goo blog サービス終了のお知らせ 

ちぎれ雲

熊野取材中民俗写真家/田舎医者 栂嶺レイのフォトエッセイや医療への思いなど

本は12/28になるそうです+目次の紹介

2007-12-21 | 知床
 なんでも製本に不具合があったそうで、作り直してくださっているそうです。なので、本屋に出るのは12/28以降だそうです(12/31発行に変更。本当に2007年最後の本ですわ)

 とはいえ、今日、見本が手元に届きました。出来上がった現物を見るのは私も初めてで、えらく立派な作りになっていて感激しました。3センチくらいある分厚いハードカバーでした。写真の印刷もとても綺麗です。執筆者が一人の本というのは、ある意味とても個人的なものだと思うので、出版社の方々や印刷所の方々が力を費やしてくださっているというのが非常に不思議な気もして、ひたすらありがたい限りです。取材先のもと開拓者の方々はもちろん、私が取材しやすいようスケジュールを調整してくださる病院の方々も含め、本当に「おかげさまで」という気分です。

 内容は以下の通りになっています。知床での現実の生活が実際にはどうだったのか、少しでも知っていただけると嬉しいですね。
 
「知床開拓スピリット」柏櫨舎 12/31発行 A5版 256ページ

1 失われた遺産

2 希望の地へ

3 知床の森に暮らす
    火山台地に水道を引く
    光を灯し、テレビを見る
    自分たちで家を建てる
    開拓地の医療

4 信仰とコミュニティ
    村の中心としての神社
    馬との日々
    墓地
    開拓地の子供たち、大人たち
    開拓地の娯楽

5 知床における産業
    "岩尾別"ブランド馬鈴薯
    でんぷん工場の始動
    牛を育てる
    バター、ジャム、イチゴ畑
    知床五湖で鯉を飼う
    ウトロ鉱山
    冬山造材と造林

6 そして、離農
    夜は明けたか
    国の政策と成功検査
    「戦後は終わった」
    知床の観光化
    私たちは土地を捨てていない
    愛犬との別れ

7 知床の未来へ
    開拓地を原生林に戻す
    シカは本当に野生か
    ヒグマに接近する人々
    知床の森に眠る遺産を未来へ

  参考文献・年表・イラストマップ


 えええと、私の知り合いは一人10冊買って下さい(ウソ)
 じゃなくて、ぜひ宣伝して下さい(笑)
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「知床開拓スピリット」速報

2007-11-30 | 知床
 少し詳細が出ました。
 柏艫舎さんより12/24発行予定です。A5判、256ページ。自分の写真はすべてカラーです。写真集と言うよりも分厚い単行本で、文章ページも多く、ドキュメンタリーと言った方が近いです。
 知床の大自然の中で、当時の人々がいかに工夫してゼロから手作りで自分たちの村を作り上げていったのか、実際どんな生活だったのか、そして、それだけのものを作り上げたのに、どうして離農しなくてはならない事態になったのか(実際のところ本当に人々は離農したのか?)・・等々、2年間の渾身の取材成果です。
 先日のブログみたいに落ち込むこともありますが、2年間レンタカーで寝たり、夜明け前の真っ暗な中を知床の森の中を歩いたり、普通じゃない生活をして歩き回って、そしてたくさんのもと開拓者や関係者の方々の惜しみない協力があってここまで出来上がったことは間違いのないことなので、そこは自信を持って出せると思います。誰も書かなかったことを書けたという自負はあります。
 256ページのハードカバー/フルカラーなのに2310円(税込み)というお買得品(笑)
 もう少し詳細がわかったらまた書きます・・。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知床開拓地と、知床に生きた人々

2007-10-20 | 知床
今年1月の門間家(知床開拓地に残る最後の開拓家屋)
3月に毎日新聞に載せていただいた写真です。たぶん今年の冬はもたないと思う。
保存の計画はうまく進んでいるでしょうか。


 ルシャへ行った翌日は、知床自然センターの乙部さんと一緒に、知床開拓地を歩き回っていました。自然センターから五湖までという、最も観光客が訪れる場所には相当な密度で累々と開拓の跡が残っているのですが(当時はずらーっと開拓家屋と畑が並んでいたわけで)、よく目立つ道沿いの廃屋以外はほとんど知られていないのが実情です。同時に、知床の地で生活を築きあげていた人々は今もご健在で、本当に「となりのお爺ちゃん、お婆ちゃん」として、町に住んでいるのです。しかし、これだけ知床がブームになって、世界遺産登録でわきかえっても、そこに現実に暮らしていた人々が顧みられることなくかやの外というのは、とても寂しい気がします。本当なら、実生活として知床の自然に暮らし、ヒグマと同じ生態系の中で生きてきた知床のエキスパートとも言うべき人々なのですが。


