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弁護士・元ロースクール教授宮武嶺の社会派リベラルブログです。

推定無罪とは何か。本人が自白したと警察がリークしても、現に自白していても、無実・えん罪の時がある。

2016年09月12日 | 人権保障と平和

 

 2012年6月29日、横浜市のホームページに、同市保土ヶ谷区の小学校を襲撃して皆殺しにすると予告する脅迫文が載りました。

 警察の捜査で、IPアドレスから、19歳の大学生のパソコンからその書き込みがなされたことがわかり、警察は7月1日にその大学生を逮捕。

 大学生は当初は犯行を否認していましたが、その後の調べに、

「楽しそうな小学生を見て、困らせてやろうと思った」

と自白しました。

 客観的証拠に自白もあります。

 19歳と言えども少年事件ですからこの事件は家庭裁判所に送致され、8月15日、大学生のやった行為は悪質だが本人は反省もしているということで保護観察処分になりました。

 ところが、この事件はこれだけでは終わりませんでした。

 この2012年6月から9月にかけて、大阪、福岡など全国各地で9件の似たような脅迫事件があったのですが、この横浜の大学生の事件も含めてすべて、パソコンをウィルスに感染させて遠隔操作させたPC遠隔操作事件だということで、2013年2月、ある会社員が威力業務妨害容疑で逮捕されたのです。

 この会社員は自分は身に覚えがない、えん罪だと主張しましたが、実は真犯人が別にいると思わせようと真犯人を装って工作したことが警察に暴かれ、これが仇になって真犯人であることがばれて、2015年2月、実刑判決を受けました。

 

 この真犯人のやった脅迫行為も他人を巻き込むところがなお恐ろしいのですが、さらに恐ろしいのは、9件の事件のうち、横浜の事件を含めて4件で警察は誤認逮捕をしていたことでした。

 つまり、真犯人が遠隔操作したパソコンの持ち主を逮捕してしまったのです。

 さらに、恐ろしいことに、この4件の事件のうち、横浜の大学生を以外に、全く身に覚えのないはずの無実の人が福岡でもう一人自白しています。

 幼稚園に襲撃予告メールを送り付けたとして威力業務妨害罪で逮捕された福岡市の男性は、逮捕直前は当然容疑を否認していましたが、自宅のパソコンに脅迫メールが残っていることを指摘されて、なんと

「私がやりました」

と自白させられています。その後、この男性は

「同居の女性がやったと思い、かばっただけ」

と否認に転じましたが、取り調べが進むと再び自白させられています。

 さらに、都内の芸能プロダクションへの脅迫事件で再逮捕された際も、警視庁の調べにまた自白させられているのです。

 その後、男性のパソコンが遠隔操作のウイルスに感染した疑いが浮上し、2012年9月27日にやっと処分保留で釈放されました。その身柄拘束期間、なんと4週間です。

 このように、警察というのは、全く身に覚えのない人にでも容易に自白をさせられる機関です。

PC(パソコン)遠隔操作事件実刑判決 4人も誤認逮捕した警察による自白調書でっち上げも忘れてはならない

PC遠隔操作なりすましウィルス事件は自白強要による冤罪が問題だ


 

 被疑者を逮捕・勾留すると3週間以上も警察の留置場に身柄を拘束できる先進国の中で異様に長い身柄拘束期間や、弁護人の立ち合いなしの密室である取調室での長時間の取り調べがこれを可能にしています。

 そこで、今まで明るみに出たえん罪事件の多くで、全く無実のはずの人が「自白」をして自白調書を取られています。冒頭の画像にある足利事件の菅家さんもそうでした。

 裁判官がこの自白調書をうのみにしやすいことも、えん罪事件を多発させる要因となっています。

 全く身に覚えのない人が

「小学生たちを困らせてやろうと思った」

と動機まで自白するとは思わないのでしょう。

 本当は警察に言わされた、もしくは警察の作文同様なのに。

 また、裁判が始まる前から、テレビが人民裁判所のようになっているのも最近の特徴です。

 警察が裁判を有利に進めるために捜査途中の情報をマスコミにリークします。

 これはマスコミが必死に情報を求めるからでもあるのですが、とにかく警察・検察とマスコミは持ちつ持たれつで、捜査機関が垂れ流す情報をろくな検証もなしにテレビが大々的に報道します。

