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日日是好日

「アナザー・カントリー」について、実に主観的に書き散らしてます。
たまに身辺の雑記も。

ふたつよいこと、さてないものよ

2014-05-19 23:53:41 | ほんをよんであふれたもの
ふたつよいこと、さてないものよ




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今は亡き河合隼雄が好きだったという言葉です。

やっぱり偉い人というのは、えらいことを言い残すものなんですねえ。

何かにぶつかるそのたびに、この言葉を思い出します。
こちらはいいが、その分あちらが悪くなる。

チョコレートキャラメル、だったか?

2013-12-24 22:28:14 | ほんをよんであふれたもの
あの子のいいところは、けちん坊じゃないところですよ。


赤毛のアン   モンゴメリ


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ダイアナにもチョコキャラメルをあげることができるわと、
アンが喜んでいるのを見て、
マリラがマシュウに言ったセリフ。
ふと思い出しました。

で、
どーして思い出したかっつーと。

シュトーレンを誰にも見せずに一人でこっそり食べているせいで、
クリスマスになってもまだ食べきれずに残っているのです。

でも私はやっぱり分けてやらずに、
正月まで食いつなぐつもりなのです。


私がクスバート家に引き取られたら、
マリラは「あの子にはいいところが一つもない」
と嘆いただろうなあ。
(それ以前に孤児院に送り返されるか)

あるマンガのセリフ

2013-10-07 20:32:30 | ほんをよんであふれたもの
きみは、人の心を思いやったことはないの……?

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本当に、
心の底から不思議そうに、
こう問いかけるんです。

これが「きみはなんって思いやりのない女の子なんだ!」と腹を立てているなら、
全然状況が違うのですが。

「つらいぜ! ボクちゃん」の一節。
かおり、という女の子に、渡が呟いたひとこと。

かおりは従兄の渡のことが大好きで、
でも、渡は望という年上の女の子が好きで。
私の方がずっとずっと渡ちゃんのことが好きなのに、
どうして渡ちゃんは私に振り向いてくれないの!
まあ、よくあるパターンですね。

前後がどうだったかはほとんど覚えていないのですが、
この一行だけは、痛切に心に響いた。

自分をいっしんに慕ってくれるかおりに、
渡がどうして靡かないのか。靡かなかったのか。
ああ、そうか。
こんな簡単なことだったのだ。
全ては読者の目にさらけ出されていたのに、
どうして私は気づかなかったのか。
どうして、高橋亮子がコマとコマの間に託した思いを、
読み取ることができなかったのか。
どうして作者の心を思いやらなかったのか。

人の心を思いやる。
これは言葉を変えれば、想像力があるということ。
おそらく、役者志望の望には、それがたっぷりあったのだ。

かおりを選んでしまえば、
渡の世界はそれ以上広がらない。


ものを書く場合は、作り手は「人(キャラ)の心を思いや」らねば何も書けません。
クリエイターのアンチテーゼとして、
高橋亮子は、かおりという少女を作ったのではないでしょうか。

ある名言

2013-10-06 22:03:54 | ほんをよんであふれたもの
善をなそうとする者は門を叩き、
愛する者は門が開放されているのを見出す。

タゴール

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これを読んで、
「よし! 自分は愛する者になろう!!」と
思わない人間がいるだろうか。

しかし凡人は、開いてもいない門を、
「愛する者」になりたいと思い詰めるあまり、
「開いている」と錯覚する。
そのせいで、「叩く」手間さえ省いてしまい、
閉まっている門を前に開いた門の幻影を見続ける。

このへんが、非常ーーに難しい。

きっと「愛する者」かそうでないかは、
全て素質で決まるのでしょう。


マーグは確実に「愛する者」だった。
だから私もそのつもりでカディスを書いています。

ある一節

2013-09-19 23:15:01 | ほんをよんであふれたもの
私は九月十七日の生まれで……その頃は、町中がよれよれになり、疲れ切って、怒りっぽくなっている。


曽野綾子  海辺の殺人

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つまり、いまごろです。

雑記の方にも書きましたが、私は秋と相性が悪く、
さすがに「秋眠したい」と祈ることはなくなったけど、
まともに目を合わせたい相手じゃない。

(読書の)秋、(スポーツの)秋、(芸術の)秋、(食欲の)秋。
カッコの中とはじゅーぶんに付き合っているから、
それでいいじゃないと、誤魔化してしまいます。

この小説には、心揺るがすもう一行があって、

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「わたしの大切なお兄様あ!」

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「海辺の殺人」は(短編だからかえって書いちゃってもいいと思うけど)、
幼い兄妹の仲があまりに良いので、
それを不条理に思った男が、
兄妹を殺してしまうという話。

いま、ふと思いました。
殺人犯には、この兄妹を主人公にして小説を書くという方法はなかったのかと。
「海辺の殺人」の作者の方は、それが出来たから、殺人には走らずにすんだのかも。

フィクションは、
ノンフィクションの世界と折り合うためには、
とても良い手段です。

「自殺する前に、海外脱出という手段があることを思い出してほしい」
あるジャーナリストの言葉ですが、それにならって、
「殺す前に、小説を書くという道があることを知っていてくれ」
と言って終わる。