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小沢一郎という政治家 -好きな歴史上の人物は「坂本龍馬」

2011-01-14 00:52:01 | 日記
菅総理が脱小沢を宣言してから勢いが良い。 昨日民主党大会が開かれ「民主党内で内紛を起こしている場合ではない」という内部の批判もあったようだが、政治が常に権力闘争である以上、これもやむを得ない。

一体、菅総理が“脱”したい”小沢一郎”というのは、どういう人なのか。 彼ほど、評価の分かれる政治家も少ないだろう。 絶対に許せないという人もいる反対に、現時点でも期待する、という人も多い。


彼の政治家歴は長く、全体像をすぐに思い出すのも難しいので、ここで、もう一度、振り返ってみるのも価値があるだろう。


「辣腕」であり、「金権」政治家。「強面」「マスコミ嫌い」「壊し屋」。彼を表現する形容詞は沢山あるが
どれもイメージが良くない。

1942年生まれの小沢は、今、68歳。 1969年、政治家である父が他界すると同時に、27歳の若さで政界入りすることとなる。

以降、田中派、竹下派と自民党の本流を歩き始める。 特に、自民党の実力者、金丸信からの信頼が厚く、海部政権の際に、47才の若さで自民党幹事長となる。 この頃から、裏側で”汗をかく”という影の実力者として頭角を現す。

その後、リクルート事件で金丸が失脚すると、1993年に自民党を離党し、以降、「新生党」を結成、細川連立政権を成立させ、「新進党」を設立、解党。 

「自由党」を結党し、当時の小渕総理と自自連立政権を構成、その後、公明党が加わり”自自公”となるが、2000年に連立を解消。

2003年に民主党と合併、2004年に党幹事長代理に就任し、実質的な党運営を取り仕切るようになる。紆余曲折を経て、党代表代行として取り仕切った2009年8月の衆議院選挙で、歴史的な政権交代を実現することとなる。


幾多の「創造と破壊」「成功と挫折」を繰り返してきたが、彼が一貫して壊したいと思ってきたのは、「自民党vs社会党と一見対立しているかにみえて、実は何の対立もしない馴れ合い政治(55年体制)の打破」だったという。

若い頃から「日米建設協議」、「日米電気通信協議」で政府間交渉を深く取り仕切った経験から、「自分で考え自分で交渉し、決断する。約束したら必ず守る」という稀有な政治スタイルを貫こうとした小沢は、変わろうとしない官僚や政治家に、愛想をつかし、政権交代を可能にし、旧体制を打破できる小選挙区制の実現に情熱を傾けた、という。

その意味で彼の政治家としての歴史は、自民党で中枢を歩んだ以降は、政権交代に向けた長い戦いであった。

彼の功績で一番大きいのは、この政権交代を可能にした「小選挙区制」(実際には、法案を成立させる必要性から小選挙区比例代表併用制だが)の実現だったかもしれない。

自民党のプリンスが離党し、政権交代を目指して野党に下野し、苦節を経て政権交代が実現した今、その民主党から離党を求められているのは、皮肉な巡り合わせである。




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