったく無傷です。積まれた石も、この地域ではほぼ必ず祠にまつられる丸石(玉石)神も、元通りの姿。
 確かに少し奥まった場所に鎮座しているというのもあるんでしょうけれど。

 これの道路を挟んで筋向かい(熊野川に接した方)に神社があるんですが、その石段の下に鎮座している石仏も無事でした。

 祠は意外に災害を受けにくい場所にあるんでしょうか?




 こちらは熊野川町日足の石仏。石仏は流されかかったらしいけれど、すぐ手前の泥にはまる程度で済んだようです。誰かが拾い上げて立て掛けてあります。何事もなかったかのように咲いている花もたくましいですね。

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台風12号災害から知ったこと 10)逃げようと誘われたら逃げよう

2013-12-31 | 危機管理と災害
流された古い家屋の一部。これは北山川流域、九重にて。


 2011年9月に紀伊半島を襲った台風12号による災害について、当時現地を歩いて見たこと/知ったことをシリーズで書いています。
 前半は土砂災害(土石流)について1)~5)に書いたので、後半は水害(河川氾濫)について書いています。


10)逃げようと誘われたら逃げよう

 災害後私が聞いた中で、その集落で人が亡くなったのは1軒だけ、という集落が2つありました。
 そしてその2カ所とも、近隣の人が「逃げよう」と誘いに行って、逃げるのを断ったお宅でした。
 他の人たちは避難したので助かりました。

 私の10/30のブログ、警戒情報(避難勧告)はどこまで有効かにも書いたのですが、警戒情報が出たからといって、「逃げる」のはとても勇気がいります。避難勧告が出て100回逃げても、そのうち実際に災害が起きるのは3回か4回という頻度である上、特に、周囲の人が逃げようとしない時に、自分だけ逃げるのはとても勇気と覚悟が要ります。

 これは、正常性バイアスと言って、本当は逃げなければならない状況にもかかわらず、「今のこれはまだ逃げなくてもいいんだ!」と思おうとする心理が働いてしまうことを言います。
 詳しくは、例えば参考にして下さい↓
防災心理学、正常性バイアス、多数派同調バイアス
(防災システム研究所のサイト自体がとてもためになるので見てみて下さい。
防災システム研究所ホームページ

 でも、周りの人が「逃げよう!」「逃げなきゃ危ないよ!」と誘ってくれる状況は、まさにこの正常性バイアスを打破する状況!なのです。

 もともと隣人との関係が悪いとか、人に言われると反発してしまう天の邪鬼な人……ならまだしも、そうでないなら、他の人に誘われたら、ムダでも絶対一緒に逃げて下さい。結果、ムダだったら(災害が起きなかったら)、よかったねと一緒に笑い合って下さい。

 1軒だけが亡くなってしまった各集落、誘って断られてしまった人も無念です。

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台風12号災害から知ったこと 9)屋根裏は逃げられない

2013-12-30 | 危機管理と災害
集められた自家用車の残骸。洪水の破壊力の強さがわかります。那智川流域にて。


 2011年9月に紀伊半島を襲った台風12号による災害について、当時現地を歩いて見たこと/知ったことをシリーズで書いています。
 前半は土砂災害(土石流)について1)~5)に書いたので、後半は水害(河川氾濫)について書いています。


9)屋根裏は逃げられない

 台風12号災害では、土石流に呑まれるだけでなく、水害でも多くの方が亡くなりました。
 その中で、非常に残念(というか恐ろしく)かつ、教訓にしなければいけないと思ったのが、屋根裏で亡くなった方の話でした。

 家屋が浸水して、どんどん水かさが上がってきたら、やっぱり1階から2階へと逃げますよね。
 その2階も水没し始めて、窓の外も一面水の海、家の外へ逃げることもできない、という状態になった時、あなたならどこへ逃げますか?

 私が聞いたのは、2階も水に浸かったので屋根裏へ逃げた人の話でした。

 そして、水位は屋根を越えました。

 屋根裏は窓も隙間もありませんから、そのまま屋根裏ごと水没したのでした。

 まさかそこまで水は来ないだろう、という憶測は禁物です。屋根裏の出入口は真下(2階との間)にしかない&水は下から上がってくるわけですから、水没した2階に戻ることは不可能です。洪水時、屋根裏は逃れられない、という教訓でした。

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台風12号災害から知ったこと 8)洪水は下流から来る - 高田川の場合 -

2013-12-28 | 危機管理と災害
高田川で最も被害の大きかった(水位が高かった)辺り。下流です。


 2011年9月に紀伊半島を襲った台風12号による災害について、当時現地を歩いて見たこと/知ったことをシリーズで書いています。
 前半は土砂災害(土石流)について1)~5)に書いたので、後半は水害(河川氾濫)について書いています。


8)洪水は下流から来る - 高田川の場合 -

 高田川は、熊野川の河口から10kmくらい上流の所に注ぐ、(前回紹介の相野谷川に次いで2番目に河口に近い)比較的大きな支流です。
 この高田川の洪水も、下から上がってきました。というか、本流熊野川への合流点にまるでダムがあるかのようなイメージで、本流へ注げないどころか、本流から逆に流入してきたので、ダムのように増水したのでした。

