唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

建中三年 西暦782年 2

2020-03-08 10:01:51 | Weblog
二月戊午,李惟岳將楊政義以定州降。
 成德の鎮定が完了した。

旧成德領は唐朝の方針で
 ・易定滄三州は 張孝忠に 節度使。滄州は飛び地であり管理できず、程日華が
  自立してしまう。
 ・深趙二州は  康日知に 觀察使。趙州が日知の本拠である。
 ・恒冀二州は  王武俊に 觀察使。武俊は功を誇り、日知と同等の領域で、孝
  忠より格下の観察であることに憤懣を抱いた。
 ・徳棣二州は  幽州朱滔に、滔は深州を渇望しており、遠隔地である徳棣二州を
  与えられたことに強い不満を抱いていた。

德宗や盧杞は分割統治や領土を分散して、強鎮を作らないという方針だった。
孝忠・日知は一応収まったが、滔は激怒して武俊と組み、窮地にある魏博田悦や淄青
李納を従えて覇権を握ろうとした。

三月乙未,始以徐州刺史李洧兼徐海沂都團練觀察使
 しかし海沂二州は納に奪回され、徐州のみが残った。

四月戊午,李納將李士真以德、棣二州降。
 朱滔反,陷德、棣二州。
 李士真は徳棣二州を以って唐朝に歸附し、朱滔に来援を求めた。しかし滔は支援す
 るとみせかけて士真等を捕らえ反した。

朱滔は兄泚に密使を送ったが途中で捕らえられた。当時は反意のなかった泚は狼狽し
謝罪した。德宗は鳳翔節度使を解任するのみで太尉中書令の官は残して慰撫した。

四月戊寅,宰相張鎰は鳳翔節度使とした。
 盧杞は忠直な鎰を敬遠し、鳳翔節度使朱泚の後任という困難な役目を引き受けさせた。
 当時鳳翔等の諸軍には泚が率いてきた幽州兵が多く、また泚は兵士の人気が高かった。

・相継ぐ征討により代宗時に蓄積された財源は底を尽き、京師の富商から特別税を徴収
 しようとしたが、混乱を起こすばかりであった。
・盧杞は猜疑心が強い德宗を籠絡し、嚴郢等次々と能臣を逐っていった。

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