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弁護士・元ロースクール教授宮武嶺の社会派リベラルブログです。

古舘伊知郎最後のあいさつ、動画と全文書き起こし。「情熱をもってやれば多少は偏るんです」

2016年04月02日 | 社会とマスコミ

 

 昨日出席した経営者セミナーで、ある経営者がこういう話をしていました。

「古舘さんの最後の放送、見ました?

 ぜひ見てください。

 古舘さんは12年間やっている間に、物凄くいろんな誹謗中傷も受けた、それに当時は腹を立てていたけれども、今ではそれが自分を鍛えてくれて、今の自分を作り上げてくれたと言っていました。

 そういう考え方が大事なんですよね」

 その方は古舘キャスター最後のあいさつからそういうメッセージを感じ取ったんですね。

 

 私が言葉の魔術師古舘伊知郎の最後の報道ステーションの言葉で一番印象的だったのは

『「空気を読む」という人間には特性がある。読むから、一方向にどうしても空気を読んで流れていってしまう。

 だからこそ反面で「水を差す」という言動や行為が必要だと。私、その通りだと思います。

 つるんつるんの無難な言葉で固めた番組などちっとも面白くありません。人間がやっているんです。人間は少なからず偏っていきます。

 だから、情熱をもって番組を作れば、多少は番組は偏るんです。全体的に、ほどよいバランスに仕上げ直せば、そこに腐心をしていけばいいという信念を私は持っています。』

報ステ


 最後のあいさつにも出てくる久米宏のニュースステーションから古舘伊知郎氏にキャスターが変わるときに、プロレスやF1の実況中継の穴にしか過ぎないと思っていた古舘氏からは、まさに「つるんつるん」の言葉しか紡がれないのではないかと危惧していたのですが、彼は結構ゴツゴツした番組を作りました。

スクリーンショット 2016-03-22 9.30.34

[報道ステーション]ワイマール憲法から学ぶ自民党憲法草案緊急事態条項の危うさ (文字起こし)【全編】



 では、お読みください。ご覧ください。

 古舘伊知郎、最後のあいさつ

 

古舘伊知郎キャスターが、31日の放送でテレビ朝日「報道ステーション」の出演を終えた。番組最後のスピーチは以下の通り。

 私が大変気に入っているセットも今日が最後。04年4月に産声を上げ、12年の月日があっという間にたちました。私の古巣である、学舎であるテレビ朝日に貢献できればという思いも強くあって、この大任を引き受けさせていただきました。おかげさまで風邪などひとつもひくことなく、無遅刻無欠勤で12年やらせていただくことができました。これもひとえに、テレビの前で今、ご覧になっている皆様方の支えあったればこそだなと、本当に痛感をしております。ありがとうございました。

 私は毎日毎日この12年間、テレビ局に送られてくる皆様からの感想、電話、メールをまとめたものをずーっと読ませていただきました。お褒めの言葉に喜び、徹底的な罵倒に傷ついたこともありました。でも全部ひっくるめてありがたいなと今思っております。

 というのも、ふとある時気づくんですね。いろんなことを言ってくるけれども、考えてみれば私もこの電波という公器を使っていろんなことをしゃべらせていただいている。絶対誰かがどこかで傷ついているんですよね。それは因果はめぐって、自分がまた傷つけられて当然だと、だんだん素直に思えるうになりました。こういうふうに言えるようになったのも、皆様方に育てていただいたんだなと、強く思います。

 そして、私がこんなに元気なのになんで辞めると決意をしたのかということも簡単にお話しするとすれば、そもそも私が12年前にどんな報道番組をやりたかったのかということにつながります。実は言葉にすると簡単なんです。もっともっと普段着で、もっともっとネクタイなどせず、言葉遣いも普段着で、普通の言葉でざっくばらんなニュース番組を作りたいと、真剣に思ってきたんです。

 ところが現実はそんなに甘くありませんでした。たとえば、「いわゆるこれが事実上の解散宣言とみられております」と、「いわゆる」がつく。「事実上の」をつけなくてはならない、「みられている」と言わなくてはならない。これはどうしたって必要なことなんです。放送する側としても誰かを傷つけちゃいけないと、二重三重の言葉の損害保険をかけなければいけないわけです。そういうことをガチッと固めてニュースをやらなければならない。そういう中で、正直申しますと、窮屈になってきました。