 地図を見ていただくとわかるのですが、高田川流域は、下流3kmくらいの相賀という急斜面が両側に迫った渓谷地域と、そこからさらに1.5kmくらい上流に広く開けた高田盆地でできてきます。高田集落が"ろうと"の広い口、相賀集落が"ろうと"の狭い管の部分にあると思っていただければわかりやすいかと。
 この"ろうと"みたいな地形も、被害を悪化させたかと思います。
 相賀から高田へ上がるのに1km近くも高田トンネルを掘っていることからわかるように、"ろうと"の管部分の相賀一帯は険しい地形になっています。
 そして、高田川流域で一番被害が酷かったのは、その水の逃げ場のない下流の相賀地域でした。

 高田集落へは災害の5日後の9/9にボランティアで入ったので、写真はその時の様子です。
 上の写真は、相賀バス停付近ですが、あの長さの植林木が橋に引っ掛かって立つほどの水量があったことを示しています。左に見えている民家は完全に水没しました。
 
 そして橋の高さに道路があるわけですが、↓


 道路脇の木についた傷からも、水位の高さが伺えます。


 相当の厚さに泥が堆積しています。
(泥をかいたので車が入れるようになった)


 避難所ではなく自宅待機している方のお宅に、役場の方が飲料水を運び、保健婦さんと一緒に伺います。
 道から坂道をどんどん上がっていくんですが、それでもご自宅の屋根瓦まで水が来たことがわかります(写真右側の民家) 住民の方は、母屋からさらに斜面の上の納屋に逃げて助かりました。

 住民の方が仮生活している納屋まで行きましたが、こんな高さまで!?と驚くような、川を見晴らす斜面の上だったです。なのに納屋でさえ足もとまで水が来たそうです。

 川の合流部は氾濫する
 そして、合流部に近い支流下部では、本流に遮られた水&本流からの逆流のダブルパンチでダムのように増水する
 ということを、実感した一日でした。

 ちなみに、高田川上流の高田集落では、皆さんが避難していた雲取温泉の直下まで水没したものの、そこでかろうじて増水は止まりました。


 それでも、雲取温泉のすぐ下の橋はこんな感じ。
 増水だけでもイヤなのに、こんな木が流れてくるなんて凶器!!危険すぎる(;;)

PS
川の合流部は氾濫するというのに付け加えですが、熊野川本流への赤木川の合流部(2011年7月の台風でも冠水していた)の能城~日足地区では、台風12号時には熊野川町旧役場庁舎(4階建て)の3階まで水没しました。(2階にあった防災無線は全滅でした)


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台風12号災害から知ったこと 7)洪水は下流から来る - 相野谷川の場合 -

2013-12-23 | 危機管理と災害
熊野川の一番河口に近い支流、相野谷川沿いの被害を受けた家屋


 2011年9月に紀伊半島を襲った台風12号による災害について、当時現地を歩いて見たこと/知ったことをシリーズで書いています。
 前半は土砂災害(土石流)について1)~5)に書いたので、後半は水害(河川氾濫)について書いています。


7)洪水は下流から来る - 相野谷川の場合 -

 水というのは上から下へ向かって流れるのだから、洪水も上流から襲ってくる、と思い込んでいたら、台風12号ではまったく違いました。洪水は下流から襲ってきました。

「下流から上流に向かって家が流された」
 これを聞いたのは、熊野川の支流、相野谷川沿いの話です。

 相野谷川は紀宝町に位置し、熊野川の河口からわずか3kmくらいの、最も本流河口近くに注ぐ支流です。山がちな熊野地方としてはめずらしく、川沿いにはおよそ2kmもの幅にわたって上流6kmくらいまで広々と平地が開け、田んぼが広がっています。(実はこれが重要なんですが、後述します)

 この相野谷川が熊野川に注ぐ場所には、ハイテクを駆使した巨大な「鮒田水門」というのが建設されていて、来るべき南海トラフ地震による津波が熊野川河口から相野谷川に入り込んで遡らないように、ガッチリ固めています。近寄ってみると、まるでダムのような巨大なコンクリート施設で圧倒されます。

 この鮒田水門は熊野川が氾濫した時に、その氾濫が支流の相野谷川に逆流しないようにという目的もあるそうなのですが、熊野川が氾濫するような大雨時には当然、相野谷川も相当な水量になるわけで、水門を閉じればいいという単純なものではないことが想像がつきます。(熊野川は流域が長いので、例えば上流域だけが大雨で、下流域で本流のみが増水している、というような場合ならいいのですが。)水門が閉じられれば相野谷川の水は流出口を失い、今度は相野谷川が氾濫する。それを見越して(?)相野谷川沿いの集落を取り囲む「輪中堤」というのが2006年に作られたそうなんですが、結果、鮒田水門も輪中堤も、台風12号では用を成しませんでした。

 台風12号による熊野川の増水で、鮒田水門は一旦閉じられるのですが、相野谷川の水量も想像を絶していて、数時間のうちに輪中堤が水没……(汗)鮒田水門を再び開門せざるをえなかったのでした。しかし豪雨はやまず、熊野川はますます増水して相野谷川を逆流(流量が熊野川のキャパシティを越えているわけだから、河口付近は特に溢れるわけで……)、相野谷川も同じく増水しているのに本流の逆流に遮られているわけだから、やっぱり逆流したのでした。


過去の水害を知る高台の、古くからある家屋も、屋根まで被害です。



 これらの話を聞いて、私は思い出したことがありました。
 相野谷川の上流7kmくらいのところにある(正確には相野谷川のさらに支流の相野川沿いの)平尾井集落まで、昔は船が遡ってきたという話です。
「船って言ってもね、たいそうなものじゃないよ、物を運ぶ木の小舟ね。」
 平尾井のご老人によると、まだ自動車も車道も一般的でなかった頃、物資を運ぶ小舟が、熊野川河口の新宮から、田んぼの間の用水路を遡ってきたというのです。
 それを聞いた時、こんな所まで船が上がってこれるのか?と驚きました。というのは、平尾井は川のかなり上流の山奥に見えたからです。

 でも今思えば、小舟が物を積んで遡って来られるくらい、水も遡りやすかったんですね。

 山がちな熊野地方にしては貴重な水田地域であるのも、実は水が溜まりやすい、もしくは、度々洪水で泥土の堆積があることを示しています。幅2kmにもなる広々とした川周辺の光景は、"洪水原(氾濫原)"だったのです。

 ただ、田んぼを作るには、いつでも水を得られ、しかも洪水によって定期的に栄養をいっぱい含んだ水や土が供給される場所が良いわけですから、洪水原であることは悪いことばかりではない。そこに家を建てて住んではいけないということで……。


(実は、鮒田、高岡、大里の3つの相野谷川沿いの集落は、輪中堤が建設された後に(だから大丈夫だろうということで)洪水原に造成された宅地だったりとか、その後水が引く時、輪中堤の中に流入した水が、今度は外へ流出しようとして堤を決壊させてしまったりとか、オチはたくさんあるのですが、詳しくは色々書かれているので検索してみて下さい。
例えば参考→ 紀伊半島・高岡輪中堤の崩壊-熊野川左支川・相野谷川の水害調査-


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台風12号災害から知ったこと 6)川は合流部が危ない

2013-12-20 | 危機管理と災害
2011年台風12号で冠水した「道の駅瀞峡街道 熊野川」にあった建物。
(ここは熊野川と赤木川の合流部のすぐ下流、しかも断層で川幅がぐっと狭まる場所にあたります)
屋根の上に流れて来た竹が引っ掛かっています。この高さを越える水位でした。
隣には熊野川町森林組合の巨大なログハウスがあったんですが、トイレの枠組みだけ残して、跡形もなく流されました。
(トイレって頑丈なんですかね?)


 すみません、シリーズなのに前回から1ヶ月以上経過してしまいました。
 2011年9月に紀伊半島を襲った台風12号による災害について、当時現地を歩いて見たこと/知ったことをシリーズで書いています。前半は土砂災害(土石流)について1)~5)に書いたので、ここから後半は水害(河川氾濫)について書きたいと思います。


6)川は合流部が危ない

 台風12号の被害があまりに酷かったので、ほとんどの人に忘れられてしまっているのですが、その少し前、7月にも南紀は台風の大きな被害がありました。2011年7月20日に潮岬を通過した台風6号(台風7号と接近し超大型となった)です。この時も熊野川は氾濫、家々は浸水し、幹線道路は水没しました。

 台風6号が去ってすぐ、熊野川沿いの国道168号を通った時に見たのは、
1)宮井(熊野川と北山川の合流部のすぐ下)
2)日足~能城(熊野川と赤木川の合流部)
 ……の2カ所が冠水していたことでした。

 この時、そうか、川の合流部は氾濫するんだ、と認識を新たにしました。

 いや、川の氾濫というのは、水が運ばれるキャパシティを越えるから溢れるのであって、大量に水が流入する支流の合流部が溢れるのは当然と言えば当然!?
 ……でも、その当然?を実際に目の当たりにすると実感というか、納得感は半端じゃないです。

 赤木川の氾濫で泥だらけになった畑で、浮いてしまった苗を植え直しながら、おばちゃんが「でもこれで、今年の冬野菜は期待できるわね」(川の氾濫で栄養分に富んだ土が畑にもたらされたから)と言うのを聞いて、地元の人はやっぱたくましい♪と感動していたのですが、それから2ヶ月たたないうちにあの台風12号が来てしまうとは。

 台風12号、もちろん氾濫しました。合流部が。

 今度は北山川や赤木川だけでなく、高田川も、相野谷川も。
 本流の熊野川自体が、海に流れきれなくて溢れたんですから。熊野川の下流近くに注ぐ支流の合流部は想像を絶する状態になりました。
 「溢れる」なんて生易しいもんじゃない、支流を、熊野川本流の水が、下流から上流に向かって「逆流」したんです。
「家が上流に向かって流された」という証言まで出ました。

 逆流する支流の話は次回へ続きます。


同じく「道の駅瀞峡街道 熊野川」にあった建物を別方向から見たもの。水位の高さがわかってもらえるかと思います。
右奥に見えている民家も、流されてはいないものの破壊されています。
車は乾かすために所有者の方がドアを開けているようです。



電線にせんたく物のようにぶら下がるゴミ。
水位は電線を越えたので、流されて来たものがひっかかりまくりです。
台風時の川って濁って泥水じゃないですか。それがそのまま堆積したので、道路も泥だらけ→乾燥して土埃だらけです。



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台風12号災害から知ったこと 5)災害後の地形は簡単には変わらない(追跡調査より)

