----------------------------
劉德威
----------------------------
父子將は隋毗陵郡通守。
容貌は魁偉で有名だった。
大業末
左光祿大夫裴仁基に従い淮左に賊を討った。
また仁基とともに李密に帰し、懷州鎮守となった。
武德元年
李密が王世充に敗れて唐に入朝すると所部を率いて従った。
授左武候將軍,封滕縣公。
劉武周の南下を防いだ。
判并州總管府司馬。
裴寂が敗走し、齊王元吉が并州を棄てて逃げると、德威は總知留府事となり留守を守った。
武周が太原を陥し、德威は捕まったが、その後逃亡し帰朝した。
賊中の虛實と晉絳諸部の状況を報告し、改封彭城縣公。
未幾
檢校大理少卿。
竇建徳・王世充の平定で有功。
轉刑部侍郎,
散騎常侍を加えられ、平壽縣主を妻とした。
貞觀初
大理卿
太僕卿で加金紫光祿大夫。
貞觀七年/八年
綿州刺史 廉政を讃えられた。
九年/十年
檢校益州大都督府長史。
貞觀十一年
大理卿
貞觀十四年~十七年
刑部尚書兼檢校雍州別駕。
十七年
齊王祐を征討するため、濟州に屯したが、母憂で免。
十八年
遂州刺史
同州刺史.上柱国
永徽三年
卒 71才 贈禮部尚書/幽州都督,謚曰襄,陪葬獻陵。
財物の多くは親族・門友に分配していた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます