霊犀社2

第2霊犀社(元祖第一は、田中逸平主宰の私塾)@霊際社@P。ネタ帳・メモ書きなど、まあガラクタ。嫌疑76件わざと表示拒否中

黒澤貞次郎

2007-07-12 15:35:40 | LinkRecords
 黒澤貞次郎くろさわ ていじろう1875.1.5(明治8)~ 1953.1.26(昭和28)
明治・大正・昭和期の実業家(黒澤商店・タイプライター) 、技術者 埋葬場所:10区 1種 3側

 東京室町出身。尋常小学校 日本橋の薬問屋 小僧 仕事の合間 英語を独習、1891(M24)渡米、シアトルを中心に職を変え、ニューヨークのエリオット・タイプライター会社に工員として就職。工員として技術を身につけるかたわら、タイプライターの研究をはじめ、
1899(M32)同社と共同で日本字ひらがなタイプライターを開発、さらに、電信への利用を前提としたかたかな機に取り組み、
1901に完成させる。エリオット社からシラキュース市のスミスコロナ社に移り、
'01退職金がわりの十数台のタイプライターと、エリオットハッチ社の日本における総代理店権を得て帰国。黒澤商店を設立 タイプライターの宣伝・販売活動、事務用機器全般の輸入販売。近代事務空間としてのオフィスビル建設の構想を抱き、事業のかたわら鉄筋コンクリート技術・建築を独学。
'09から銀座6丁目に従業員を主体に本社ビル建築を始め、三期にわたる工事の末
'12暮れに完成させる。さらに東京南部の蒲田に、自らの設計施工による新工場を「鉄・ガラス・コンクリート」の近代的材料を駆使して完成させたが、関東大震災で崩壊。
'26(T15)再び新工場建設に着手。工場のみならず、敷地内には、食堂、浴室、購買部を含む建物、車庫、変電所、ポンプ室、材料倉庫、幼稚園、小学校、社宅、池、児童プール、貯水池、給水塔、水道設備などをもつ「黒沢村」コミュニティとする。
'46(S21)敗戦とともに進駐軍に本社ビルは接収、赤十字社として使用され
'52接収解除とともに復旧工事を開始。工事完了後の
'53元旦に脳溢血で倒れ、同月死去。

黒沢貞次郎 理想 黒澤貞次郎 理想
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