2013-11-05 | 危機管理と災害

 2011年9月に紀伊半島を襲った台風12号大災害を体験してわかったことをシリーズで書いています。

5)災害後の地形は簡単には変わらない

 那智勝浦町金山の土石流跡を追跡調査してわかったことです。

 那智の滝のある那智川の支流、金山谷の上流では、台風12号による豪雨で4カ所の深層崩壊が起こり、それらが土石流となって金山集落、西山集落(前投稿の場所)を押し潰しました。土石流はさらに那智川まで流れ下って那智川をせき止め、そのせいで那智川が氾濫し、市野々、井関を始め、那智浜に至るまで大水害となりました。

 台風12号についての詳しい報告は、地盤工学会関西支部が出しているので参照してみて下さい。(私の写真に写っていた調査の人々は、たぶんこの人たち)
平成23年台風12号による地盤災害調査報告書


 それで、私の当時のブログでも書きましたが、
 災害前の(土石流で流れる前の)金山集落の写真がこちら。(2010年7月撮影)


 同じ場所から撮った、土石流直後の写真がこちら。(2011年9月撮影)


 上記の報告書によれば、金山集落の上に堆積した土砂の厚さは、およそ40mだそうです。

 この写真を撮った時、土石流の堆積土砂の上は、まるでホイップクリームのようにふかふかと柔らかく、ズブズブ足が沈んで、ものすごく歩きにくかったです。

 崖崩れって言ったら、ただ単に土砂がガバッと落ちてくるイメージでしょう?

 それが実際には、大量の豪雨と土砂が、周囲の土や岩や木だけでなく、空気も巻き込みながら、すごいエネルギーで流れ下るわけですから、水と空気とガレキのミキサー状態なのだ。
 土砂はものすごく水を含み、さらに空気も含んで、本当にホイップクリームのようになっている。

 この中に埋まっている人を探して掘り返すのは至難の業だ……と暗澹とした気持ちになりました。


 それで、年月が経過したら、土砂に含まれていた水や空気が抜けて、このホイップクリーム状態も少々は締まってくるんじゃないか? この40mという分厚い堆積土砂も、ちょっとは圧縮されて低くなるんじゃ……?また、沢の流れや雨で浸食されて、柔らかい土砂はかなり流されるんじゃないか?などと思っていました。

 が、災害からおよそ2年経ち、先日8月に金山に再調査に行くと、堆積土砂とその地形はまったく変化していないことがわかりました。ショックでした。

これが、約2年後に同じ場所から撮った写真です。(2013年8月撮影)


 上の災害直後(2011年9月)の写真と比べてみて下さい。

 堆積土砂の厚さはまったく変化していない。
 どころか、散乱している岩石や、倒木の位置もまったく同じでした。

 歩いた感じは、確かにホイップクリームのようにふかふかと足が沈む柔らかさはなくなっていましたが、とにかく崩れる……。1歩ごとに、ザラメのように足もとが崩れ、災害直後よりももっと歩きにくい(泣) 私は何度も足をとられて転び、2年前に来た時よりももっと擦り傷だらけになりました。
 ホイップクリーム状態から水分だけが抜けて、すごく脆い土壌になっているんです。
(言わばメレンゲのクッキー状態???)

 じゃあ、そんなにやわらかく脆いんだったら、雨ですぐ浸食されるんでは?って思うじゃないですか。

 ところがところがです。写真を拡大してよく見ると、沢の流れに面した、水面までほんの1~2メートルほどの斜面でさえ、そこに存在している石の位置が変わってないんです。斜面に露出した石が、雨水などで浸食されて沢に落ちるってことが起こってない。倒木も流れてない。

 ここで私がわかったことは、
(もちろん地域によって地質の違いや、天候条件の違いなどがあるだろうから、一概に決めつけてはいけないけれど)
 土石流災害でできた地形は、次に再び土石流などの大規模災害が起こるまで維持される。
 一度できた地形はそう簡単には変わらない……。

 ………ということでした。

 逆に言えば、扇状地の所でも書いたけれど、災害でできた地形かどうかを見分けることで、そこが災害が起きやすい地形かどうかを判断することが可能なのではないかと。そこが崩れてできた土地なのかどうか知っておくだけでも、暮らし方や避難のしやすさが変わってくると思うのです。


 ちなみにこの辺りの調査結果その他は、海の熊野地名研究会の10周年記念出版「災害と地名」(仮題)の原稿で書いていますので、ご興味のある人は出版されたら見てみて下さい(原稿締切やぶっていてすみません……)

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台風12号災害から知ったこと 4)土石流は真っすぐ流れる(ようとする)

2013-11-05 | 危機管理と災害

 2011年9月に紀伊半島を襲った台風12号大災害を体験してわかったことをシリーズで書いています。

4)土石流は真っすぐ流れる(ようとする)

 当たり前、と言えば、当たり前。
 その地形にもよるでしょうが、基本的に落下エネルギーはシンプルに重力の方向へ。

 ………でも、実際に土石流被害の跡を見て、「ああ。真っすぐ流れ下ってきたら、ここを直撃か……!」と気づいてがっくりするような光景が、台風12号後のあちこちでありました。

 例えば上の写真。
 左に見えている家は無傷でしたが、そのすぐ右の隣家は土石流の直撃を受けて写真の通り跡形もなくなり、人も亡くなられました。

 災害が起こる前、いつもここを通る時見たのは、この家に突き当たる感じで小さな沢が流れてきていて、それで、家の横を沢がぐるりとまわるようによけて、それから車道に橋がある、……という位置関係でした。上の写真の土石流の流路のもうちょっと右側に、小さな沢の流れと橋があったんです。

