唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

長安五年/神龍元年 その1 西暦705年

2020-07-08 10:00:04 | Weblog
長安五年/神龍元年 その1 西暦705年
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正月癸卯,宰相張柬之、崔玄暐等は羽林軍を率いて蜂起し、則天の寵臣張易之・張昌宗等を殺害。
丙午,皇帝復于位。丁未,則天を上陽宮へ遷す。
則天皇帝も老齢から病となり、易之などの寵臣のいいなりになっていました。男系への復帰を謀った宰相柬之や玄暐等はためらう皇太子[中宗]を擁立し、孤立した易之・昌宗を殺害して、病中の則天を廃位しました。「周」から「唐」へのクーデターですが、中宗は則天の子ですので母を殺す事は出来ません。

正月丙午,大赦,,改元。
「周」代の官制・典礼を「唐」のものに戻しました。本来武氏を族滅すべきであったわけですが、中宗や相王[睿宗]など李氏皇族と武氏は重複してしまっているため手の付けようがありません。則天の徹底した李氏絶滅策により、名目上の「武唐」ができあがったのです。

正月庚戌,張柬之、袁恕己同鳳閣鸞台三品,崔玄暐守内史,敬暉為納言,桓彥範守納言。
クーデター組はお手盛りで宰相に連なりました。

二月甲寅,復國號唐。
貶韋承慶為高要尉,流房融于高州。姚元之罷。
正式に国号を「唐」に戻し、則天派の宰相を排除しました。元之は本来クーデター派なのですが、則天への愛惜を示したというので左遷されたわけです。

正月甲子,皇后韋氏復於位,大赦,賜酺三日,復宗室死于周者官爵。
韋氏が皇后に復帰し、李氏皇族や韋氏の復位や生き残った者達の登用が行われました。

正月丙寅,太子賓客武三思為司空、同中書門下三品。
丁卯,右散騎常侍附馬都尉武攸暨為司徒。
武氏一族も登用されました。すべての罪は張易之等におしつけたわけです。優柔不断な中宗が母や母の一族[自分も含まれる]を罰することはできません。

正月、貶譙王重福為濮州刺史。
韋后は自分の子卲王重潤等が殺された件に、重福が絡んでいると思って恨んでいました。

三月甲申,詔文明後破家者昭洗之,還其子孫廕。
則天時代の冤罪を回復する処置がとられました。酷吏一族は嶺南に流しました。

四月丁卯,高要尉魏元忠為衛尉卿、同中書門下平章事。
失脚していた大物宰相元忠が復帰してきました。

五月甲午,敬暉,桓彥範,張柬之,袁恕己,崔玄暐が郡王に昇格。
中宗や武三思などは、再興の功臣であり反武氏派のうるさがた宰相達を排除するため、宰相を兼任できない郡王へ昇格させる策を講じました。無能軟弱な中宗にとっても、復位は怖い則天からの解放で有り難いのですが、治政の重任はありがた迷惑だったかもしれません。

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