昨日のブログに「自分から飲み会やお食事のお誘いはできません」と書きましたが
今日、とある試合会場で、ある方に、先日行った飲み食べ放題のお店の話をしていて、ぽろっと「今度一緒に行こう」と言ってしまいました
「しまった。」と思っていたら、「かまわん」と守護霊様から。
試合が終わり、霊能の仕事が終わり、そういえば・・・と思いだしていたら
「最近はダイエットで食事制限をして頑張っているから・・・」と
「でも実現は難しい」とのこと
お誘いはしましたが、日にちを決めることもなく、相手の方も私も忙しく難しいと納得
自分では気が付かなかったけど、この飲み食べ放題のお店が気に入ってつい人に話してしまうのでした
飲むことも食べることも大好きでしたが、これからも制限のある生活をするでしょう
しかし、人は抑圧されると反動で余計に求めるものです
そこでまた守護霊様から少しだけ許され、体と心にストレスを与えないように調整されていくのです
厳しいですが、私のすべてを知り、心に優しい修行ができるのは、守護霊様だからです
霊能を受けられる方は皆心が苦しい方ばかりです
その方々の心を受け止めるためには日々修行です
霊能者の心が深いほど深い霊能力が与えられます
真摯に誠実に霊能の道を歩んでいこうと思っています
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昨日はブログお休みしました
昨日、久しぶりに打ち上げでお酒を飲み、たくさん食べて家に戻るとすぐに寝てしましました
最近はどうしても体重を落としたかったので無理のないように食事の量を制限していました
明日、ある大会がありその日までにスッキリした体で行こうと思っています
ですが減った体重は1か月で1キロ程度ですが・・・
霊能者としてはダイエットはいけないのですがある制限まで許されました
体重や容姿を磨くことをしてはいけないと言われ、過食と思うようなことをさせられたこともあります
私を指導するのは人ではなく守護霊様なので、世間一般の修行というものではなく
私が本当に苦手だと思うものをさせられています
お酒も大好きですが自分からは飲んだりしてはいけませんので友達の誘いは受けますが私から飲み会の誘いはできません
昨日は子ども会の打ち上げですので許可され飲んでもいいとことで飲んでしまいました
忘年会でも新年会でも「これ以上飲んではいけない」と言われれば飲みませんし、「帰りなさい」と言われれば帰ります
私は霊能者ですので事細かに生活のことを指導されますが、私の霊能を受ける方にはこんなに細かに「してはいけないこと」を言ってはいません
こんな細かな指導が必要なのは、霊能者にとって大事な睡眠や天界との通信時間を守護霊様が決ているからです
霊能者=おかしな人間みたいな感じなのは
「今、守護霊様が帰りなさいといったから帰ります」と正直に言えば、「ああ~おかしくなったなぁ~」と言われると思います
私には子どももいますし、違う仕事もしています
おかしな人間と思われないように現実に沿って、話をしています
ですが2008年年末から2009年の四月頃までは時々おかしなことを言っていたと思います
天界がこの天界の世界と現実のこの世界を二つ同時に生きていけるかどうか試していたのです
<「霊能者としての生活1~7」を読んでください>
試され、天界のことを信じこの現在の生活をも重んじていると結果が出て、霊能者としての道が開かれました
霊能者として今でも修行をしています
友達とは自分から食事や飲み会に誘うこともできなくなりました
私の時間は天界に預けています
いろいろな制限はあっても「日々修行だ」と思い受け入れています
私の霊能者としてのお役目に「霊能者=おかしな人間」という意識を変えることと
天界(呼び名は違っても)という世界が存在し、現実の世界にメッセージを伝えてきているということを意識づけることがあります
現実に沿って、霊能活動をしてこれからも天界からのメッセージを皆さんにお伝えします
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2011年4月に霊能者として活動を始めましたが、2011年3月にあるメッセージが降りてきました
それは中学のPTAの委員に関することで私はそのメッセージに従わず自分の考えを通してある委員長になりました
しかし、学校長とPTA会長からその役を降りるように言われました
もう決まったことなのに・・・と驚きとショックを隠せませんでした
私は小学校では子ども会の会長で、「兼任はできない」と言われたのです
そして私はその委員の長ではなくなり、守護霊様が言ったとうりになりました
その時から、守護霊様のいうことを聞かない時はこうなるんだと反省をしました
4月から霊能者として人を導くお役目を与えられたからには私には厳しく天罰が降りてくることもわかりました
そして今まで「おじいちゃん」と会話をしていただけと思っていましたが
私の守護霊様で私に霊力を与えてくださる方と会話形式で話をしていたということもわかりました
私のおじいちゃんが守護霊様ということを知り嬉しくもあり誇りでもあります
私のおじいちゃんは出雲大社教の神主で屋久島での開祖でご祈祷により人の病や霊現象を治していた話を聞いていたので尊敬をしていました
「おじいちゃんのようになりたい」と何度か思ったこともありますし、神社もとても好きです
そんなおじいちゃんに霊能力をあたれられ、導かれ、霊能者になったことを誇りに思います
私の父は宗教も神様も信じない人ですが、私は小さい頃から神様や神社やお寺宗教関係のことにとても興味があり、父の唯物論を聞くのが嫌でした
現実に基づいた精神論でならなければならないのですから、父が私に与えた影響もプラスに働いて今の私があります
霊能者になるにはその生まれてくる環境も大いに関係しています
人がその家で生まれるには様々な意味合いがあるのです
霊能力がなく詐欺的な知識が豊富で霊能者になったり、ヒーラー、占い師、スピリチュアルカウンセラーになったりしている人もたくさんいます