乙部さんと探しまわると、もう朽ちて無いと思っていた岩尾別公民館の屋根を発見! もう見つからないと決めつけないで、何度でも来るもんです。まだまだ調べることはたくさんありますね。やっと原稿がまとまっても、まだ一息つくわけにはいかなさそうです・・

 ルシャへ行って考え込んでいたのは、こんなことでした。
 ルシャの大船頭・大瀬初三郎さんは、何十年にもわたって知床の海と真っ向から取り組み、その知床での生き様と、ヒグマや知床生態研究への助言等の功績が認められて、環境大臣賞までもらった人です。知床という大自然の地からはかけはなれた町に住む私たちが大瀬さんを見れば、知床で生きてきた人にしかあり得ない重みに驚愕し、惹き付けられずにはいられないでしょう。

 一方、すでに観光地と化してしまった自然センターから五湖までの間に、同じく知床の風土と真っ向から取り組み、その土を耕し、自分たちの手で水道を引き、風力発電し、小中学校を建てて子供たちを育て、幌別・岩尾別という二つの村を作り上げていった人々がいたという事実について(そして、その人々は遠い過去のものではなく、今も生きている)、そちらはまるで触れてはいけないもののように隠され、早く朽ちて消えてしまってほしいという声さえ聞かれたということに、私はどうしても頭を抱えるのです。
 開拓者が多く入った北海道では、あちこちに、村の礎となった先人を讃えて開拓の碑が立てられ、小中学校の跡を示すモニュメントが築かれたりしていますが、知床には皆無です。(他の地域を歩いていて開拓の碑を見る度に、知床のことを思い出して恥ずかしい気持ちになります)
 それが、知床が国立公園に制定され(昭和39年)観光化の波の中で開拓者たちが去った(昭和41年)いわば、知床大橋のゲートよりこちら側の世界と、観光化の波は及ばず、大瀬さんたちが知床人として生き続けたゲートより向こう側の世界のギャップでもあるのです。



観光客にも人気?の吉原さんの住宅跡。分厚い壁や二重窓の様子などよく残っていますが、残念ながら全壊状態。この窓も、来年はもう見られないかも。

 同時に私が、ギャップではなく一致かも、と思ったのは、ルシャの大瀬さんを「凄い!」と誇りに思い、ルシャに通い詰め世に知らしめたのは、結局地元斜里町の人ではなかったということです。そういう意味では、知床開拓地に生きた人々のことも含めて、斜里町の人々はあまりにももったいないものを見過ごしていると思います。斜里町自体、かつて大正時代に「船の上から見ると町全体が森に覆われて、木しか見えなかった」と言われたほどの地を、現在の町にまで開拓して作り上げた人々がいるわけで、今もお元気ですぐお隣に住むお爺ちゃんやお婆ちゃんのことを、もっと誇りに語る風土が育ってほしい、と願いながら、まずは知床開拓地の現状に頭をうんうん悩ませる日々です。



その吉原さん(左)96才。こうやって写真で見れば、廃屋が幽霊屋敷とかノスタルジーの世界のものではないことがわかっていただけるのではないでしょうか。
吉原さんは戦後真っ先に知床に入り、全戸離農とされる昭和41年以降も知床を離れず、25年近く知床に生きた人です。右は知床に10年以上暮らした渋谷さん71才。知床に8丁もの畑を伐り拓き、山で鍛えた筋骨隆々のスーパー爺ちゃんです・・・

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知床の波の花:ルシャへ

2007-10-17 | 知床
斜里町でも初雪となった先週末、ルシャ川河口はすさまじい波の花となっていました


 先週末、知床半島のルシャの番屋へ連れていってもらいました。現在通行止めとなっているカムイワッカの先、知床大橋から、さらに知床半島の奥へ10kmほど入った所です。ゲートの先は、本当にそこで働く漁師、治山の人、それに関する大型機械に携る人しかいません。
 まず学んだことは、私たち一般の人間(観光客も含めて)が思うより、もっともっと知床半島というのは広く深いのだということでした(あまりにもあたりまえなことですが・・) 知床五湖や羅臼岳まで来て、わーい知床だ♪と喜ぶのは、ゾウのしっぽだけ触ってゾウ全部をわかったかのような気になるようなものです。かくいう自分も、旧開拓地の取材で「知床とは人の手の入った土地だ」と言い続けてきましたが、簡単に「知床は~」などという言葉を使ってはいけないのでした。


