元和八年(813年.弘仁三年) 2006-10-30 19:33:51 | Weblog 淄青・淮西は形勢不利と見て憲宗のご機嫌伺いを行ったが、憲宗はこれを拒否して強硬態度を示した。 二月西川節度使より武元衡が宰相に戻り強硬派が力を増し、魏博田弘正を懐柔して王承宗包囲体制を作っていった。 十月北辺の振武軍節度使李進賢の失政により軍乱が起こった。 « 元和七年(812年.弘仁二年) | トップ | 元和九年(814年.弘仁四年) »
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