 もうちょっと私は自分なりの言葉、しゃべりで皆さんを楽しませたいというようなわがままな欲求が募ってまいりました。12年やらせていただいたというささやかな自負もありましたので、テレビ朝日にお願いして「退かせてください」ということを言いました。これが真相であります。
 
 ですから、世間の一部で、なんらかのプレッシャー、圧力が私にかかって、辞めさせられるとか、そういうことでは一切ございません。そういう意味では、私のしゃべりを支持してくれた方にとっては、私が辞めるというのは、裏切りにもつながります。本当にお許しください。申し訳ありません。私のわがままです。

 ただ、このごろは、報道番組で開けっぴろげに昔よりもいろんな発言ができなくなりつつある空気は私も感じています。この番組のコメンテーターの政治学者の中島先生が教えてくれました。

 「空気を読む」という人間には特性がある。読むから、一方向にどうしても空気を読んで流れていってしまう。だからこそ反面で「水を差す」という言動や行為が必要だと。私、その通りだと思います。つるんつるんの無難な言葉で固めた番組などちっとも面白くありません。人間がやっているんです。人間は少なからず偏っていきます。だから、情熱をもって番組を作れば、多少は番組は偏るんです。全体的に、ほどよいバランスに仕上げ直せば、そこに腐心をしていけばいいという信念を私は持っています。
 
 という意味では、12年間やらせていただく中で、私の中でも育ってきた報道ステーション魂を、後任の方々にぜひ受け継いでいただいて、言うべきことは言う、間違いは謝る。激しい発言というのが、後年議論のきっかけになっていい方向に向いたじゃないかと、そういうこともあるはずだと信じております。

 考えてみれば、テレビの一人勝ちの時代がありました。そのよき時代に乗って、あの久米宏さんが素晴らしい「ニュースステーション」というニュースショーを、まさに時流の一番槍をかかげて突っ走りました。私はその後を受け継ぎました。テレビの地上波もだんだん厳しくなってきた。競争相手が多くなりました。そういう中でも、しんがりを務めさせていただいたかなと、ささやかな自負は持っております。

 さあ、この後は通信と放送の二人羽織、どうなっていくんでしょうか。厳しい中で、富川悠太アナウンサーが4月11日から引き継ぎます。大変だと思います。しかし彼には乱世の雄になっていただきたいと思います。

 私はこの12年の中で彼をすごいなと思ったのは、1回たりとも仕事上のグチを聞いたことがありません。そういう人です。精神年齢は私よりもずっと高いと思っています。どうか皆さん、3カ月や半年あたりでいいだ悪いだ判断するのではなく、長い目で彼の新しい報道ステーションを見守っていただきたいと思います。本当につらくなったら私に電話してきてください。相談に乗ります。ニュースキャスターというのは、本当に孤独ですからね。

 私は今こんな思いでいます。人の情けにつかまりながら、折れた情けの枝で死ぬ。「浪花節だよ人生は」の一節です。死んでまた再生します。皆さん、本当にありがとうございました。



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最後のあいさつの最後のあたりが、本来の古舘伊知郎節ですなあ。新日本プロレスの実況を思い出しました。

決して好きなキャラクターではないのですが、12年間無遅刻無欠勤には驚きました。よく我慢されたと思います。お疲れ様でした。

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古舘伊知郎が最後の放送で「直接の圧力はなかった」と…でも『報ステ』は明らかに安倍政権から圧力を受けていた!