 でも、災害が起こってしまった今、家をよけるように流れていた小さな沢を思い出しても「ああー(嘆)」としか思えません。土石流はよけてなんてくれない、当たり前のことなんですが、今更わかっても遅いんです。

 もう少し言えば、今更ながらこの写真の土石流の場所を地形図で確認すると、この沢の上流は枝分かれもせず、かなりの距離にわたって真っすぐ下り続ける沢であることがわかります。沢の流れは小さく見えたんですけどね、実際は山頂直下から来る長い谷でした。たくさん枝分かれしたり流路の短い谷に比べて、流下するエネルギーが大きいことが伺われます。

 ただ、地形図だけでは、この家のみが直撃されるような、細かい沢の位置関係はわかりませんでした。
 地図だけでなく、自分の家と周囲の沢や尾根、谷、との位置関係を、ふだんからよく見ておかなくてはと戦慄しました。


 もう1例あげてみます。
 那智勝浦町を襲った大規模土石流の一つで、西山集落の半分を押し流し、人的被害も大きかった所です。
 国際航業ホールディングス株式会社が公開している西山の災害直後の写真をリンクしてみます(下記をクリック)


http://www.kk-grp.jp/csr/disaster/201109_kii/n/n05.html

 土石流は写真の左から右へ向かって流れ下っています。
 ほとんど真っすぐなのがわかるでしょうか……?

 西山集落は、ちょうど県道が谷を横切る所に、谷沿いに家々が並ぶ集落でした。谷に沿って……というよりも、県道から見上げると、谷床に家が建っているように見えました。西山集落の上方には昔、鉱山があって、西山の人々はこの沢を道にして、働きに通っていたそうです。
 それで、真っすぐ流れ下ろうとする土石流は、写真で見ての通り、流路の家を押し流し、山を背にしていた家だけ助かりました。

 自分が住んでいる土地が、どっち側からどんなエネルギーを受けるか(受ける可能性があるか)、よく見ておかなくてはと思った次第です。


 ちなみにこの会社は、数々の災害後の上空からの写真を公開しているので、防災に関心のある人には大変ためになります。災害後何年経っても公開を続けてくださっていてありがたい。
2011年台風12号の被害状況はこちら↓
国際航業ホールディングス株式会社:平成23年9月 台風12号による紀伊半島豪雨災害
その他の災害(3.11東日本大震災や、今回の大島町の災害も含む)のリストはこちら↓
国際航業ホールディングス株式会社:災害調査活動への取り組み


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台風12号災害から知ったこと 3)途中で止まった土石流

2013-11-03 | 危機管理と災害

 2011年9月に紀伊半島を襲った台風12号大災害を体験してわかったことをシリーズで書いています。

3)途中で止まった土石流

 災害発生間もなく、Googleの衛生写真を使った災害情報マップが設置されました。
 これは今でも見ることができ、紀伊半島各地の災害直後の衛生写真や報道写真を見ることができます。

台風 12 号災害情報 http://www.google.org/crisismap/japan_typhoon

 とても便利でよかったのですが、衛生写真をじーーっと見て、「ぎょえ………」と思うことがありました。
 実際に被害を起した土石流だけでなく、下まで到達しないで途中で止まっている土石流がたくさんある………!

 土石流と言えば、一番下の平坦な所に出るとか、川の本流まで達するとか、最後まで流れ切って被害を起すというイメージがあったのですが、衛生写真を見ると、全然流れ切ってないものがたくさんあるのです。

 いや、地形によって土砂の流れが阻まれることもあるでしょうから、当たり前と言えば当たり前?

 で、私が「怖ぇ……」と思ったのは、それらが集落の上流で止まっていることでした。

 一旦止まった土砂が、次の荒天で再び流れる確率がどのくらいかは、私は知りません。止まったのだから、次はもう流れないのかもしれない??
(途中で止まった土石流というものを、どう考えていいのか?どう扱っていいのか?知りたいと思うのですが)

 でも、集落の上流にそういうものがあるということは、「上流の山域は土石流を起す場所なのだ」ということを示していて、次には同じ谷の別のところが崩れるかもしれない、次には人家まで来てしまうかもしれない、と考えられるのです。

 上の写真は那智勝浦町の色川地区の例ですが、南紀の衛生写真を見ていたら、こんなのたくさんあります。

 例えば、熊野川河口から国道168号を川沿いに熊野川町に向かって遡っていくと、途中に白見の滝というのがあって、この滝も台風12号で派手に崩れたんですが、その滝の上流の山塊でたくさんの土石流が発生している(でも途中で止まっている)のが、衛星写真で見えます。
 この山塊は崩壊しやすいんだな?……と思うので、私は大雨の時は、白見の滝付近にはよう近付きません。
(下流の檜杖集落周囲でも多数の土石流が発生し、たくさん人も亡くなってしまったので、白見の滝周辺だけというより、荒天時には国道168を通らないようにしています)

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台風12号災害から知ったこと 2)山に存在する亀裂

2013-11-02 | 危機管理と災害

 2011年9月に紀伊半島を襲った台風12号大災害を体験してわかったことなどの続きです。
 被害は大きく分けて「土石流(主に深層崩壊による山崩れ)」と「水害(河川の氾濫)」なので、前半は土石流のこと、後半は水害のことを書いてきたいと思います。