 そして、それを市民が信じ込んでしまうのです。

 裁判は有罪か無罪かを決めるためにするのに、裁判をする前から視聴者はもはや有罪だと決め込んでしまうことになります。

 それどころか被疑者の家族までも。

 最初に触れた横浜市の大学生は、えん罪であることが明らかになり、2012年10月29日に家裁が異例の保護観察処分の取り消し決定をしています。

 しかし、お父さんがこんな文章を公表しています。

最も悲しいのは、親が息子の無実を疑ってしまったことです。

という一節には、誰もが頭を垂れるしかないのではないでしょうか。

 

マスコミの皆様へ

  今回の誤認逮捕の件につきまして、一言述べさせていただきます。大学生の息子は、学業半ばにして深夜突然、連行・逮捕されました。当人の強い否認にもかか わらず、十分なパソコンデータの解析も行われないまま取り調べが続きました。警察・検察双方からの不当な圧力を受け、理不尽な質問で繰り返し問い詰められ 続けました。勾留期限が迫り、また家族への配慮と自分の将来を考え、絶望の中で事実を曲げ「自分がやった」という自供をし、保護観察処分となりました。無 実である証拠が出てくることを切望し待ち続けながらも、諦めざるを得なかった息子の心情を思うと、やりきれないものがあります。そして、真実を封印しなが ら生きていくことを選んだ息子の胸中を察すると、親としては、断腸の思いです。

 こうして警察・検察が誤認逮捕を認め、家庭裁判所が保護処分取り消しを行うという結果にはなりましたが、逮捕されてからの息子本人と家族の苦悩と心の痛みは決して癒えることはありません。最も悲しいのは、親が息子の無実を疑ってしまったことです。

 この件は、警察の構造的な問題、体質的な問題であり、本来国民を守るべき警察が、捜査の怠慢によって無実の国民、しかも少年を誤認逮捕し、冤罪に至らしめるという最もあってはならない事態です。真犯人の方が遙かに警察当局よりも優れたコンピュータの技量をもっているのを指をくわえて見ている情けな い状況です。このようなことが二度と起きないように徹底的な検証と意識改革をするべきだと思います。

 保護観察処分取り消しとなった息子には、心と体をゆっくりと休め、落ち着いた生活をさせたいと思います。マスコミの皆さんには、 過日のような加熱した取材を厳に謹んでいただきたいと思いま す。この書面が私と息子、および家族の今回の件に関するすべての意見です。今後の取材にはいかなる形でも一切応じませんので悪しからずお願いいたします。

   平成24年10月30日   少年の父親

PC遠隔操作事件 家裁の異例の保護観察取り消し処分にあたり、お父さんがコメントを発表されました

 

「息子さんは楽しそうな小学生を困らせてやろうと思ったと言っていますよ」などと警察から説明され、無実の息子を有罪と警察に信じ込まされてしまったご家族のご心痛はいかばかりだったでしょうか。

 さて、推定無罪は、刑事訴訟法上の大原則で、憲法上の原則でもあります。

 これは、被疑者・被告人は無罪であることが推定され、有罪であることの立証責任は検察側にあり、検察が有罪だと立証できない事件について裁判所は無罪判決を出さなければならないという原則です。

 それは、100人の真犯人を逃しても、1人の無実の人を有罪にしてはならないという原則だと言われますが、全くそのような運用には捜査機関でも裁判所でもなっておらず、我が国の刑事裁判は99・9%の有罪率になっているのが現状です。