【この記事のキーワード】
2016.04.01 リテラ
 
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『報道ステーション』HPより


「ニュースキャスターというのは、本当に孤独ですからね。私はいまこんな想いでいます。《人の情けにつかまりながら折れた情けの枝で死ぬ》。『浪花節だよ人生は』の一節です。死んでまた再生します。みなさん本当にありがとうございました」

 昨日3月31日の放送をもって、古舘伊知郎キャスター最後の出演となった『報道ステーション』(テレビ朝日)。その最後の放送で、古舘氏は番組の終わり際、8分間にわたって、番組への思い、そして、なぜ自分が昨年末に突然の降板を申し入れたかを語った。

「私がこんなに元気なのになんで辞めると決意したのかを、簡単にお話しするとすれば、そもそも私が12年前にどんな報道番組がやりたかったかということにつながるんです。それは、実は言葉にすると簡単なんです。もっともっと普段着で、もっともっとネクタイなどせず、言葉遣いも普段着で、司法の言葉なんかじゃなく、普通の言葉で、ざっくばらんなニュース番組をつくりたいと、真剣に思ってきたんです。ところが現実は、そんなにみなさん甘くありませんでした」

「そういうなかで、正直申しますと、窮屈になってきました。もうちょっと、私は自分なりの言葉、しゃべりで、みなさんを楽しませたい。というような、わがままな欲求がつのってまいりました。12年、苦労してやらしていただいたというささやかな自負もありましたので、テレビ朝日にお願いをして、退かせてください、ということを言いました。これが真相であります」

 つまり、古舘氏は、自らが目指す番組のありかたをかたちにできずに煩悶していた。そこで、2004年の番組スタートから12年間の節目をもって、テレビ朝日に降板を申し入れたということらしい。そして、古舘氏はこう付け加えた。

「世間、巷の一部でですね、なんらかの直接プレッシャー、圧力が私にかかって、私は辞めさせられるとか辞めるとか、そういうことでは一切ございません。ですから、そういう意味では、私のこういうしゃべりや番組を支持してくださった方にとっては、私が急に辞めるということは裏切りにも通じます。本当にお許しください。申し訳ありません。私のわがままです」

 このように、古舘氏は「政権からの直接的な圧力はなかった」と言ったのだが、これを額面通り受け取るわけにはいかないだろう。

 たしかに、たとえば官邸から古舘氏自身に直接「辞めろ」と迫った事実はないはずだ。だが、この2年弱、古舘氏は降板せざるを得ないよう、じわじわと外堀を埋められてきた。

 はじまりは一昨年9月、川内原発をめぐる『報ステ』の報道に対して原子力規制委員会がいちゃもんをつけ、BPO案件となったことだった。安倍政権の応援団はこれを使って、『報ステ』に露骨なプレッシャーをかけはじめる。

 翌10月には、テレ朝の放送番組審議会の席上で、同会の委員長を務める幻冬舎の見城徹社長がコメンテーターの恵村順一郎氏を「頓珍漢極まりない」と批判した上で、「官邸を評価できるとこは評価すべき」「現政権に批判、批判と考えないほうがいい」と発言した。

 見城氏は周知のように、安倍首相の応援団の筆頭格とされる人物で、テレ朝・早河洋会長と安倍首相の間を取りもったパイプ役でもある。

 さらに、昨年1月末には、イスラム国問題をめぐるコメンテーター・古賀茂明氏の「I am not ABE」発言に菅義偉官房長官が激怒。記者たちとのオフレコ懇談で「本当に頭にきた」「俺なら放送法に違反してるって言ってやるところ」と、放送法をたてにした圧力をちらつかせた。

 そして3月になると、古舘氏が信頼を寄せ、番組の反権力スタンスを守ってきた番組統括の女性チーフプロデューサーの更迭、さらには官邸や安倍応援団から標的にされていた古賀茂明氏、恵村順一郎氏のコメンテーター降板が決まってしまったのだ。

 これに対して、古賀茂明氏は最後の出演で「官邸の圧力で降板」になったことを暴露するのだが、この発言についても自民党は“放送法に違反した疑いがある”として、4月にテレ朝経営幹部を呼び出し、事情聴取を行うという暴挙に出た。しかもその後、高市早苗総務相はテレ朝に対し「厳重注意」とする文書を出している。

