唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

先天二年/開元元年七月~  西暦713年

2020-07-18 10:00:39 | Weblog
先天二年/開元元年七月~  西暦713年
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七月乙丑,始聽政。
「始」と書いてあるように実際の朝政を執り始めたのはここからです。

七月甲戌,毀天樞。
則天の遺物を完全廃棄しました。

八月壬寅,宋王成器為太尉,申王成義為司徒,邠王守禮為司空。
形式的官職ですが兄弟を手厚く待遇します。

十月癸卯,講武於驪山。
流郭元振於新州,給事中唐紹伏誅。
対外敗戦が続く軍を引き締める為に兵二十万を動員しました。しかし行軍は惨めなほど混乱して体をなしませんでした。玄宗は激怒して宰相兵部尚書郭元振を解任し、給事中知禮儀事唐紹を誅しました[殺すつもりはなかったようですが]。もはや府兵制の残骸ではどうしようもなかったようです。自分に責任はないと思っていた元振は流され途中で憤死しました。

十月甲辰,同州刺史姚元之為兵部尚書同中書門下三品。
朝政を執ったもののどのように進めてよいかわからぬ玄宗は、経験不足な劉幽求や張說には頼らず、則天時代よりの老臣で果断な姚元之を登用しました。元之は太平公主との闘争時に玄宗に裏切られたことがあるので、多くの注文をつけて全権委任を要求しました。

元之が郎官人事を上奏すると、玄宗は返事もせずにそっぽを向いています。再度上奏しても同様で、元之は動揺して退出します。側近宦官高力士が玄宗に「あれは宰相にたいして取るべき態度ではないでしょう」と諫めると、玄宗は「そうではない、政治は元之に委任した。国家の大事ならともかく、中級官吏の人事などはいちいち上奏する必要はない」と答えたそうです。

十二月庚寅,大赦,改元「開元」,改中書省為紫微省,門下省為黄門省,侍中為監。
玄宗も則天の孫ですので、結構名称に拘ります。

十二月癸丑,劉幽求罷。貶張說為相州刺史。
甲寅,黄門侍郎盧懷慎同紫微黄門平章事。
姚元之[賜名崇]は邪魔な二人を排除し、無害な懷慎に代えました。当時宰相は政事堂で食膳を賜って食事する慣習であった、懷慎は誠実だが治政には無能で、元之のうなずき役でしかなかったようです。そのため食事するためにだけいる宰相[伴食宰相]と言われたのです。

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