 つまり、1000人に1人しか無罪にならないというわけです。これでは今もどこかでえん罪事件が発生しているのではないかと危惧する方が当たり前です。

 ですから、裁判上も推定無罪がさらに強調されなければならないのですが、テレビが人民裁判になってしまっており、さらに一度有罪と決めつけられると社会的に葬られるような現状からは、一般市民の推定無罪が強調されてされ過ぎることがありません。

 被疑者が犯人として逮捕され、自白までしたと報道されると、もうやったに違いないと決めつけたくなるのはよくわかります。

 しかし、そこを理性でぐっとこらえて、警察が誤認逮捕することもあるし、警察がリークしている情報が本当とは限らないし(和歌山毒物カレー事件では毒物の種類まで間違えた)、自白したと言っても犯人とは限らないという、心にゆとりと疑いを残した状態で、マスコミの報道を眺める習慣を身に着けてほしいと思います。

 

 

もちろん例の事件に関する前回の記事とそれに対するコメントにインスパイアされて書いた記事ですが、

あっちの事件について具体的に書くと飲み込みにくいでしょう。

よろしかったら大変お手数とは存じますが、上下ともクリックしてくださると大変うれしいです!


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9 コメント

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趣旨は理解しましたが、 (K)
2016-09-12 09:05:51
> 有罪であることの立証責任は検察側にあり、検察が有罪だと立証できない事件について裁判所は無罪判決を出さなければならないという原則です

慰安婦問題の時は、証言が証拠となっているのに対し、高畑氏の時は、証言だけではダメというのは矛盾しませんか?
宇都宮氏が、鳥越氏に説明責任を求めたのも、女性が証言したからこそでしたし、彼の方が一貫しているように思えます。


> 我が国の刑事裁判は99・9%の有罪率になっているのが現状です

有罪率が0.01%だったら、「我が国の司法は最高だー!」と大喜びすべきですか?
返信する
Re:趣旨は理解しましたが、 (raymiyatake)
2016-09-12 09:24:42
いえ、全く趣旨を理解していらっしゃらないことが手に取るようにわかるコメントです(笑)。
返信する
被害者を冒涜 (20代女性)
2016-09-12 17:25:54
私は前回の記事でも、
推定無罪が大原則だとコメントしました。

しかし、その続きがこの記事ですか?

和解内容の全文は明らかになっていません。
しかし、もう少し性犯罪被害者に寄り添う姿勢は
取れないんですか?

なんとも、弁護士の常識は世間の非常識。
和解金さえ払えば無罪放免なんだよ!

という、某法律事務所HPが袋叩きになった事例を
思い起こさせます。
返信する
う~ん。難しい問題…。 (リベラ・メ(本物の))
2016-09-12 22:43:12
何処まで本当なのか、さっぱり分かりません…。
返信する
罪の客観的証明は難しい (一国民)
2016-09-12 23:04:11
冒頭の写真にある菅家さんは、いわゆる足利事件の容疑者として逮捕され、自白という証言と、DNA鑑定でも「一致」したという客観的証拠があったために、犯罪人にされてしまった。
しかし、事件発生当時の1990年頃のDNA鑑定は、特定の人物1人のみに絞りこむ程の精度は無かった事がこの悲劇を助長したと、今にしてみれば思う。

自白強要及び誘導など残念ながら完全に撲滅されたとは言い難い。それに、1990年当時でもDNA鑑定は、一般人にしてみたら、水戸黄門の印籠や遠山金四郎の桜吹雪の入れ墨よろしく、
有無も言わさない決定的な物証と思われていたのだ。それでも、冤罪が起こったのだから、客観的な犯罪の証明は如何に難しいかが良く分かる。

人間のする事だから完璧なものは無い。でも、冤罪は起こしてはいけない。いくら後に無罪となっても、戻ってこない時間が生じるからだ。そう思うと、警察を厳しく監視る義務が一般人にはあると思う。