ルシャ川河口

 知床大橋から奥へ奥へと入り、海岸線に降りて来ると、ウトロや岩尾別周辺とはうって変わった荒涼とした風景に激変します。いや、どちらかというと、この方が本来の北方の景色なのかもしれません。現在のウトロ周辺は、そこかしこに人の手が入り過ぎて、穏やかな地形になってしまっています。自分はこういう風景には慣れてしまいましたが、かつて何十年も前に初めてここへ訪れた人は、「うわ!これが知床!?日本じゃないよ!!」と驚愕したことと思います。
 また、昭和20-30年代くらいの(まだ人の手が大きく入る前の)ウトロ周辺も、ここに近い光景だったかもしれません。かつて開拓に入った人々が初めてウトロの浜に降り立った時、そして岩尾別まで細い山道を上がって開拓地に入った時、「うわ!ここが知床!?ここが開拓地・・・!?」と、同じような驚愕を味わったかもしれません。


 ルシャは、もうすでにテレビでも本でも有名な大船頭・大瀬初三郎さんの番屋です。私はその辺りのことが頭の中で一致していなくて、目の前の人がまさか大瀬さんご本人とは思わず、大変失礼してしまいました。いや、やはり、目の前のおっとりと無口な漁師さんがその人とは、しばらく頭の中で一致させるのに時間がかかったです。研究とか観察とかではなく、毎日の生活としてヒグマに接している大瀬さん。研究者や観光客が「ヒグマの生態系に外からおじゃまする」とは違い、言わばヒグマと「生態系を共有する(住み分けする)人間(という生物)」とも言える大瀬さん。その大瀬さんが「研究者は何と言っているかわからんが、ワシラはこう理解している・・・」と、ヒグマの生殖、生態、その他について語って下さる内容が面白かったです。


大船頭・大瀬初三郎さん

 一方で、五湖までの「知床」が置かれた現状と、ここルシャでの「知床」の現状に大きなギャップを感じて、考え込んでしまいました。さて、普通人々は「知床」と言ったらどちらを思い浮かべるのでしょう。ガイドブックにも載っている五湖やカムイワッカや知床峠か、テレビや本の特集でしか見ることのできないルシャや番屋か。
 そのギャップは、私が知床開拓の歴史について頭を悩ませている問題とも直結するのです。いやそれは、ギャップではなく、一致、なのかもしれないですが。詳しくはまた次回。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウミネコダイブ!

2007-09-30 | 知床

 本日の写真はウミネコ(のヒナ)のダイブ。当直の合間に出かけるので、ひたすら眠いです。それでも写真を撮ると目が開いて上機嫌になりますね(笑)
 まだアキアジの遡上が始まらないので、知床の川はカラフトマスのホッチャレが転がって寂しいですが、ウミネコやカモメのダイブは見ていて飽きません。ダイブで巨大な鮭を狙っているわけではなく、10~15cmくらいの小さな魚をうまいこと獲っては食べています。


 上空から川にダイブするのではなく、川面を泳いでいて、やおら水面を蹴って飛び上がり、頭からまっ逆さまにダイブします。
 ウミネコのヒナも、先週からたった1週間で白い羽根が増え、たくましくなりました。



 下はユリカモメのダイブ↓ 身体が小さい分、水面から飛び上がる様子は身軽でエレガントです。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知床はデルフィニウム出荷最盛期!

2007-09-29 | 知床
知床・フラワーさかいの皆さん ありがとうございました!