2)山に存在する亀裂

 熊野新聞にも書いた「自宅が土石流に呑まれながらも、自主的に避難していて助かった人」が、ふだんから雨が降るとこまめに避難していたのは、山仕事や農作業で付近を歩き回って、山に亀裂があることを知っていたからでした。
 「いつか来る」と思っていたそうです。

 その人が指さす方向を見やると、たーしーかーにーあるではないですか!!亀裂が!!(上の写真)
 山にこんなにあからさまに亀裂があるなんて知らなかったので、びっくりしました。

 これだけでなく、他にもたくさんあるそうです。

 …………
 …………というのを聞いて、唸ってしまいました。

 何故なら、亀裂があるということが周知されているかどうか、亀裂の情報が皆で共有されているかどうかで、避難への意識や、実際の人的被害の大きさに大きな影響があるのではないかと思ったからでした。

 地域に1軒しかない雑貨店にたむろしている地元の人々に話を伺うと、けっこう皆さん、亀裂や、地形がおかしくなっている所などを知っていました。が、それが防災に結びついているかと言うと、……「?」です。

 地域には子供たちもたくさん住んでいるので、ぜひ亀裂や地形のことなどは、小学校や中学校で話題にして、避難に結びつけていってほしいです。
 那智勝浦町役場にも、亀裂のことを連絡したのだけれど、その後何かなったかしら………。


那智勝浦町金山の土石流の、崩壊頭の1つ。
2011年台風12号で紀伊半島各地を襲った土石流のほとんどが、例えで言えば、プリンに直角にスプーンを突き刺して、真下に向かって崩したような、そんな崩れ方をしていました。いわゆる深層崩壊です。
写真では沢の真中より少し下くらいに、調査の人たちが写っているのですがわかりますでしょうか? 人と比べると、崩壊の大きさが実感できます



 ところで、ふだんから「亀裂」や「地形崩壊」がある場所を把握しておくことも大事ですが、他にも土石流の前兆となるものがいくつかあります。

 例えば同じく和歌山県熊野川町では、
「斜面から出ている水が濁ったら、山崩れが来る」と、口を酸っぱくして言っていたそうです。その家の人は、土石流で自宅が流されましたが、避難していて助かりました。

 「地すべりの前兆」については、農林水産省に、写真つきの詳細なページがあります。
 すごくためになります。

「地すべりの前兆現象の種類と観測方法」
「平常時、大雨時、大雨後・融雪期・地震後における留意事項」
「地すべり地での農業・生活の工夫を行う」
「地すべり災害を予防・軽減するための工夫」(すべて同一ページです)


 その他、地すべりに対する様々な報告・手引き一覧(農林水産省)
http://www.maff.go.jp/j/nousin/noukan/tyotei/t_zisuberi/

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台風12号災害から知ったこと 1)の付記画像

2013-11-01 | 危機管理と災害
 昨日投稿した2011年9月の台風12号の、那智谷(和歌山県那智勝浦町)の土石流被害について、「何本もの土石流が起きていて、(登山用語で例えれば)まるで"雪崩の巣"のよう」と書きましたが、よくわかる画像があったので引用しておきます。

 Google earth ゼンリンによる、2011年9月8日(災害の4日後)の那智川流域の航空写真です。
 大きく見るには(もとのGoogleマップは)下記のURL

http://maps.google.co.jp/maps?client=safari&q=33%A1%EB40'15.99%22+N+135%A1%EB54'23.30%22+E&oe=UTF-8&ie=UTF-8&ei=vAVzUue5FIXDkQXUxYDoDw&ved=0CAoQ_AUoAg
(すみません、どうしてもうまく表示されないので、GoogleマップかGoogle Earthで、下記の緯度経度を検索してみて下さい。
33°40'14.69" N 135°54'21.08" E )

 扇状地地形は、写真の一番右下の土石流がわかりやすいでしょうか?

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台風12号災害から知ったこと 1)扇状地地形は危ない

2013-10-31 | 危機管理と災害
 2011年9月に紀伊半島を襲った台風12号大災害から、もう2年が経過してしまいましたが、せっかく色々思い出したので、当時ブログに書こうと思ってそれきりになってしまっていた記事をいくつかアップしたいと思います。当時、土石流&河川氾濫の災害地を歩いて気づいたこと・わかったことなどです。

1)扇状地地形は危ない

 2011年台風12号では、有名な那智の滝(那智勝浦町)のある那智川流域は、何本もの土石流が発生し、土石流が川を塞き止めたことで河川が氾濫し、土石流+水害という大規模な災害域になってしまいました。
 町長のご自宅も土石流に呑まれ、よりによってその日結婚式当日だったというお嬢さんを含むご家族を失うという(でも町長だから町全体の災害対策の指揮をふるわなくてはならず、自宅に駆けつけることも、ご家族の救助捜索に加わることもできなかったという)気の毒というか壮絶というか何と言っていいか、未だに忘れることができません。