返信する
冤罪怖い (別視点)
2016-09-13 07:41:43
お勉強シリーズありがとうございます。冤罪はもし自分が無実の罪で捕まったらと思うと本当に恐怖です。
推定無罪の原則は、検察が有罪を立証する必要があり、被告が無実を証明する必要はない、そして、検察が立証出来たかどうか判断するのが裁判官、ということでいいのでしょうか。

>被疑者が犯人として逮捕され、自白までしたと報道されると、もうやったに違いないと決めつけたくなるのはよくわかります
>テレビが人民裁判になってしまっており、さらに一度有罪と決めつけられると社会的に葬られる様な現状

そうですよね。おっしゃるとおり、推定無罪の原則で、裁判で有罪が確定するまでは(場合によっては最高裁判決まで何年もの間)被告が無罪であると思っておく必要があるんでしょう。

しかし、えん罪とは、私の理解では、狭義の解釈として、無実の人が有罪と判断されてしまう、即ち間違いで有罪になることですから、たとえ間違いであっても、有罪が確定した時点で推定無罪の原則は適用されなくなると思います。
(無罪判決を受けたケース、無実の罪で捕まる、誤認逮捕そのものを「冤罪で捕まる」と、広義の解釈も出来ますが、下記に示す通り、文脈ではどちらも混在している様なので、文意を掴みにくくしています)

つまり、推定無罪の原則論はあくまで原則論であって、冤罪事件の存在を危惧することとは別次元の話ではないかと思いました。
有罪の確定した人を犯罪者として認識することは推定無罪の原則上は無問題で、その人に対して「もしかしたらえん罪かもしれない」と思うことを推定無罪とは言わない気がします。

>我が国の刑事裁判は99・9%の有罪率
>これでは今もどこかでえん罪事件が発生しているのではないかと危惧する方が当たり前です

有罪率とえん罪率は相関していないように思います。
有罪率は、検察が事前に有罪を立証出来る強い確信の持てる案件だけ起訴すれば高くなりますから、有罪率が高いことで、例えば検察が自白を強要したり証拠を捏造していると嫌疑をかけるのは、それこそ濡れ衣になってしまいます。
(ここで有罪率とえん罪事件を相関させるのは自動的にえん罪を狭義の解釈で捉えることになりますが、誤認逮捕の例示は広義の解釈ということになるので混乱しました。意地悪な言い方ですが、慰安婦問題で強制性を広義に解釈したり狭義に解釈したりしてバイアスをかける論法みたいです)


もちろん、冤罪が起こること自体は大変問題で、何処に原因があるのかよく考えて行く必要があるんだろうと思います。
検察が自白を強要することが冤罪につながりやすいのはわかりますし、自白を強要する様な取り調べ方法は人権を侵害しているとも思います。
しかし、検察の立証方法は、裁判官の判断基準を基礎にしてより有罪率を高める方法をとるのが当然でしょうから、自白を重要視しすぎる裁判官の判断、無実を主張すると裁判官の心証を悪くするなどといった、裁判官の資質、慣習も、冤罪の大きな一因でしょう。
証拠の捏造については、弁護士の、「嘘を嘘と見抜く力」が不足していることにも一因はあるのでしょうかね。

検察の取り調べは、取り調べの可視化、例えば弁護士の立ち会いなどで改善出来るでしょうが、裁判官の判断の慣習はなかなか変えにくい気がします。
弁護士がもっと頑張るべきなのか、裁判員裁判で我々が変えるべきなのか。最高裁裁判官の国民審査なんて事実上機能していないし。
何か良い案はあるのでしょうか?



