唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

開元三~四年  西暦715~16年

2020-07-20 10:00:48 | Weblog
開元三年  西暦715年
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正月丁亥,立郢王嗣謙為皇太子
嗣謙[瑛]は第二子趙麗妃の子である。

突厥からどんどん帰順者がでてきました。

四月庚申,突厥部三姓葛邏祿來附。右羽林軍大將軍薛訥為源州鎮軍大總管,源州都督楊執一副之;
右衛大將軍郭虔瓘為朔州鎮軍大總管,并州長史王晙副之。以備突厥。
衰微してきた対突厥対策が進んだ。

九月壬戌,薛訥為朔方道行軍大總管,太僕卿呂延祚、靈州刺史杜賓客副討突厥。

十月甲子,如鳳泉湯。十一月己卯,至自鳳泉湯。乙酉,幸溫湯。甲午,至自溫湯。
毎年の如く冬期中心に温泉通いが始まります。溫湯=温泉宮=楊貴妃で有名な華清宮です。

開元四年  西暦716年
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正月、王皇后の妹の夫長孫昕等が御史大夫李傑と争い殴打しました。傑は御史大夫もの高官が殴打をうけた恥辱を「体に受けた傷はなおるが、衣冠に受けた侮辱は耐えがたい」と直訴し、玄宗は昕を杖殺し、百官に謝しました。

正月丙午,鄶王嗣真為安北大都護、陝王嗣升為安西大都護、二王皆不出閣。諸王遙領節度自此始。
親王を節度大使としました。いずれも遥領[名称のみ]で、実務は副大使が行います。

二月癸酉,松州都督孫仁獻及吐蕃戰,敗之。

六月甲子,太上皇崩。
睿宗が亡くなりました。退位後の睿宗は政治に関心がなく影の人でした。

六月癸酉,拔曳固斬突厥可汗默啜首來獻。
拔曳固は回紇鉄勒部の一部です。默啜はこれを討ち勝利したのですが、油断して殺されました。

七月丁丑,吐蕃請和。八月辛未,奚、契丹降。
唐を軽侮していた情勢をみて周辺諸国が和を求め始めました。吐蕃とは対等の関係なので「請和」ですが、格の低い奚、契丹は「降」です。

十一月己卯,盧懷慎罷。
清廉だけが取り柄だった懷慎が辞し、同じく凡庸な源乾曜に代わりました。

閏月己亥,姚崇、源乾曜罷。
刑部尚書宋璟為吏部尚書兼黄門監,紫微侍郎蘇頲同紫微黄門平章事。
崇は敏腕でしたが、子供達は父の権威をふりかざし貪汚を重ねていました。玄宗はそれを知り譴責し、懼れた崇は璟に執政を譲りました。伴食のほうは乾曜が頲に代わります。

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