唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

神龍元年~二年 西暦705~06年

2020-07-09 10:00:03 | Weblog
神龍元年 その2 西暦705年
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六月、韋安石為中書令,魏元忠為侍中,楊再思檢校中書令。七月太子賓客韋巨源三品,西京留守如故。
再興の功臣を逐い、則天時代の旧臣が続々と復帰してきます。

十一月壬寅,則天崩于上陽宮,年八十二。
則天が亡くなりました。中宗はどれだけ安心したことでしょう。これでその怠惰な気持に歯止めがなくなりました。

十一月壬午,及皇后享于太廟,大赦。己丑,幸洛城南門,觀潑寒胡戲。
韋后もやりたいことが出来るとはりきりました。

神龍二年 西暦706年
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閏月丙午,公主開府置官屬。
則天による女性解放の傾向は続きます。韋后の娘安楽公主達は男性[親王]並みの待遇を要求しました。

二月、僧慧范等九人並加五品階,賜爵郡、縣公;道士史崇恩等三人加五品階,葉靜能加金紫光祿大夫。
中宗・韋后は仏教・道教への信仰にのめり込みます。

四月、處士京兆韋月將が、武三思と韋后が密通していると上訴しました。中宗は懊悩しながら月將を流し殺させました。

六月戊寅,貶敬暉為崖州司馬,桓彥範瀧州司馬,袁恕己竇州司馬,崔玄暐白州司馬,張柬之新州司馬。
武氏の復仇により再興の功臣は処罰され、流され、殺されます。不死の鉄券などなんの意味も持ちません。定見の無い中宗は官僚達に舐めきられることになります。

七月戊申,立衛王重俊為皇太子。
韋后には男子はありません。それでも「唐」の永続保証と、弟相王旦への牽制のために皇太子を立てねばなりません。甘やかされまくっていた安楽公主は自分が皇太女になれないのに不満です。

十二月己卯,靈武軍大總管沙吒忠義及突厥戰于鳴沙,敗績。
丙戌,以突厥寇邊、京師旱、河北水,減膳,罷土木工。
則天時代以来唐朝軍は弱体で敗北が続いています。


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