>心にゆとりと疑いを残した状態で、マスコミの報道を眺める習慣を身に着けてほしいと思います

これは刑事事件に限らず、私自身を含む誰もが常に自分自身に問いかけるべきことだと思います。
その意味でも、私と価値観の違う方が多いこのサイトで、敢えて「別視点」を提示して行きたいものです。
返信する
風潮なんでしょうか (月風狼)
2016-09-13 08:26:39
前回もそうですが、今回もマクロの話をミクロに見てはる方多いですね。
その事件個別の詳細な情報を持ってるわけでも無いのに判断して責めるってのは、今の風潮なんでしょうか。それなら、イジメやヘイトが無くならないのは道理ですね。

あのメディアの伝え方は、ベッキーさんの時と同じで、集団リンチ、私刑です。上っ面で曖昧な情報だけで、社会的な抹殺に等しいことをされています。ココが問題だと思っていますので、推定無罪を心に置いて考えましょうという事だと思ってます。

ちなみに、示談が成立しても、有罪にはなりますよ。示談した事で情状酌量はされたと思いますが、懲役刑に成った強姦事件を今朝のニュースでも見ました。
一つの事例だけを見て、全体がこうだと思い込むのは危険だと思います。

文章が拙いので、表現がキツくなってるかもしれませんが、自分は経験則からもそう考えています。
返信する
有能なのか無能なのか (kei)
2016-09-13 13:38:44
>警察というのは、全く身に覚えのない人にでも容易に自白をさせられる機関

とにかく早く取り調べの全面可視化を進めて欲しいですね。このままだと警察不信が高まるばかりです。
返信する
enzai (1jAP)
2016-09-13 18:36:16
 冤罪の結果は、やられた者がよくよく知っている。
何十年にわたって、”お前は、小学生時代にあんな酷いことをやって他人の持ち物を奪った奴やからな。それに、自分より小さな子に放火の罪を背負わせてやろうとした卑劣なヤツやからな”と言い続けられる…何もしていなかったにもかかわらず!
 確かに、当方は図工の時間の工作のために、カッターナイフを持って来いという事で教師に言われた通りに兄弟から借りたカッターナイフを持って行って、そのナイフを馬鹿にされてスグサマ馬鹿にした奴の右膝を持っていたナイフで切りつけた過去を持っているから、何かがあれば”おまえやな、わかってるで”と日教組教師どもに睨まれて罪人扱いされたのは致し方ないと思えなくはない。しかしながら、権力盲従型で暴虐な女親に”こいつなら、やります”と受け入れたうえでの”鉄拳制裁”と木刀での滅多打ちにまで遭い、被害者宅に卑劣な”加害者”として土下座しに行かされたことと、その後の更なる独り歩きした極悪風聞が流布された結果、更なる冤罪…
 その結果は、いつも体育の授業の前の着替えが誰よりも遅くなってしまったこと…いつも露出しない背中に木刀で滅多打ちにされたアザが消えなかったこと。そしてそのために、給食費を持ってきた子が袋ごとそのお金を紛失した時にも、容疑者として扱われたりとヤラれまくりましたね。同じようにやられた当方より繊細で良いやつだった他の2人は、ヤンキーを経て極道に。
 ちなみに、当方ら3人は”3ワル”として日教組教師どもに”犯罪処理”係を担当させられたため、何か”やる”度に”クラスからいなくなって欲しい人アンケート”を廊下に出された当方ら”3ワル”不在でやられて、その結果がそれぞれの親に告げられているほどでした。どう告げられてたかやて? 聞かんでもわかるやろ。”3悪を除くクラスの全員からクラスからいなくなって欲しい人”・”嫌いな人”って結果や。真犯人は、いつも大笑いやったやろ。おかげで未だに、”オマエは卑劣極まりない悪やったもんな。”と言われ続けるザマ。真犯人は、”立派な社会人”になってヌクヌクと。そしてかつてのあの日教組教師は、あろうことか校長や教頭となり、もっともらしく転向して恥じず。
 当方は、確かにワルだったろう。しかしながら、外道ではなかった事を胸を張って言い切れる。当方に罪を負っておかせたオマエラよ、ツツガナク生活できてるか?
 当方は、あの頃のままゴキブリやネズミのように何とか生き抜いてるから安心せぇ。可能なら、いつか必ず、礼に行ってやるから。(微笑)
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