 これら一連の経緯をみれば、安倍政権から『報道ステーション』に「圧力」がかかっていたのは、まぎれもない事実だろう。

 実際、昨日の最後の放送で、自分への「直接の圧力はなかった」と言った古舘氏も、その後、こう言葉をつないでいた。

「ただ、このごろは、報道番組で、あけっぴろげに、昔よりもいろんな発言ができなくなりつつあるような空気は、私も感じています」

 そして、番組のコメンテーターを務めた政治学者の中島岳志氏の弁を紹介しつつ、現在のテレビ報道が危機にあることを視聴者に告げたのだ。

「この番組のコメンテーターで政治学者の中島先生がこういうことを教えてくれました。『空気を読むという人間には特性がある。昔の偉い人も言っていた。(空気を)読むから、一方向にどうしても流れていってしまう。だからこそ反面で、水をさすという言動や行為が必要だ』。私もその通りだと、感銘しました。つるんつるんの無難な言葉で固めた番組など、ちっとも面白くありません!

 人間がやってるんです。人間は少なからず偏っています。だから情熱をもって番組をつくれば、多少は番組は偏るんです。しかし、全体的に程よいバランスに仕上げ直せば、そこに腐心をしていけばいいのではないのかという、私は信念をもっています。

 そういう意味では、12年間やらせていただくなかで、私のなかでも育ってきた“報道ステーション魂”というものを、後任の方々に是非受け継いでいただいて、言うべきことは言う。多少厳しい発言でも、言っておけば、間違いは謝る。その代わりその激しい発言というものは、実は後年になって、あれがきっかけになって議論になっていい方向に向いたじゃないかと、そういう事柄もあるはずだと信じています」

 一方向に流れができないよう水をさし、「偏っている!」という意見を過度に恐れず、議論をつくり出していく。──しかし、古舘氏のこのメッセージも、今、起きている現実を見ると、むなしさしか感じることができない。

 ここまで高邁な理想を口にするのなら、なぜ、古舘氏は報道の現場を去らなくてはならなかったのか。以下に、この間、『報道ステーション』に起きた圧力の詳細を暴いた記事を列挙するので、今、テレビが置かれている状況を改めて認識し、危機感をもってもらいたい。
編集部

古舘伊知郎が懺悔告白“テレビはウソしか伝えていない”(2014年7月15日配信)
http://lite-ra.com/2014/07/post-238.html

朝日新聞の次は『報道ステーション』がやられる!? 古舘降板、番組終了も(2014年10月15日配信)
http://lite-ra.com/2014/10/post-550.html

解散発表当日、安倍首相が『報道ステーション』にだけ出演しなかった理由(2014年11月19日配信)
http://lite-ra.com/2014/11/post-642.html

俺の後釜がミヤネ? 冗談じゃない! 古舘伊知郎が鬱憤ぶちまけた(2014年12月20日配信)
http://lite-ra.com/2014/12/post-722.html

『報道ステーション』で古賀茂明が「官邸の圧力で降板」の内情暴露! 古舘が大慌て(2015年3月28日配信)
http://lite-ra.com/2015/03/post-980.html

続報! 古賀茂明『報ステ』爆弾発言は菅官房長官の圧力が動機だった! 古賀批判は的外れ(2015年3月28日配信)
http://lite-ra.com/2015/03/post-981.html

さらに続報! 古賀茂明が『報ステ』放送中・放送後のスタッフとのやりとりをすべて明かした!(2015年3月29日配信)
http://lite-ra.com/2015/03/post-983.html

事実無根じゃない! 菅官房長官が古賀茂明を攻撃していた「オフレコメモ」を入手(2015年3月31日配信)
http://lite-ra.com/2015/03/post-986.html

『報ステ』転向?「安倍首相とテレ朝のパイプ役」の姪のバイオリン演奏を延々放映(2015年4月5日配信)
http://lite-ra.com/2015/04/post-998.html

自民党が『報ステ』古賀発言をBPOに…マスコミは菅官房長官の圧力の証拠を隠すな!(2015年4月18日配信)
http://lite-ra.com/2015/04/post-1036.html

スクープ! 安倍首相が『報道ステーション』生出演をドタキャンしていた! 木村草太との対決を怖がって逃亡(2015年9月5日配信)
http://lite-ra.com/2015/09/post-1490.html