 知床では、デルフィニウムの出荷が真っ盛りです。
 先週は知床でお花をつくっている「フラワーさかい」さんの所へお邪魔してきました。斜里町の郊外、海をどーんと見晴らすゆるやかな斜面の途中に建っている、昔の開拓時代の建物です。
 すごいですよ、青い屋根のいかにも北海道!開拓時代!大地!という歴史建造物の中が、花いっぱいのお花やさんなんですから。
 かつてスウェーデン農法というのがこぞって取り入れられ、一つの建物の1階に豚と牛を飼い、2階にニワトリを飼って馬草を保存したそうで、二つの建物が合体したような形をしています。とにかくデカイ。ブロックの壁に窓が組み込まれる仕組みや、家畜の糞尿をうまく外へ流すように作られた溝など見せてもらって、栂嶺、ご満悦です(笑)


 隣の倉庫では、建物全体がデルフィニウムになっていました。
 えええ、これだけの花が枯れないうちに全部売れてなくなる(当たり前ですが)、というのが信じられないです。こんなに一度に大量に出荷されるんですねえ。
 本州の方にも出荷されているそうで、東京のマーケットや花屋に並んでいる所を想像してしまった。本州の友人宅に飾られるデルフィニウムは、知床産かもしれないですね。


 ビートも一面に成長しています。もうすぐ収穫されて砂糖になります。
 作物が育って豊作というのは、いいですね、見ている方も幸せな気持ちになります。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カラフトマス遡上!

2007-09-23 | 知床
 大変お久しぶりのブログになってしまいました。
 すみません、ブログを放置している間にコメントもいただいてしまって。
 原稿はやっと最後の詰めまできました。写真はすべて出版社に提出して、晴れて(?)また斜里に来ています。
 今年は鮭が例年にない豊作なんだそうですね。実際、川を覗き込んでびっくり仰天。文字通り川がまっくろになっています。すごいです、川面からびっしりと突き出した背びれ、背びれ、背びれ。1回、鮭の遡上でまっくろになっている川を見てみたいと思っていたら、叶いました。近付くと、必死で逃げようとはするのですが、あまりびっしりなのでお互いに重なり合って川面から盛り上がってすごいことになっています。昔はどこの川もこんな風に遡上していたんでしょうねえ。


 ・・・のですが、上の写真2枚は先月末のもので、今回また川に行ってみると、すでにホッチャレ(産卵が終わって死んだり、死にそうになってる鮭)になってしまっていました。


 河口では、今度はウミネコがすごいことになっています。ウミネコのヒナがいっぱい!(羽がまだ黒いやつ) 夏も終わって、すでに図体はでかいのにピヨピヨ言っています。そのヒナは、打ち上げられた鮭のホッチャレをお腹いっぱい食べ、冬が来る前に成長することができるのでした。自然界、よくできています。


 カラフトマスの遡上はそろそろ終わりですが、来月くらいには今度はアキアジの遡上が始まります。再び川がまっくろになることを祈って。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原稿中です

2007-07-27 | 知床
知床の森にて。Yさんの舗道車

 先週からまた斜里で勤務しています。
 今日は斜里町は"ねぷた"ですね。弘前市から伝わったねぷたが知床の地にも根付いているのです。誰がどうやって伝えて、どう練習したかなども、もと開拓者の方から少し聞いたことがあるのですが、これも突き詰めると面白そうな話題です。
 私は当直中ですが、開け放した窓から夜風にのって、ピーヒャラドンドンとお祭りの音が聞こえてきます。明日の夜、呼ばれなかったらちょっと行ってみよう。祭りの最終日は相当(な人数が病院に)運び込まれてくるそうで、でも、命にかかわらないなら、そのくらいハメをはずせるお祭りというのもいいのかなあと思ったりしています。

 この所、原稿にかかりっきりです。知床の本を7月に出す予定が、9-10月くらいになりそうです。ブログ書く余力があるなら原稿に、と思うので、ブログが完全にストップしてしまいました。患者さんが来なくても病院内で徹夜、守衛さんが不審がって見に来ます(汗) ただ文を書いて写真を撮るのと、それを人に伝えられるようにストーリーの流れを組み立てていくのは全然別で、出したい写真でも出せなかったり、頭の中にパンクするほどある内容を3行の文にするのにさえ6時間くらいかかったり、本当なら「自分の写真や文を本にして人に見てもらう」という一番(!)楽しいはずのことが、もう泣きそうです。これだけ集中力とエネルギーをかけても、大した本にはならないんじゃないかとか、思うほど伝えられないんじゃないかとか、頭かきむしってすごいことになっています。人生の中でそうそう何冊も出すもんじゃないと思いました。毎年のように何冊も出している人は本当にすごいと思います。
 紀伊半島の方に撮影に行くことも、原稿が完成するまではと自分で禁じているので、早く晴れて撮影に行けるようになりたいですね。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒグマにソーセージを投げる人