 私が那智川流域に入ったのは、災害の1週間後だったのですが、一歩踏み入れた時の印象は、「まるでそこらじゅうに爆弾が落ちたみたいだ」

 谷の右からも左からも土石流があり、まだ山が崩れ動く時の土や泥水の臭いがたちこめるような(まだそこらじゅうに爆弾の火薬の臭いが残っているような)嫌な雰囲気があり、私の頭の中のキケン察知本能が「今すぐこの場から離れろ」信号を送ってきます。山登りをやる人の例えで言えば、まるで「雪崩の巣」に入ったみたいな。その中を自衛隊の人々や車両が行きかい、本当に戦場のよう、不謹慎な言い方ですが、まるで日本ではないみたいでした。

 そこで私が衝撃(?)を受けたのは、土石流の跡(土砂の堆積)がすべて扇状地になっていたことでした。
 あそこも、ここも、こっちの家が半分埋まってる土砂も、町長のご自宅があったはずの宅地を埋めている土砂も、ぜーんぶ扇状地。
 キケン本能が頭の中でチカチカしている中で、それとは別に小学校の時に習った「扇状地は水はけがよい」「果樹園に向いている」「扇状地の端では湧水」……という教科書の文章が次々に頭に浮かんできます。

 扇状地とは、上流の大規模な土砂崩壊によってできた地形なのでした。
 果樹園に適したほのぼのと広がる丘の上、というイメージでいたので(そんなイメージ、私だけか!?)、今さら認識した事実にショックを隠せませんでした。

 扇状地は災害地形なのだ。


昨日アップしたのと同じ写真ですが、家々を飲み込んで扇状地地形に広がる土石流堆積。

 今さらWikipediaなんかを検索してみても、「扇状地が形成される条件には、上流に土砂生産が活発な山系(大規模な崩壊地や地すべり地)が広がっていることがある。したがって、扇状地における土地利用には、集中豪雨時の土砂災害発生のリスク、天井川化した河川からの洪水発生のリスクを抱えることになる。」って書いてありますね。(引用Wikipedia:http://ja.wikipedia.org/wiki/扇状地

 調べてみると、扇状地における災害予防について、いろいろ研究がされているんですね。
 例えば、
扇状地における土砂災害の実態に関する研究 ー主として、土石流による土砂の流出と堆積の特性についてー

扇状地における土砂氾濫災害危険度の評価

 調べるといっぱい出てきます……。


 そして、これはまた章を改めて書きますが、「一旦崩壊堆積した土砂は、年月が経過しても、あまりその地形を変化させない」 これは、2年経過して、先日私が金山の土石流跡を再調査に行ってわかったことです。(11/5追記:書きました→「台風12号災害から知ったこと 5)災害後の地形は簡単には変わらない」)土石流発生直後は、水や空気をたくさん含んでやわらかい堆積物になっているので、2年も経過すれば、土砂がしまってきたり、ある程度の雨や水流で浸食されて、ちょっとは地形が変わるかと思っていたのですが、全然そうじゃないことがわかりました(その土地の地質にもよるでしょうけれども)
 つまり、扇状地の形に堆積した土石流は、次に再び地形が変わるような大災害が起こるまで、その形を維持する、ということです。

 扇状地がたくさんある場所は、その上流域に崩壊地や地滑り地があるのだという指標になるかもしれません。

 また、扇状地の上は一見快適な土地に見えて、災害地形であるという認識が必要かもしれません。
 田舎のちょっとした小さな扇状地でも、上に家々がたくさん建っていますが……。
 認識のあるなしでは、避難のしやすさも違ってくるかもしれません。


 台風12号から2年経過した現在、当時土石流の堆積で扇状地になっていた場所は、すべて土砂が撤去され、大規模なコンクリートの砂防ダムが建設されていました(多くは今も建設工事中)

 砂防ダムで大丈夫?(すぐに土砂で埋まっちゃったり、また崩れたりするんじゃ??)とつい思ってしまったりしましたが、堆積土砂の上に畑を作ったり家を建てたりするよりははるかにいいんだろうなあと思った次第です。



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警戒情報(避難勧告)はどこまで有効か

2013-10-30 | 危機管理と災害
2011年9月の台風12号で那智勝浦町を襲った土石流の一つ。


 先日10月16日未明に、台風26号で発生した大島の広範土石流で、避難勧告のあるなしが議論になっています。
 40名を越える犠牲者不明者のニュースに、2011年に紀伊半島を襲った台風12号被害を思い出しました。

 当時私は、地元の熊野新聞に、自宅が土石流に丸呑みにされたにもかかわらず助かった人の例を紹介し、被害を最小限にとどめるには、「この程度で?」「結局何も起こらなかったら恥ずかしい」etcという気持ちは一切取り払って、個人一人一人のレベルで、とにかくこまめに逃げる(避難する)習慣をつけておくしかないことを書きました。(熊野新聞2011年9月26日記事。有料100円かかりますが、新聞オンライン(http://www.shimbun-online.com)で読めます。2面まるまる記事です。)

 ちなみに私が取材した人は、普段から大雨になると車で平坦な峠まで出て、車中泊していたそうで、台風12号の時は4度目の避難でした。斜面にあるその人の家が土石流で流される1時間前のことでした。
 (被害の写真は当時の私のブログ→ http://blog.goo.ne.jp/reitsugamine/e/d6b37123d1c62a17e993c14a9f83ba34

 この台風12号の時も、紀伊半島の市町村が避難勧告を出そうか迷い始めた時には、すでに川は増水し、雨もひどくなり、真夜中で、「避難を促したら、逆に怪我や遭難を引き起こしてしまうのではないか?」という状況になってしまっていました。(それで迷っているうちに勧告が遅れ、みんな流されたり、崖崩れにのまれてしまった。今回の大島町の状況によく似ています)


  では、実際に避難勧告はどのくらい有効なんでしょうか?

