神龍三年/景龍元年 西暦707年
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二月丙戌,復武氏廟、陵,置令、丞、守戸如昭陵。
韋后と武三思が結託し武氏復權が図られていきます。
七月辛丑,皇太子以羽林千騎兵誅武三思,不克,死之。
皇太子は韋后・安楽公主・武三思から軽視され、廃位の危険を感じていました。しかし羽林軍など軍人達からみて、軟弱な中宗や韋后など女性の専権は苦々しく、大將軍李多祚以下は太子側にあり、宰相魏元忠も後援していました。太子は蜂起して武三思・崇訓を殺し、中宗に迫りましたが、中宗は韋后・安楽公主に擁され、皇帝を敵とした立場になり敗死してしまいました。
八月、魏元忠罷。
影で皇太子を応援していた元忠が逐われました。
九月丁酉,吏部侍郎蕭至忠為黄門侍郎,兵部尚書宗楚客,左衛將軍兼大府卿紀處訥:同中書門下三品。
辛亥,楊再思為中書令,韋巨源、紀處訥為侍中。
韋后・武氏連合勢力が次々と要職を占めていきます。
韋后・安樂公主派は相王・太平公主と皇太子が通謀していると誣告しました。しかし蕭至忠に諫言され、さすがの中宗も帝位を譲ってくれた弟を猜疑するということには躊躇しました。
景龍二年 西暦708年
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十一月庚申,西突厥寇邊,御史中丞馮嘉賓使于突厥,死之。
癸未,安西都護牛師獎及西突厥戰於火燒城,死之。
西突厥[突騎施]が復興し唐朝軍は敗北しました。もはや西域でも唐朝は舐めきられています。
是歲,皇后、妃、主、昭容賣官,行墨敕斜封。
韋后以下女性達は売官してその売り上げで豪奢な生活をします。官吏[免税]は急増して国家財政は破綻していきますが、中宗は放置するしかありません。また高位官僚には實封をばらまいてご機嫌取りをしその面でも財政は苦しくなります。
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二月丙戌,復武氏廟、陵,置令、丞、守戸如昭陵。
韋后と武三思が結託し武氏復權が図られていきます。
七月辛丑,皇太子以羽林千騎兵誅武三思,不克,死之。
皇太子は韋后・安楽公主・武三思から軽視され、廃位の危険を感じていました。しかし羽林軍など軍人達からみて、軟弱な中宗や韋后など女性の専権は苦々しく、大將軍李多祚以下は太子側にあり、宰相魏元忠も後援していました。太子は蜂起して武三思・崇訓を殺し、中宗に迫りましたが、中宗は韋后・安楽公主に擁され、皇帝を敵とした立場になり敗死してしまいました。
八月、魏元忠罷。
影で皇太子を応援していた元忠が逐われました。
九月丁酉,吏部侍郎蕭至忠為黄門侍郎,兵部尚書宗楚客,左衛將軍兼大府卿紀處訥:同中書門下三品。
辛亥,楊再思為中書令,韋巨源、紀處訥為侍中。
韋后・武氏連合勢力が次々と要職を占めていきます。
韋后・安樂公主派は相王・太平公主と皇太子が通謀していると誣告しました。しかし蕭至忠に諫言され、さすがの中宗も帝位を譲ってくれた弟を猜疑するということには躊躇しました。
景龍二年 西暦708年
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十一月庚申,西突厥寇邊,御史中丞馮嘉賓使于突厥,死之。
癸未,安西都護牛師獎及西突厥戰於火燒城,死之。
西突厥[突騎施]が復興し唐朝軍は敗北しました。もはや西域でも唐朝は舐めきられています。
是歲,皇后、妃、主、昭容賣官,行墨敕斜封。
韋后以下女性達は売官してその売り上げで豪奢な生活をします。官吏[免税]は急増して国家財政は破綻していきますが、中宗は放置するしかありません。また高位官僚には實封をばらまいてご機嫌取りをしその面でも財政は苦しくなります。
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