http://amanaimages.comから自分の写真をもうひとつ。有名な熊野古道の周辺には、地元の人々の生活道路としての街道がひっそりと残っています(三重県)
エッセイ(?)の「
まれびと(来訪者)、としての自分」ではあんな風に書きましたが、Hおじいちゃんはとても元気で電話をくれました。人間って、人の勝手な感傷など無関係な所で、もっとたくましく、ごくまっとうに生きているんだと(←自分が普段から言っていることなのに)、自分が嬉しくも再認識した次第です。
そして、エッセイ(?)に書いたもう一人、Sおばあさんのことについても書かなくてはなりません。
Sおじいさんが急に亡くなって、熊野の天に開けるか?というくらい山の上の村に、犬とともに一人残されてしまったおばあさん。私はすごい心配になって、熊野に行く度にお菓子を持って押しかけました。
が、おばあさんはとても元気でした。
というか、おじいさんがいた頃よりも、元気になってしまった(汗)
旦那さんの前ではとても無口で、あんまり好き勝手を許されていなかったおばあさん、それが「こ、こんなに喋る人だっけ?」というくらい生き生きとよく喋って、闊達になっていました。ご自宅はすごい斜面にあるのですが、その前の小さな畑を日々耕して野菜を育て(シシ(猪)との戦いを語ってくれます)、斜面を下の国道まで降りるのは2か月に1度、郵便局に年金をもらいに行く時だけ。熊野という地域は近所のつながりが強く(その分、新参者は苦労するそうですが?)、周囲の人々も心配してよく声をかけてくれるそうで、さらに、山がちなこの熊野一帯では、野菜も魚も日用品も"物売り"がトラックで売りに来るので、家から出かける必要がありません。すごい山の上なのに、おばあちゃんの一人暮らしでも全然オッケー(!)
最近よく「限界集落」という言葉が取り上げられますが、ニュースなどで目にする度、Sおばあちゃんのことを思い出します。Sおばあちゃんのいる集落は廃屋が目立ち、人が今も住む家は5~6軒しかありません。でも、すごい山の中であろうが、過疎であろうが、ご高齢であろうが、ちゃんと一人一人が暮らせる素地がある。
一方で、北海道の田舎ではこうはいかないだろうな、と思います。北海道でSおばあさんのような立場のご高齢の方が暮らすのはすごく厳しいのではないでしょうか。
あちこちの離島にも行きましたが、高速船で何十分もの離れた離島でもジジババ元気いっぱいの島もあれば、本土が目の前に見えていて、学生さんがフェリーで本土の学校に通えるような島でも「ここは離島だから・・・」とおじいちゃんが溜息をついていて、びっくりさせられたこともあります。まだまだ何十戸もある村で「うちは限界集落だからねえ。こんなに家の少ない村は見たことないでしょ?」と言われたこともあります。
限界集落というのは、「もう人が暮らせない」という負のイメージがありますが、その内容は、行政的なことだけでなく、その地域の暮らし方とか、人々の気質とか、いろんなものがごっちゃに入っています。だから「限界集落」という言葉は使いやすく、言葉自体が一人歩きしがちかもしれないけれど、もっと地域の実際を見なくてはと思うのです。
全国のおじいちゃん、おばあちゃん、自分の村を「限界集落」と言ってしまうにはまだ早い。
Sおばあさんと、Sおばあさんの周囲の熊野の人々の暮らし方は、ひとつのヒントになるのではないかと思うのです。