 ここに、興味深い資料があります。
 国土交通省が出している、 「土砂災害警戒情報の運用成績」という報告です。
http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/dosya/24part1/24-1-shiryo3.pdf
 平成20年(2008年)から紀伊半島大災害の平成23年(2011年)までの4年間の、災害警報発令と、実際に災害が起きたかどうか、避難は的確に行われたか、をまとめたものです。

 私が一番驚いたのは、
「警戒情報が発表されて、実際に災害が起こった率は、わずか3.5%(4年間平均)」
 
 つまり、避難警報なり避難勧告なりが出て100回逃げても、実際に災害に遭遇するのは3回か4回ということです。
 残りの96回か97回は、「なーんだ、何も起こらなかったじゃん」「無駄足だった」「逃げちゃって、恥ずかしー」という状況になるわけです。
 この数字を多いとみるか、少ないとみるか。
 96回か97回は大丈夫なんじゃん、と軽くみていると、その3回か4回に巻き込まれて、ひどい時には命を落とすことになる。
 最初から100回逃げるくらいの心づもりでいないと、その3回か4回の災害を回避することができない、ということなんです。

 じゃあ、警戒警報はそれだけ精度が悪いんか?ということになってしまうかと思いますが、すぐ下のデータを見るとそうでもない。「災害捕捉率」、つまり、災害が起こった時に、実際に警戒警報が発表されていた割合は75.1%。4分の3は、災害を見逃すことなく発表をしていたことになります。

 ……と書きつつ、私が次に驚いたのは、ここでした。
「起こった災害のうち、警戒警報が発表されなかったものが4分の1(災害見逃し率24.9%)もある!」
 つまり、災害全体のうち4分の1は、警戒警報とは無関係に起こっている、警戒警報が出ようが出まいが、災害に遭遇する時は遭遇する、ということです。

 これに加えて、3つめに重要だと思ったデータは、
「災害のうち3割は、警戒警報が発表される前に起こっている」
 警戒警報が発表された時には、3割はもう起こっちゃってるんです……。

 行政が警報を出すのが遅すぎるんじゃー!と責めるのはたやすいですけど、4年間の全国の平均でこれですからね。「ではもっと早く警報を出すようにしよう!」と、行政が少々の予測でも警戒警報を出すように努力すれば、上記の「3.5%」という数字はもっと下がってしまうわけで……。

 ………結局のところ、行政からの警報とか勧告とかに頼り切るのは命取りだということです。
 おかしいと思ったら、自分でさっさと逃げておかないといけない。200回くらいは、たとえ無駄足でも、逃げるつもりでいるしかないんです。
 
 さらにデータは続きます。
「災害の半分(5割)は、警戒警報発表1時間後までに起こっている」
 3割は発表前に起こってしまっているわけですから、災害のうち2割が、警報発表後1時間以内に発生している計算になります。
 つまり、警戒警報が出たらボヤボヤしている暇はない。災害の半数はすでに起こっているか、あと1時間のうちに起こる、躊躇しないですぐさま逃げろ!!ということになります。その100回のうち96~97回は無駄足かもしれなくても、です。

 ということで、

警戒警報が出なくても、自分で逃げないといけない。
警戒警報が出たら、もっと逃げないといけない。
何はともあれ、何回でも逃げる、無駄足でも恥ずかしくても逃げる。
そうでなければ自分の身は守れない。


(実際それで命が助かったのが、熊野新聞に書いた人の例だし)
 ……というのが私の結論です。
 

こちらは、2011年9月の台風12号、新宮市熊野川町の被害

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那智勝浦町の台風12号による土石流被害

2011-09-24 | 危機管理と災害
 
 美しい場所でしょう。和歌山県那智勝浦町の金山という集落の棚田です。県道が通っている所から、ちょっと北東に入ると、こんな綺麗な山里があるんです。県道から北東に・・と書きましたが、県道ができる前は、ここが「街道」でした。北東に向かうと、那智熊野大社に出るんです。昔は街道沿いにもっと家屋があったといいます。
 私が感動する熊野の山村の美しさは、昔から変わらず手をかけ続けている人がいるからこそです。上の写真でも、すでに田植えしなくなった棚田もきれいに草がかられ、植木が植えられています。人が住み続け、その気候の中で、その地形や植生の中で調和してきた美しさです。
 人が住み続けてきたからこそ、山村は美しい、その代表例だと思ってこの写真を撮りました。昨年の6月のことです。




 先日の9/15に同じ場所から写した写真です。
 台風12号の後、私は那智勝浦町にいました。

 ここで発生した土石流は、金山、西山、その下の集落を飲み込んで金山谷川を流れ下り、那智川まで達し、塞き止められた那智川は流路を変え、洪水となって井関の集落を襲いました。

 写真を並べると、土石流はただ押し流すのではなく、何メートル(何十メートル?)もの厚さで覆いかぶさるのだということがわかります。

 詳しくはまた改めて続きを。

 土石流の規模や位置は、Googleが提供している「台風12号災害情報」http://www.google.org/crisismap?crisis=japan_typhoonで詳しく見ることができます。


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