2007-06-26 | 知床
知床の森にこつ然と現れるフロ釜。Sさん宅跡にて。


 斜里町に行って、クマの話をいろいろ聞きました。今年に入って射殺されたヒグマはすでに2頭。知床峠付近で誰かヒグマに餌をやった人がいるらしく、追い払っても追い払っても近寄ってくるためやむを得ずの射殺だったそうです。
 いや自分も旧開拓地内を一人で歩き回っていて、他人に向って気をつけよと言える立場ではないのですが、それにしても耳に入ってくるのは「なんでや(- -"」という話ばかりです。
 複数のタクシーの運転手さんが、ヒグマを見つけるなりタクシーのドアを勝手に開けて外へ出てしまう観光客のことを嘆いています。ある運転手さんは「車から出るな!」とほとんど髪の毛逆立ちながら制すしたら、「だって、車から降りなかったら写真撮れないじゃん。」

 ・・というやりとりをお客さんとやってる所に、今度はスーッとレンタカーが停まり、何を思ったかいきなりそのヒグマに向ってソーセージを投げた!!
 ばか者!大ばか者!!
 ソーセージが食べられる(しかも美味しい)ということを知ったヒグマは、次からソーセージの匂いのする所(家でも人でも)を必ず襲う。ソーセージを投げたあんたのせいで、誰かが死ぬかもしらんね。そして、ソーセージに寄って来るヒグマは、(寄ってくるというだけで)射殺されるんよ。
 運転手さんはすかさず窓から顔を出して「餌投げるな!!!」と怒鳴ったら、レンタカーは「関係ねぇー」と言い捨てて去っていったそうな。

 野生動物に餌をやりたいという気持ちは理解できないでもないです。
 なぜなら、餌やりは「野生動物と接点を持つ」一番簡単な方法だからです。野生動物をただ「見る」のではなく、「接したい」「何か関係を持ちたい」「コミュニケーションをとりたい」という願いは誰にでもあるでしょう。
 しかし、非常に残念なことに、私たちは動物に餌をやるというやり方以外に、動物との接し方を知らない。知らなさ過ぎるんです。餌を投げる。それを野生動物が食べる→→→与えたものを受け入れてくれた、野生動物とコミュニケーションが成立した!!!と、喜ぶわけです。
 んな簡単に動物とコミュニケーションが成立しますかい。
 はっきし行って馬鹿です。阿呆です。ということに、ヒグマでもキタキツネでも何でも餌をやりたがる観光客の人々に早う気付いて欲しいです。ただぽーんとソーセージを投げた一瞬で、野生動物とコミュニケーションがとれた?野生動物に受け入れてもらった? んな馬鹿な話はありません。そのソーセージが野生動物を、そして人間を殺すんです。

 ちょうどウトロ市街(シカ柵の内側:ホテル住宅側)にヒグマが入り込んで、自然センターのレンジャーさんが一人で、犬の散歩中の人、キャンプ場でテント張っている人など、全員に声をかけて走り回っていました。その時ヒグマはちょうどキャンプ場と下の国道の間の斜面(ほんの数十メートルの幅しかない)にいましたね。たった一人でダッシュで走り回る後姿を見ながら、
(斜里町~~!アナウンスのスピーカーくらい設置してよ!!!(@@;;;)
 とか思っていたのですが、瞬間、やっぱダメだ・・・とうなだれました。
 現在○○にヒグマがいます、なんてアンアウンスしたら、必ずや「どこ?どこ?」とヒグマを見に人が殺到するに違いないからです。アナウンスなんかしたら逆効果。レンジャーさんが一人で走り回らないですむ日は来るんでしょうか。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

毘沙門堂例祭

2007-06-25 | 知床
紀伊山地の霊場か京都か奈良か!?という光景が、まーさーかー知床で拝めるとは! 僧侶の皆様と立松先生。この写真には写ってないけど知床に霊場を作ってしまった知床の佐野氏がすごいです。

