昨日からの続きです
いじめは差別です
いじめている方は悪です
悪とは何か・・・いろいろ、がありますが、自分は悪くないという思いです
善とは何か・・・いろいろ、ありますが、自分が悪いのではないかという思いです
善に向かう人は悩み苦しみ自分の汚いところを無くすように生きています
悪に向かう人は自分のことは顧みず、人のあら捜しをします
確かに人なのですから、だれでも大なり小なり悪いところはあります
ですが、悪に向かうとそう思えません
自分と自分が気に入っている人だけが正しく、他は悪い人なのです
いじめは差別です
いじめる方は、自分と、または自分と気に入っている人たちと自分とは違うところを見つけ出しいじめます
いじめる人が一人ならまだ誰かに注意を受けたらやめなくてはいけないようになりますが、複数になるといじめは止まりません
いじめを見つけたとしても多数の人たちがいてその人たちが「自分は悪くない」と主張します
この複数の意見に教育者や保護者は流れてしまいます
自分のクラスから、自分の子どもがいじめをしていたということを認めたくない・・・これは悪に向かっている証拠です
いじめをしていた子が自分がしてことは悪いことだったと反省すれば善に向かいます
しかし、周りは「あなたは悪くない」といじめがなかったことにすれば、反省の余地はありません
こうやって年間何百人もの悪人を社会に送り出しているのです
ですから、いじめれた方は悪と戦わなければなりません
社会に出て自分が過去のいじめのせいで苦しまないように、自分と同じように学生時代にいじめに合う子を無くすように。
ではどうやって・・・口下手で思考が深く孤独にも耐えられるいじめられる子は、人に優しく、心配性です。ですので、友達を作って仲間になってもらうというのは難しいです
では複数のいじめっ子たちにやられてしまうのでは・・・と
現代進行形でいじめられている人も過去いじめられていた人も
「私は人からいじめれない。いじめない。いじめは悪だ」の言魂を使ってください
それは口には出さず心で念じてください
口に出すと「何ぶちぶち言ってるんだ」と言われます
心で念じること・・・例えば「私は間違っていない」と不安なときに心でつぶやけば、不安が少し楽になります。
いじめられると気持ちが内面に向かい、「私が悪いのでは・・・」と常に不安感が付きまといます
ですが善に向かう人はだれでもそうです
しかし、いじめを受けていない状態で悩むときとは違い、この不安感を否定する「私にもいいところはあるんだ」という自己肯定感が出てきづらくなります
だから、「自分が悪い。自分だけが悪い。自分がいなければ・・・」と暗闇に落ちていきます
「いじめた人が悪い」という言魂は先に述べたように悪に心が向かうのでよくありません
いじめは悪です・・・この悪とは何かを追及することが大事です
そして「戦う」という気持ちが大事です
負けません。それは悪と戦う時は神様が味方するからです
信じられないかもわかりませんが・・・
信じなくても「いじめと戦う」という気持ちになってください
「悪を許してはいけません」
明日もいじめと戦うことについてお話します
霊能、6/23の福岡市(博多駅周辺)の出張霊能
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