僞勅 [監軍王定遠の横暴]
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貞元十一年七月の河東節度使府である。
「ついては節度使李說を解任し、行軍司馬李景略を留後という勅命がくだった」
監軍の王定遠(宦官)は壇上で甲高い声をあげていた。
壇下の諸将は不満げにざわめき、お互いに顔をみあわせていた。
說は節度使として有能ではないが、けっして嫌われてはいない。
定遠は說を無視して専権を振るい、軍内の評判は極めて悪い。
先日も逆らった軍人をひそかに殺して馬糞の下に埋めさせていた。
なぜかそのことは諸将にも知れ渡ってしまっていた。
說にそのことを責められ逆恨みし、朝廷に報告されないうちにと、勝手に解任しようとしていたのだ。
諸将が納得していないのを見て取った定遠はさらにいった。
「おまえ達の昇進の命令もここにたくさん来ている」
そして横においてある書類箱を指さした。
さすがに諸将は関心をもって命を奉じようとした。
その時、定遠の背後にいた大将馬良輔は叫んだ
「こいつは大嘘つきだ、箱の中は古い告示文だけだぞ」
定遠は自分の嘘がばれたことをしり逃げだした。
そして塔にこもって部下を呼んだが、誰も応じようとはしなかった。
やがて身を投げて自殺しようとしたが死にきれなかった。
処罰が降り崖州に流された。
*******背景*******
貞元十一年五月河東節度使李自良が卒した。後任の節度使を決める時、監軍王定遠は行軍司馬の李說を熱心に推薦した。そのおかげで說は節度使に昇進した。
說はお礼に初めて「河東監軍印」を作り定遠に大きな権限を与えた。
監軍印は他鎭にも急速に広がり宦官監軍の権限が強くなる端緒となった。
定遠は說を無視して軍政を壟断するようになり、気に入らないと殺してしまった。
さすがに說が定遠を叱ると、抜刀して說を刺し殺そうとした。
そして廃位しようとして騒ぎを起こしたのである。
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