 ところで、昨日は知床の毘沙門堂ならびに観音堂、太子堂の例大祭でした。
 自然自然自然ばかり連呼される知床に、こつ然と出現するお寺というかお堂というか、それ自体でもすでに面白いのに、もっとむちゃくちゃなのが、ここにはもう宗派一切関係なく、現在の日本を代表する京都や奈良の仏教界のトップが集結することです。金閣寺銀閣寺のご住職から、法隆寺のご管長から、永観堂のご管長から、京都や奈良のあのお寺、このお寺から・・・。
 今回の例祭のことを一言で表せ、と言われたら、ひたすら「現代的」「現代ならではの宗教がここに!」としか言い様がないです。
 本当に現代的。或る意味、「無宗教」と同じ状況です。
 知床のこのお堂は、京都や奈良に比べたら全然歴史はないです。でもその一方、歴史のしがらみもなく、背負わされた諸々もなく、まさに現代の「理想の」宗教のあるべき姿を背負って、なぜかこの知床の地にある。
 パーティーで隣り合った尼様に、京都や奈良でもふだんこんなふうに皆さんお集りになるんですかと尋ねたところ、4/8の花祭り(お釈迦様の御誕生日)に一番盛大に宗派かまわず皆さんで集まって法要を行うそうですが、やっぱり何だかお互いかしこまっていて、こんなふうにざっくばらんに語り合うことはないそうで。だから、皆さんこれが楽しみで、知床まで来るんだと言っていたのが印象的でした。ここ知床は、遠い地であるからこそまた、宗派や歴史のしがらみから完全に解放されて、どんな宗派の偉いお坊さん同士であろうと"友達"に戻れる場所なのでした。
 知床は田舎で、古い寺社も何もないかもしれないけれど、だからこそ新しい宗教の形を現すことができるのかもしれません。

 それにしても、この数日雨で寒かった知床は、お坊さん面々が到着した法要当日、みごとにピーカンに晴れ、その後それぞれ飛行機の時間だ何だと去り、私自身も当直の時間になったのでおいとました所、病院でふっと外を見たら土砂降りになってる?????(@@;;
 さっきまであんなに晴れてたのに。
 いつも取材をしている時、こんなふうに「神様に助けられてる」と思うことがあるのですが、今回はお坊さんが集まってる間だけ神様でもついてたんかという感じででした。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サクラマス

2007-06-23 | 知床
さくらの滝

 空港から斜里町に来る途中で、渓谷にやまのよーにサクラマスが泳いでいる場所を教えてもらいました。北海道に来る前、広島県にいた時の中国山地のヤマメや川魚(せいぜい20cmくらい)のイメージでいたら、
 ・・・・・まじデカイ!!!!
 おおーーーサクラマスでかいよ、すごーい、おもしろーーい!!(ほとんどミーハー)
 しかも、100匹は下らないだろうという数です。すごいすごい!!(やっぱりミーハー)

 というので、滝を遡上することで有名な"さくらの滝"(清里町)にも、さぞやサクラマスが来ているにちがいない、と、初めて行ってみました。病院からせいぜい20分くらいで着けるのも、なんとも、斜里町すごいね(笑)
 遡り始めるのは6月、ピークは7月ということなので、まだ早いかと思ったら、
 おおーーーー飛ぶ飛ぶ飛ぶ飛ぶ!!!(爆)
 ぴょんこぴょんこと、次から次へと飛びまくるサクラマス。
 すごいすごい(笑) こんなに間髪入れず飛びまくるとは! へたに水族館でイルカショー見てるよりはるかに面白いです!!
 何よりごくまっとう野生で、本人生きるために必死なわけで、自然の理の一部というか、全地球の1年間の"流れ"の一つというか(良い表現が見つからないですね)、それがまぎれもない目の前で見られるんだから、やっぱりすごいなあと思いました。いつも、つくられたイメージの「北海道」には批判的な自分ですが、今日ばかりは「北海道の自然すごーい」と、よくある表現そのまんまになっていました。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

引越し&先日の写真

2007-06-08 | 知床
山ノ神!


 ようやく自宅事務所の引越しも一段落つきました。今日やっとネットが開通。(この2週間病院以外ではネットなしの生活だったです・・・・) 新千歳空港まで車で10分。千歳インターまで5分、特急の停まるJR駅もフェリー乗り場も近い!と、次からは取材に行くのがやっと楽になります。窓の外は木しか見えず、どこが宅地やん、という良い環境ですが、現像所や他の事務所はやっぱ遠いですね(汗) 事務所じゃ写真の整理と執筆がメインなので、文句たれずに隠ります・・・。原稿書かねば。

 上の写真は先日のオペケプ林道の山ノ神です。林業が盛んだった頃の北海道の各地で、木を伐りに入る時に必ずこうやって「絶対に切ってはならない木」を決め祈りを捧げたそうです。斜里町で、古くから製材業を続けている老舗の会社で詳しくお話を聞くことができました。全国から製材業者が殺到した木材天国北海道。「山」の世界にはまた独特の人のつながりや、作法、信仰、山ならではの知恵があり、造材の歴史は、それはそれですごく面白いです。
 
 ちなみにセミの幼虫を探してヒグマが掘った跡は↓
 羽化直前のセミって、美味しいんだろうなあ・・・

 長く山や単独行は経験してきたつもりだけど、先日のヒグマも含め、そのつど1コ1コ、学ぶことはきりがないです。

ヒグマにほじくり返されたカラマツ林。遠くに見えるドラム缶は、開墾地の跡。ここはTさんの畑だった所。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

セミの幼虫を食べるヒグマ

2007-06-02 | 知床
知床の森にて、T家跡


 先週やっと桜が満開になった知床は、今週は緑が満開です。6月、日差しの強さは初夏かと思うほどですが、外に出ると肌寒い、まだ春です。
 この時期ヒグマはセミの幼虫をせっせと食べるのだそうです。旧開拓地の植林のカラマツ林は、ヒグマが地面を掘り返した跡だらけですごいことになっています。
 小さな白いやわらかなセミの幼虫を食べる、デカい褐色のヒグマ。初めて聞いた時はなんだか不思議なイメージだったです。というので、今日はヒグマが地面を掘り返した所を撮影していました。
 ヒグマが幼虫を食べに現れるのは、朝も昼も夜も関係ないと教えてもらったばかりでした。どう考えてもヒグマの餌場にいるわけで、周囲360°、数百メートル先までくまなく意識を向けながら写していると、遠くではあるがバキッ・・と気配が。
 ・・・まずぃ、ありゃシカじゃねー。
 時々途切れながらも、気配が少しずつ移動するのがわかります。
 野生動物も、こうやって目視で確認する以前に、気配とか匂いでお互いを察知しているんだろうなあ。
 しばらく手を止めて気配の方向に集中します。気配が一旦遠のいたので、そちらに注意しながらなおも撮影していると・・
 どーーん
 ぎゃああ、ヒグマが飛び出してきました。
 ぎゃー、デカい赤毛です。こちらの気配は察知しているようですが、まだ目視では気付いてもらえてないらしくキョロキョロしています! なんとかここに人間がいるのを気付いてもらわなくては!
 道路がある方向にじりじりと歩をすべらせつつ、大声をあげると、
 突然こちらに気が付いてビクッ!とするヒグマ。
 すごいビクッとしてたので、向こうも目で人間を見て恐かったろーと思うのですが、ヒグマが驚いているというのは良い状況ではありません。びっくらこいたヒグマが、どちらへ走るか。万一こちらに向ってきた時のことを瞬時に頭の中で高速シミュレーション。こちらも究極の緊張の一瞬です。次の瞬間、ヒグマは脅えた様子でまっしぐらに反対の方向に逃げていきました。
 今回の自分の反省点。
 ヒグマの気配を最初に感じた時点で去らなかったことですね。
 たとえ気配が遠くても、その遠いわずかな気配を察知した自分の五感に感謝して、次からはちゃんと去ろうと心した次第です。
 それ以前に、おいしいセミの幼虫のいる林に人間が入り込んでいて、食べれなくてごめんね。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