始めは世のため人のためともったりして天界から与えられた霊能力をお金のため、名誉のためなどに気持ちが変われば、悪霊に取りつかれ、おかしな霊能をする、霊能者、ヒーラー、占い師、スピリチュアルカウンセラーに変わります
怪しいと思ったら「何故この仕事を始めたんですか?」と聞いてみてください
「人助け、世界のため」などありきたりなことしか言えない人は霊能力はありません
インスピレーションを働かし、本物と偽物を見分けるようにしてください
最近はブログが長くなりすいません
読んでいただきありがとうございます
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2011年4月より霊能を仕事として霊能者になりました
それ以前は霊感があっても家族には亡き母の言葉を伝えても
お金をいただいて人様を霊能することはなく、「仕事にしなさい」と守護霊様から言われても・・・と思っていましたが、
自然な成り行きで様々な方を霊能させていただきました
様々な方のお悩みや霊現象を良き方向に導くお役目です
霊能を受けた方が、皆さんそれぞれこれから歩まれる道をまっすぐ歩いて行かれるように、
日々修行です
霊能を受けられた体験談をこのブログであまり紹介しないのは個人のプライバシーのこともありますし、様々な方がこのブログを見て知りもしない人のことを詮索されてはと嫌かな・・・と思い、ほんの数名しか載せていただいていません
ブログに載せる時は許可をとったり、受けていただいた方から「ブログに載せても構わないです」と自ら言われたかだけです
その節はありがとうございました
どんな霊能をしているか、体験談を知りたいと思う方は多いと思いますが、これからも個人的にどんな霊能体験談をしたかをブログにはあまり載せない方向で行きます
「あやしい・・・」と思われる方はそれでもかまいません
私のブログから私の人となりを判断し、時々ブログに書く天界の言葉などで「本物かどうか」判断してください
ネットの世界は嘘も真もあります
その選別をするのはあなた自身です
私は霊能者としてこのブログを書いています
私の個人的な感傷をこの場では書きませんし、書いてはいけませんので
どこかしら上から目線だったり、冷たいような人だなと思われえても仕方ないと思っています
時々子どもや家族のことを書きますがそれは私の人となりを知ってもらうという意味があります
私について、霊能について質問があればコメントに書いていただいても構いません
下記のお問い合わせ先でもかまいません
霊能という世界、ヒーラーや占い、スピリチュアルカウンセラーの世界の真実と嘘を見極めれるようなメッセージも天界から降りてきますのでまたお伝えします
また長くなりました
読んでいただきありがとうございます
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「霊能者としての生活」 から続きを書いています
2009年4月より通常生活に戻ったものの
まだまだ霊現象や不思議な体験は続いていました
自分の体ですが常に誰かを感じ、私の亡くなっている祖父の言葉を聞き
相変わらず私のことを忌み嫌っている人たちの話を聞かされていました
ですが私には仕事もあり家事も少しづつできるようになり、自分では今までと変わらないと思っていました
その頃、私の前世を聞かされ、親や兄弟や友達と前世でつながっていてことも知らされました
ですがそんな話はだれにもしませんでした
2010年以前より脳こうそくで要介護だった母が人工透析のため入院しました
50キロ以上離れている入院先の母の声で父の呼ぶ声が聞こえた夜、母は本当に病院から父に夜中来て欲しいと看護師さんに頼んでいました
そして、その数日後、母が危篤状態の時「お母さんはもう逝くね」と声が聞こえました
その数分後、この世を去りました
母の死はやはりショックでしたが、お葬式が終わったころ、私は母の言葉をしゃべり始めました
母は鹿児島の出身で大阪に来ても鹿児島弁が抜けずどくどくの言い回しで
「今は友達と会ってる。お母さんにもあったよ」など私の口を使って話してくれました
私は5人兄弟ですが、妹は信じてくれましたが弟は信じません
今でも弟は信じていません
母のメッセージは子どものことばかりで、心配と後悔が多かったです
「信じん奴には、はなさん(私が母だということを信じない弟にはもう話をしない)」といい、弟には母からの言葉が次第になくなり、妹には今までのことを謝り、これからのことの細かな母からのアドバイスを真剣に聞き、実行していました
考えてみればすでに霊能者になっていたのですが、「亡くなって母が思いがたくさんあり天国からそれを伝えたっかったのだろう・・・」と思い私の口を使ってのこの言葉のことは、そんなに気にしませんでいた
母が亡くなってもたびたび話を聞かされ、母が亡くなったことがショックということはなくなりました
そして2011.3.11大震災の日を迎えました
数日前から急いであれこれしなさいと祖父が用事をいうのでよくわからず、従っていました
部屋の片づけ、整理などをし大震災の日はPTAの役員で卒業式に参加し家に戻り、自分の部屋にいました
子どもが揺れに気づきテレビで地震の様子を知ることができました
それから私は祖父の指示で家族と離れ、お経を読んだり、祈りをささげたりして丸二日食べず水を少し飲み大震災に思いをささげていました
亡くなった人の言葉を聞き話、祖父から様々なことを聞かされていたのに、祖父が何故あんなにも急がして私の身の回りの整理をさせたか、考えもせず
予知的な話もあったのに覚えておらず、何をしていたのか深く反省をしました
そして2011年4月、祖父が守護霊様であり、守護霊の導きにより「この霊能力を仕事としなさい」と命を受けて、霊能者の道を歩み始めることにしました
今日はだいぶ長いブログになりました
読んでいただいてありがとうございます
まだまだ思いは書ききれませんがまた次回にでも・・・
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