時代錯誤 [宦官が支える唐末]
--------------------------
「懷ごときに割ける土地はないぞ」
「しかし、かりにも彼は陛下の舅ですぞ」
「時勢を考えろ、一兵・一銭でも欲しいという時に、あいつは、前のうすら馬鹿のほうがましだったな」
うすら馬鹿とは僖宗皇帝のことである。
「朝廷の威光が通る方鎭なんていくらもないのだぞ」
観軍容使楊復恭(宦官)はあきれてしまっている。
京師の貴族どもは現実がまるでわかっていない。
そして今の昭宗もだ。傀儡が皇帝のつもりでいる。
唐の威光は京師近辺の山間十数州にしか及ばない。
ただひたすら禁軍を再建しようとしている復恭にとって
穀潰しの貴族が、皇帝の義父であるというだけで節度使を要求してくる事など信じられなかった。
「帝の強いご意向です」
「わかったわかったあの黔中節度使にでもしてやろう」と復恭
側近があわてて「黔中は楊守立に与えるというお約束がありますが」
「心配ない、守立に与える」
「は・・・・、?」
王懷は喜んで一族とともに黔中に向かった。
そして途中の山西で、復恭の養子守亮が渡し船に穴をあけて沈め全滅させた。
帝はこれを知って復恭を憎んだが、いかんともすることができなかった。
*******背景*******
大順年間の事である。田令孜が失脚した後、宦官楊復恭が観軍容使として実権を握っていた。
もはや唐朝に従う方鎭は少なく、京師近郊と復恭が假子を配置した山西地方だけであった。
魯鈍で操り人形であった僖宗と違い、昭宗は普通の人間であったため、傀儡では安住しない。寄生する唐朝が倒れては共倒れなので必死に画策する宦官達からすると迷惑な存在だ。
官僚貴族達は外鎮とつながって代理人になる連中と、時代錯誤に朝廷ごっこしているものに別れる。王懷などはごっこ組だ。
昭宗は結局復恭一派を京師から追い出しには成功した。そして鳳翔李茂貞や邠寧王行瑜の傀儡におちぶれる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます