大暦年間の剣南西川節度使(現在の四川省西部)崔寧は、もともと反乱して自立した武将だが、弱気の朝廷から追認されたあとは一応忠誠を誓っていた。
大暦3年には入朝していたが、その隙に元の武将仲間の楊子琳が決起して治所である成都府を奪ってしまった。
留守役の弟はなんとか奪回を図るが、子琳は強く、四ケ月たっても成都府を回復できなかった。
それをみていた寧の妾の任氏は「あんたがけちけちしているから、兵士達が本気にならないんだよ、金はこんな時に使うもんだよ」と言い、家財を総ざらえにして強兵を募集し、それを率いて、一気に成都府を回復した。
その後寧は外敵の吐蕃の侵攻を防ぎ、長く西川に君臨することになった。
大暦3年には入朝していたが、その隙に元の武将仲間の楊子琳が決起して治所である成都府を奪ってしまった。
留守役の弟はなんとか奪回を図るが、子琳は強く、四ケ月たっても成都府を回復できなかった。
それをみていた寧の妾の任氏は「あんたがけちけちしているから、兵士達が本気にならないんだよ、金はこんな時に使うもんだよ」と言い、家財を総ざらえにして強兵を募集し、それを率いて、一気に成都府を回復した。
その後寧は外敵の吐蕃の侵攻を防ぎ、長く西川に君臨することになった。
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