『報ステ』降板、古舘伊知郎を追い詰めた安倍政権とテレ朝上層部の癒着!「原発のゲの字もいえない」と不満を(2015年12月24日配信)
http://lite-ra.com/2015/12/post-1818.html

古舘伊知郎が降板発表後はじめての『報ステ』で見せた無念、やはり菅官房長官の圧力が原因との具体的情報も(2016年1月5日配信)
http://lite-ra.com/2016/01/post-1864.html

『報ステ』古舘伊知郎が最後の反撃! ドイツ取材で緊急事態条項の危険性、安倍首相とヒトラーの類似点を示唆(2016年3月19日配信)
http://lite-ra.com/2016/03/post-2082.html

 

 

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14 コメント

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大いに偏るべし (茶碗を洗う人)
2016-04-02 09:54:04
原発、戦争、労働関係、教育、社会福祉等々、弱い者の立場に立つということは、弱い側に偏るということで、大いに偏っていいんじゃないでしょうか。そうでなければ、弱い立場におとしめられている方はずっと弱い立場のままになってしまいます。
「偏り」という概念を、強い方が都合よく利用すべきではないと思います。安倍政権はまっこと本っ当に間違っている。
ちなみに、権利という言葉も、本来は弱い立場に置かれている者を救うためにあるものだから、おおよそ恵まれている人間は権利という言葉を軽々に口にすべきではないという人がいました。むべなるかなです。

古館さんは「多少は」と表現されたけれども、放送上ぎりぎりのところでご自身の信念、全うな主張をされたのかな。心中いかばかりか。降板されるのは本当に残念です。

ところで、記事の中の「プロレスやF1の実況中継の穴」は、プロレス(タイガーマスク)の虎の穴にかけたんですか。さすが、おもしろいです。きょうも笑顔でポチッとにゃ。

返信する
Unknown ()
2016-04-02 09:58:22
古舘節良いですね
報道ステーションの時間は私寝てますから殆ど見た事無い番組ですが
プロレスも見ない私には古舘さんは水泳とサスケですね
報道ステーションの話題は何か問題起こして記事になって見ましたね
まあどうせ右の方が問題にしてるだけかなと思いますが
返信する
ポチっとにゃ、はありがたいんですが。。。 (raymiyatake)
2016-04-02 10:02:58
>ところで、記事の中の「プロレスやF1の実況中継の穴」は、プロレス(タイガーマスク)の虎の穴にかけたんですか。さすが、おもしろいです。きょうも笑顔でポチッとにゃ。

単なるミスタッチです、すみませんw
訂正できなくなってしまったww
返信する
中立は尊くない。命と平和の側に100%偏るべき (某臨床心理士)
2016-04-02 11:28:07
中立のどこが尊いのかわかりません。中立なんて糞くらえ、です。小学校の学級会の司会ならいざ知らず。傍観じゃあないでしょうか。殺人者と被害者の間で「中立です」は無いでしょう。命や平和を守る側に、徹底的に偏るべきです。「多少」どころか、思いっきり偏ってほしいと思います。
返信する
動画と全文書き起こし、ありがとうございます (憂う一市民)
2016-04-02 11:41:06
古館さんの最後の放送、見ようと思っていたけど
見られなかったので、動画と全文書き起こしを
のせてくださり、良かったです。ありがとうございます。

やはり、古館さんの降板は、残念でなりません。
かなりやりづらかったのだろうと思います。
古館さん、12年間本当にお疲れさまでした。

返信する
古舘さん、おつかれさまでした (別視点)
2016-04-02 12:29:29
偏った放送、大いに結構です。だからこそ放送法4条なんて廃止すればいいと思っています。古舘氏が番組でそう主張したかどうかは、たまにしか見ていないので知りませんが。

>「空気を読む」という人間には特性がある。読むから、一方向にどうしても空気を読んで流れていってしまう。だからこそ反面で「水を差す」という言動や行為が必要だと

そうそう。だからこそ私も、空気を読んでブログ主さんの主張に賛同するだけのコメントをせずに、敢えて別視点の意見を書き込むようにしています。
右と左に極端に偏った人達が罵り合いながら不毛な議論をしているのを見てうんざりしている一般人は、右と左の言うことを適当に聞きながら、大体真ん中辺を歩いて行きたいんですよ。

>ですから、世間の一部で、なんらかのプレッシャー、圧力が私にかかって、辞めさせられるとか、そういうことでは一切ございません

私はこのことを別の書き込みである意味予言しておりましたが、真ん中辺にいれば見えるというだけのことです。

>情熱をもって番組を作れば、多少は番組は偏るんです

とあるネット放送のキャスターがこの言葉を受けて

「情熱を持って番組を作るから偏るんではなくて、偏りを持って作るから偏るんです」

と言っていましたが、なるほどなあ、と唸りました。
偏りを持った情熱的な人が作れば偏るだろうし、「多様な視点を盛り込むぞ」という情熱を持って作れば、ある程度公平な番組になるでしょうからね。

古舘さんはそのうちネットデビューして好き放題発言しそうな予感がします。

最後のキャプション、「慰安婦問題は存在します」に一言。

あったり前でしょう!極右ばかり見ているからこういうコメントになるんですよ、古舘さん。
返信する
主様。  ごめんなさい、勘違い。 (茶碗を洗う人)
2016-04-02 14:53:49
そうだったんですか。すみません。。。
返信する
別視点さんへ (kei)
2016-04-02 16:51:46
>「情熱を持って番組を作るから偏るんではなくて、偏りを持って作るから偏るんです」

「偏り」を持った人にしか「情熱」というものは存在しません。
なので、上記の言葉は「偏り」を持った人を否定したいという「偏り」を持った人の言葉に聞こえます。
つまり、「真中でいたい」というのも「偏り」なのです。

あなたもそうした「偏り」を持っているのですよ。

>あったり前でしょう!極右ばかり見ているからこういうコメントになるんですよ、古舘さん。

そう言いますが、私の周囲でも、この問題を全て把握はしておらず、吉田証言が否定=強制連行説が否定=従軍慰安婦問題は無かった、若しくは問題自体を知らない人が何人も居ましたよ。
知らない人は偏りようが無いので、こういう方々こそ「真中」なんですよ。
つまり、そういう方々には古館氏の言葉は有効なのです。それを「極右ばかり見ているから」と一方的に判断するあなたは、やっぱりある意味「偏って」いると私には見えます。
ただ、「偏っている」ことが悪いこととは私は思いませんがね。

返信する
次から何見りゃ良いの~(涙) (リベラ・メ(本物の))
2016-04-02 18:44:59
岸井・膳場さん・国谷さん…と来て、遂には古舘さん。わ~ん!次から何見りゃ良いの~!?
返信する
政権も一つの偏り (洲蛇亜林)
2016-04-02 23:06:26
>人の情けにつかまりながら

棄てる神あれば拾う神ありとも云われますし、「云われてナンボ怒られてナンボ」が世の常とは言え、辛い時に(局内からも局外からも)励ましてくれる人助けてくれる人いればこそやって来れたと言いたいのかなと思います。

>折れた情けの枝で死ぬ

安倍政権とその応援団からの猛烈な攻撃や圧力に、ついに局内が抵抗出来なくなったということでしょうか?
テレビ朝日に迷惑はかけられないので口がさけても圧力で辞めたとは言えないでしょうけど遠まわしに言っていた場面があると思いました。

情熱を持ってやれば偏って来るというのは自然なことだと思いますね。
格差の問題を追及していけば、現在の社会や政治の在り方への疑問などにつながっていくわけで、そこである意味偏りが生じることは避けられないことでしょう。
現在の社会や政治を肯定し疑問を持つことを危険視するような立場からすれば、格差を問題にするのは偏っているというになりますが、逆に格差を緩和したり是正しなければならないという立場からすれば格差肯定論の方こそが偏っているということになるかと思います。

現在盛んに「マスコミ」は偏っていると非難している方もまた一つの偏りの立場から非難しているに過ぎないのです。
時の政権を批判すれば「偏っている」と非難することほど奇怪な話はないわけで、時の政権が常に正しく間違いを侵さない神のような存在だとでも思っているのでしょうか?
そう思っているとしたら、あまりにも政治に対してナイーブであると思います。
返信する

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