唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

開元二年  西暦714年

2020-07-19 10:00:51 | Weblog
開元二年  西暦714年
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正月甲申,并州節度大使薛訥同紫微黄門三品,以伐契丹。
則天時代に離反した奚や契丹を帰順させようとしています。

二月突厥寇北庭,都護郭虔瓘敗之。
突厥可汗默啜は子同俄を派遣して北庭都護を攻めますが失敗します。

閏二月、王晙を安北大都護、朔方道行軍大總管とし突厥防衛を固めます。

姚元之達は、邪魔になる功臣劉幽求、鐘紹京等を失脚させ追い払いました。

三月己亥,阿史那獻か碎葉等鎮を陥し西突厥可汗都擔を捕らえました。
獻は名前から言っても突厥の帰服した一族です。

四月辛巳,突厥可汗默啜復遣使求昏
五月、吐蕃相坌達延遺宰相書,請先遣解琬至河源正二國封疆,然後結盟。
玄宗即位後蕃族対策が成功していきます。吐蕃は以前の有利な国境設定の追認を求めてきました。

六月丁巳,以宋王成器兼岐州刺史,申王成義兼幽州刺史,幽王守禮兼虢州刺史。
玄宗は兄弟仲が良く、集まって宴飲することが多かったのですが、官僚達はそれを危ぶみ、諸王を外にだすことを求めた。諸王は赴任はするが政務は長史以下が専決し単なるおかざりでした。

七月庚子,薛訥及奚、契丹戰於灤河,敗績。
まだまだ唐軍は弱く、蕃軍に殲滅され、訥は逃げ帰りました。

七月丁未,僻地房州で襄王重茂がなくなりました。殤皇帝と贈られました。

八月乙亥,吐蕃寇邊,薛訥攝左羽林軍將軍,為隴右防御大使,右驍衛將軍郭知運為副,以伐之。
十月甲子,薛訥及吐蕃戰于武階,敗之。
吐蕃が洮州・蘭州・渭州に侵攻してきたため、これを討ちました。訥は前回の失策を償うため力戦し撃破しましたが決定的な勝利ではありません。

鄯州都督楊矩が以前、黄河九曲の地を吐蕃に譲り、そのため吐蕃の勢力が増大したことを咎められ自殺しました。

突厥黙啜可汗は老衰し、諸部はあいついで反して唐朝に通じてきました。

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