斜里町は面白い2

2007-05-22 | 知床
斜里町内の、今はもう使われなくなった馬小屋で、30年以上積まれたままの馬草


 先日、斜里町内の農家さんが実は昔はでんぷん工場をやってて、もう何十年も使われない馬小屋の中に、まだぎっちり馬草が積まれていたことを書きました。日置順正さんという方が、斜里町内のでんぷん工場の分布や歴史を詳しく調査していることを知っていたので、役場で論文を送ってもらいました(「斜里町の澱粉生産について」知床博物館研究報告vol.13/1991年)
 論文を開けてびっくり、
 す、すげ~~~~~(@▽@;;;;
 34ページぎっしり、町内212箇所のでんぷん工場の跡(の農家)をすべて自分の足で踏査した大論文です。すごいよ、自分も知床開拓地の開拓家屋跡を何十箇所も踏査したけど、全然追い付けないよ! 1軒1軒まわって調べる労力と根気は、他人事でない分本当にすごいと思います。
 で、面白かったのが、日置さんが調べて地図上にプロットしたでんぷん工場の跡というのが、
 ・・・・現在ある農家の数より絶対に多い・・・・・
 へたをすると、そこに今も残っている農家さん(廃屋も含む)、全部でんぷん工場跡じゃないか?
 先日書いたように、斜里町内の農家さんは、昭和20~30年代の納屋や小屋をそのまま残してある所が多いので、これはひょっとするとひょっとするとですよ。
 なんてことを役場で話していると、越川の辺りでは、新しく家や納屋を新築した後、古い家屋や小屋は封印して、家主でさえ何十年も入ったことがない、という家がたくさんあるんだそうです。
 越川、お宝の山です!(笑)
 斜里町、知床の取材が一段落したとしても、まだまだ出かけて行くところには事欠かなさそうです。

Kさんのお宅の旧馬小屋にて。手作りの鞍が当時のまま掛けられている。「梁」が内部に向って飛び出すのも、当時の小屋の造り。この梁が邪魔だということで、今はブルーやレッド屋根のかまぼこ型納屋が建てられるようになった。


 ところで、今日も一つ発見がありました。
 知床開拓地の幌別地区には、かつて「山ノ神」があり(知床自然センターのすぐ羅臼側)、造材や薪づくりなどで山に入る時は、必ず祈ったと言います。が、調べたことを総合すると、お社はなく、丸太を組んで作った1メートルくらいの鳥居を、「今年はこの木に神様が降りる」と決めた木にたてかけて詔をあげた、ということで、今や跡形もなく、一体どういう形の"神社"だったのか、いまひとつ想像がつきませんでした。
 がっ。本日、斜里からウトロへの旧道(道路が開通するまで、開拓者の人々が通った道)を調べていたら、
 あったよ鳥居!?
 そこは知床開拓地ではないですが、まだ誰かが同じやり方で「山ノ神」をたてまつっているのです。本当に、丸太を組んだ1メートルほどの鳥居がぽつんと、大木の根元にたてかけられているだけ。
 山の中で実物に遭遇すると、感動もひとしおです。
 ありがとーう、山ノ神様!!
 これも、現在誰が続けているのか、他にもあるのか、また本州の(?)どの地方の「山ノ神」が北海道開拓とともに伝えられて来たのか、調べることはまだまだたくさんです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しきりなおし

2007-05-07 | 知床
薫別より、国後島からの夜明け

 さきほど、前に働いていた病院の事務の不手際なことに嘆いた文を投稿したりしていたんですが、他の医者仲間から「どこもそんなもんだよ~~」とお言葉をいただいたので、もう少し前向きな内容にしきりなおしです。

 先日、町議会議員に立候補した斜里町立病院の(もと)事務長は、いきなり立候補して(新人)、14議席中堂々の6位当選でした、立派なものです。
 町長選もほぼ5分5分の接戦で、すごいですね。いや、何をすごいと思っているかというと、私が応援していた保村さんはとても残念ながら僅差で負けてしまったけれど、同じくらいの票を集められる人間が二人もいた、という、斜里町の人材のすごさですよ。候補者が1人しかいなかったり、大勢出ても結局一人勝ち、という状況とは、だいぶ違うと思うのです。こういう、皆が真剣に政治に出て、接戦になる自治体はいいなあと思います。
 「町立病院を民営化する」公約の村田さんが町長になりましたが、さて、それに反対の投票者は町の半数近くいたわけですし、「黙って見ておれん!」の事務長が議員さんになって、何かしら展開するだろうから、まだまだこれから先があって楽しみですね。新町長が反対派をどう迎え撃つかとか、病院に対してどう出て来るかというのも注目どこです。(こんなことを言っていると怒られそうですが。)
 斜里町という町は、反対派も賛成派も結局みんな知り合いの距離感にあるので、そこもまたすごいと思います。病院を民営化すると言っている人のご家族も、結局は町立病院にかかっているわけですし。
 新聞記者さんが、(民営化を公約にしている候補が町長になったので)病院はどんな状況ですか、と心配して電話くれました。現代日本の医療問題を多分に抱えた斜里町の状況は、しばらくは内外からも注目されるのではないでしょうか。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする